1 頭上35センチの魔導師

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1 頭上35センチの魔導師

   アストリッドは、城塞都市グラニットホールにある新興ギルド、ウィザーズ・コンパスの受付となってちょうど一年を迎えようとしていた。  行き倒れていたところをギルドの人に拾ってもらい、おじいちゃん…ここのギルドマスターのセージフィールドに「行くところがない」と言ったら、「ならここで働きなさい」と言ってもらったのだ。  読み書きもろくにできず、魔法がちゃんと使えるわけでもない。いつだって自信がなくて下を向いているアストリッドに、マスターは食事と部屋と生活に必要なもの、それに知識を与えてくれた。その上働き始めると給料もちゃんと出され、3か月前にはようやく家を借りることもできた。  体は回復し、身長はあまり伸びなかったものの、体つきは女性らしくふっくらし、特にある一部は小柄な体には不釣り合いで、男性の目を引く。  パサついた髪はまっすぐ綺麗なプラチナブロンドだったことがわかり、海のような瞳を取り囲むまつ毛は長く、伏し目がちな彼女の表情をより憂いある美しさに仕立てた。一言で言えば、庇護欲を誘う。  親切な人も多く、最初は失敗ばかりだった彼女をおおらかに受け止めてくれる人ばかりだった。  今受付カウンターの前にいる人物を除けば。 「こ、こんにちはヴァレリオスさん…今日はどんな依頼を…」  彼の前ではどうしても萎縮するクセが抜けない。  長身の彼は前に立たれると自分に影を落とす。  もし無関係であれば、すらっと長い脚と魔導師の割に筋肉質な上半身は均整がとれていて素敵だと思えたかもしれないし、睨むような目つきさえ気にしなければ顔は整っている方なのかもしれない。直視したことがないのでうろ覚えだが。癖のあるショートヘアは前髪が少し長く、依頼書にサインした後にはよくかき上げていた。その仕草も同僚から言わせれば「セクシー」らしいが。  いつも言葉少なく、怒られている気になってしまう。それは彼女の育ちにも関係あるのだろうが、彼女の中で彼は怖い人認定されており、できるだけ接触は避けたい相手だった。 「5日以上がいくつか残っていたはずだ」  低く威圧的な声。アストリッドは男性の低い声は苦手だった。心の片隅で、理不尽に怒鳴る男性の声が呼び起こされる。  5日以上とは、依頼が来てから5日以上受諾されずに残ってしまったもののことだ。  彼は主に誰も受諾しなくて残ってしまった依頼を処理する。新興ギルドでありながら依頼遂行率が高く、顧客の信頼が厚いのは彼のおかげだろう。 「あの、夜間の魔物討伐が3件、いずれも森の伐採所です。あと1件がオルセン様より護衛の依頼で、こちらは期日が4日後、今回の行先はアイアンキープです」  アストリッドがスラスラと依頼を答える。 「あのクズか。出禁にすればいいものを」  オルセンは街の裕福な商人で、クレームがとにかく多い。何かと難癖をつけては支払いを渋る。そのくせ依頼にない内容まで言いつけてくるので、今となっては誰も受けようとしない。恐らく他のギルドでもそうだろう。   「全部行く。手続きを」 「え、全部ですか…あ、なんでもないですごめんなさい」  アストリッドは何かとすぐ謝罪する。どうしてそう卑屈なのか。ヴァレリオスの目がすっと細まった。それをどう捉えたのか、「すぐご用意しますね」と慌てて書類を準備し始めた。  受諾されない依頼は棚の高い所に追いやられることが多い。身長が子供並のアストリッドは、踏み台を使って高い所の書類を取るしかないので、カウンターの下にはいつも彼女専用の踏み台があった。しかしなぜか今日はそれが見当たらない。 「あれ?踏み台…あれ?どこ?」  周囲を見るも見当たらず、試しに棚の上に手を伸ばすが当然届かない。 「あの、ごめんなさいちょっと待ってくださいね」  あたふたとしているうちに、ヴァレリオスは溜息を一つつくとカウンターの中に入って来た。 「どれだ?これか?」  アストリッドの背後から棚に手を伸ばすと、彼女から小さく「ひっ」という声が聞こえた。 「ご、ごめんなさい」 「なぜそんなにいつも謝る」 「そうですよね…ごめんなさい」 「……。この緑のファイルか?」 「そのもう少し右の黄色い…いやそれではなくてですね」    ヴァレリオスは探す手を止めると、アストリッドに向き直った。 「今からお前を持つ。探せ」 「え?ひぁっ!」  アストリッドは腰のあたりを掴まれて軽々持ち上げられると、踏み台に乗った時よりも高い位置からファイルを見下ろす。顔は真っ赤だ。あ、棚の上に埃がたまっている、などとどうでもいいことに一瞬気が取られる。 「えっと、これと…こっちとこれ。あとこれ!」  書類の入ったファイルを4つ取ると、ヴァレリオスは静かに降ろしてくれた。 「あれー?リディちゃんは高い高いしてもらってたのー?」  振り返ると、そこには大柄な魔導師の女性、エレナが踏み台を持って立っていた。 「あ!踏み台!」 「ごめんごめん、廊下の蝋燭一本切れちゃって、私でも届かないから借りちゃった!」  踏み台には誰が書いたか「リディの足2号」と書いてある。ちなみに1号はエレナが今回のように勝手に使って破壊されている。 「でも高い高いよかったねー。あ、昨日の書類出しといたからよろしくね!」 「子供じゃないですっ」  エレナはそう言うと行ってしまった。アストリッドは少しばかり口をとがらせて「もう」と言った。それを頭上からじっと見ている視線があることを思い出した。 「お、お待たせしてすみません」  アストリッドは慌てて書類の「遂行中」の欄に日付を記入し、ヴァレリオスに4枚サインをもらうと「遂行中ボード」に張り付けた。 「えっと…森の魔物のうち一つは群れかもしれないそうです。あとオルセン様は必ず女性を同伴するようにって…」 「書いていないが?」  ヴァレリオスはボードの依頼書を見ながら言った。  アストリッドは「特記事項」にずらっと並んだ注意事項の端っこに、「女」とだけ書いてあるところを指さした。 「わかった。これを以って二度と依頼を出せないようにしてやる」  ヴァレリオスは物騒な事を言うと、奥にあるマスターの部屋へと消えてった。 「はぁ、怖かった」  アストリッドは自分を軽々持ち上げた大きな手と、冷ややかに見下ろす目を思い出し、心臓がやたら早く動くのを感じた。
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