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陸上自衛官の薄康太には、やがて自分に訪れる末期がわかっていた。
きょうは、それを彼女に話さなければならない。憂鬱な決意を心にしまいこんで、四輪駆動車を飛ばし、東京の秘境とも呼ばれる氷之沢村へ向かった。
暗い原生林に囲まれた国道を抜けると、山々の大パノラマが広がった。
アフガニスタンの女性ジャーナリスト、マリヤム・サフィが、村営の駐車場まで迎えに来ていた。
「ようこそ」マリヤムは嬉しそうに康太の手を取った。「ゆっくりしていってね。きょうは泊まっていくんでしょ」
「もちろん」
マリヤムの綺麗で優しい顔を見た途端、康太は決心が揺らぐのを感じた。ワクワク感も頭をもたげてきて、彼の決意をぐいと押し込んでしまった。
「アパートまで散歩しましょ」アパートまでの道のりはほんの五分ほどである。
「おう」
康太はあたりを見回した。自分の決意は他人に絶対に聞かれてはならない内容だった。別れを言いに来たのだと、小声でしゃべっても、風に流されて誰かの耳に入るかもしれない。
村営の駐車場の止まっているのは、康太の四駆だけである。人の気配はない。
広いスペースの隅には、地蔵や石塔が並んでいた。
どこからか笛や太鼓が響いてきて、山間いの狭い空へ抜けていった。
「地元の子供たちがお囃子の練習をしているのよ。きのう、取材させてもらった」彼女は楽しそうに語った。「カーブルに比べたら、ここは楽園ね。怯えなくてすむもの」
マリヤムは都心にある新聞社の一角にオフィスをレンタルして、そこを拠点にして、日本の文化や景勝地をイスラム圏に向けて配信していた。
数年前、薄康太とマリヤム・サフィはアフガニスタンの首都カブールで知りあった。日本の自衛隊が平和維持のために駐留していた時期で、民主化に向けて文化交流も積極的に行われていた。色鮮やかな衣装や装飾品を身にまとって艶やかな民族舞踊を披露するマリヤムに、一目惚れしたのが薄康太だった。
しかし穏やかな日々は続かず、タリバン政権が再び台頭し始めると、雲行きが怪しくなった。女性の教育は禁止され、仕事も制限され、ブルカの着用が義務化された。そんな矢先、マリヤムはジャーナリストしての視点を通すために、国外へ活動拠点を移すことを決意する。薄は彼女にために尽力して、現在に至っていた。
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