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 目が覚めたとき、そこに彼女はいなかった。 「真由美!」  僕は彼女の名前を思わず叫んだ。寝室を抜けてリビングに向かうと、驚いた様子でフライパンを握りしめた彼女の姿があった。 「中村くん、私がどれだけ起こそうとしても全然起きなかったんだよ」 「ごめん……」  僕は謝りながら、焼けたばかりのトーストにかみつく。かみついて――かみつきながら、僕は昨夜のことを思い出していた。  鍵が開いていた。  かなり鮮明な記憶だ。触れたドアノブの硬質ささえ、手に取るように覚えている。けれど僕は、あの部屋には鍵をかけたはずだし、鍵そのものは僕の部屋にあるはずだ――そのうえ、この家には僕と彼女しかいないのである。それでいて、彼女は人工知能なのだ。  呼び名は変わっているとはいえ、主人である僕の言葉を、忘れているといったことはないだろう。  僕は言った。  この部屋には入らないで、と。  その言葉を――「学習」したはずの彼女が、あの部屋に入るわけがない。  彼女は人工知能なのだから。  けれど、僕には直観で理解できる――あれは夢ではなかった。確実に現実だったのだ。  彼女は今日、僕より先に起きていた。  僕がまだ眠っているあいだに、鍵を取り出して施錠することは可能だ。今更確認してもしょうがない。  けれど――。  と、そのときだった。インターホンが短いスパンで三度鳴った。  エプロンをして包丁を片手にしている彼女に行かせるわけにもいかず、僕はそのまま玄関へ向かう。ドアチェーンを外して、ドアを開いた。――途端、手帳を見せられた。 「警察のものです。中村瑞樹さんで間違いありませんか?」  そこにいたのは、大柄な二人の男性だった。  一目でわかる。人工知能ではない。  人間だ。 「は、はあ……僕が中村ですが」  と、僕は動揺しながら応える。右手の大男が手帳を仕舞うと、その代わりとでも言うかのように、一枚の写真を取り出した。顔写真だ。見覚えがある。二年ほど前に会ったことがある人物だった。 「この顔に見覚えは?」  ニアの顔写真だった。僕は数秒の逡巡の末に、正直に、知っていることを伝えようと決めた。 「ニアさんですよね? たしか、約二年前に、この人工知能のカウンセリングを受けました」 「ふむ……二年前、ですか。その割には名前をよく覚えていらっしゃいますね」 「それは、自己紹介が覚えやすかったんです。【near】が由来でニアだ、と。ええと、あのう……彼がどうかしたのですか」 「人を殺しました」  一瞬、僕のなかで世界が停止した。 「で、でも、人工知能には人へ危害を加えないためにセーフティがかかっていて――」 「それを突破する方法を、この人工知能は所有者に施されたんです。そして、その方法をカウンセリングを通じて数人に伝達していた。何か覚えはありませんか」 「覚え……」  ある。  オルタナティブドールだ。 「いえ、ありません」  僕が首を振ると、警察のふたりは何か納得したようにうなずきあうと、いくつかの社交辞令的な言葉を残して去って行った。  ……なるほど。  カウンセリングAI、か。  謎が全て解けた気がした。
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