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大邸宅の青木子爵邸
次の日の水曜日、私は学校の帰りに、青木様のお屋敷へ伺うことにしました。
お金持ちの家の息子が通う、第一高等学校の生徒でいらっしゃるから、きっと名家のお宅だろうと思っていましたが、藤孝お兄様に青木様のお家がどこにあるのかお尋ねしたら、なんと子爵家とおっしゃるではないですか!
こんなにボロボロのマントや制服に、下駄履きなんて、何か深いご事情があるのかもしれないわ。
藤孝お兄様は、新品のように見える制服に、よく磨いてある革靴をお召だったので、まさかそのボロボロが今の男子学生の流行りの『バンカラ』というものなんだとは、その時には全く思いませんでした。
どんなお宅でも、あらぬ詮索はしないようにしようと思って、人力車に乗りました。
「本郷の青木子爵邸へ向かってくださる?」
「へい! 承知しやした!」
藤孝お兄様に、『青木子爵邸』だと言えば車屋さん(※人力車)はすぐにわかってくれると言われていましたが、本当にそうでした。
そんなに大きなお屋敷なのでしょうか?
朝から曇っていましたが、車に揺られていると、ぽつぽつと雨が落ちてきました。
荷物になると思ったけど、傘を持ってきてよかったわ。
私は今日、大荷物でした。
学校の帆布製のカバンを斜めに肩掛けし、風呂敷に丁寧に包んだ青木様のマントとハンカチを胸に抱え、右手には洋傘、そして左手には昨日美味しくできたショートブレッドを、花柄のきれいな紙で包んで巾着袋に入れ、巾着の紐を絡めて持っていました。
なぜショートブレッドを、マントと同じ風呂敷に包まなかったのかというと、ショートブレッドの油が染みて、汚してしまったら本末転倒。
結局、破れたところを繕って差し上げるどころか、余計ほつれさせてしまって、固くつけすぎたボタンもそのままにしているので、これ以上青木様のマントを汚すわけにはいかないと思ったからでした。
「へい、着きやした」
私の学校から程なくして、車屋さんが止まったのは、ずらっと白壁が続いた先にある、立派な門構えの大邸宅です。
私は車賃を払って、黒い洋傘を広げて差し、風呂敷包みと巾着袋を大事に抱えて持ちました。
ここが、青木様のお宅……。
あまりの広大なお屋敷に、しばらく呆けていましたら、車屋さんはくるりと踵を返して行ってしまいました。
ボンヤリとしていたら、帰りも車をお願いするのを忘れていたわ。
まぁ、どこかで辻待ち(※道端でお客を待っている、いわゆる流しの人力車)がいるでしょ。
私は、この大きなお宅に足を踏み入れるのに躊躇してしまい、しばらく門の周りでウロウロしていました。
少しずつ雨粒が大きく強くなり、傘に当たってバラバラと音が鳴ります。
このまま、ここでいつまでもウロチョロしていては、不審に思われるわよね?
マントも濡れてしまうし……。
よ、よし!
ただお借りしていたものを、お返しするだけですもの!
このお菓子も湿気てしまっては、美味しさが半減しますものね!
私は邸宅に入る決心をつけ、門から入ろうとした時でした。
「アハハハハ!」
白壁沿いの向こうの方から、女性の楽し気な笑い声が聞こえました。
思わずそちらの方へ目をやると、背の高い男性と女学生が肩を寄せ合って、一つの傘に入って歩いてきました。
あの背の高い方は……均整のとれた体型に、学生服の上のボタンを外して着崩し、遠くからでもわかるようなきれいな横顔。
青木様……。
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