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雨の日の飴玉
私は、とっさに傘を傾けて自分の顔を隠しました。
早足で、道向かいのお宅の曲がり角まで歩いて、傘の影に隠れつつ、話に夢中になって時折笑いながら、大邸宅の中へ入っていく青木様と女性を見ていました。
あの女の子は……誰?
えび茶色の少し短めの丈の袴に、大きな水玉模様の着物を合わせ、二つのおさげ髪(※三つ編み)に赤いリボンをつけた、整った顔立ちの、私と同じ年頃の女の子です。
ふと、藤孝お兄様のご結婚相手、櫻子様のことを思い出しました。
結婚前に『嫁入りする娘』が男性の家に来るのは、当たり前のことなのかもしれない。
藤孝お兄様たちみたいに、とても仲がよさそうな様子だったし……。
もしかして、あの女性は、青木様のご結婚相手……?
そう思い至った私は、胸に重い石を載せられたような気持ちで、門の中へ入っていく2人を見送ってから、しばらく動けずにいました。
フラフラとする足取りで、また立派な瓦葺き屋根のついた門のところまで戻ります。
どういうこと……?
ご結婚相手がいらっしゃるの?
頭がボンヤリとしてしまって、あの女の子の楽しそうな笑い声が、耳から離れません。
門の近くには誰もいなくて、私は傘を差したまま、広い門の屋根の下に入りました。
傘に当たる雨の音が急に消えて、雨音が他人事のように聞こえます。
もう、青木様とはお会いしない方がいい。
心にポツリと浮かびました。
私の心の中にも冷たい雨が降っているようです。
屋根の外で、サーっと降る雨の音を聞きながら、そう思った私は、雨に濡れないようにマントとハンカチの入った風呂敷を門の柱に立てかけました。
そして、少し後ずさりすると、先ほどまでは、少しウキウキしたような気持ちで人力車に揺られてきた道を、駆けだしました。
ショートブレッドの入った巾着袋は、左手にひもを絡めたまま、走って腕を振るたびにぶらぶらと揺れています。
青木様に差し上げるつもりで、昨日お母様と一緒に作ったお菓子。
『ご結婚相手』がいらっしゃる方には、あらぬ誤解を受けてしまうでしょうから、到底あげられません。
私を、軽々と抱き上げて、「恋人になりませんか」とおっしゃったのは……。
冗談だったんだわ。
少しでも真に受けてしまった私、バカみたい。
走っていると、傘はあまり役に立たず、袴の裾も、斜めにかけたカバンもビショビショに濡れています。
もちろん、ショートブレッドの入った巾着袋も。
息が上がって苦しくなり、私は走るのをやめて歩き出しました。
涙が出そうになるのをグッとこらえていると、のどに大きい飴玉が詰まったように痛くなり、何度も唾を飲み込むように、のどを動かしました。
たぶん、辻待ちの人力車も途中にいたのでしょうが、私は1時間半ほど歩いて、家まで帰りました。
どこを通ってきたのか、あまり帰りの道中のことは覚えていません。
濡れそぼって帰った私を見て、お母様はすぐにお風呂を沸かしてくださいましたが、そのあとから寒気が止まらず、私は熱を出してしまいました。
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