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白鯨
まるで窓の外を鯨が音もなく遊泳しているようだった。白む窓が巨大な影に覆われて、教室は窒息の深海に流転する。
「……」
身じろぎ一つせず、まじまじと視線を向けるだけの息の殺し方は、存在を気取られてしまうのを恐れた虫さながらの凝然さに比肩する。「過ぎ去れ」と心の中で一様に唱えた矢先、壁に亀裂が入り出し、歪んだ窓枠が硝子を吐き出す。そうしてやっと、身体は自由になった。
「逃げろ!」
足を滑らせながら教室から逃げ出すと、廊下もまた暗黒に包まれていた。それでも、恒常的に利用してきた建物だ。迷うことはない。ややおぼつかない足取りながら、階段を下りていき、整然と並ぶ昇降口の下駄箱の間を通って外へ出た。
「なんだよこれ」
尋常ではない力で触手に抱きつかれる校舎が、言い表せぬ悲鳴を上げて、真っ二つに切り落とされていく光景を目の当たりにする。下敷きは洒落にならず、背後から迫る粉塵から逃げる為に足を回す。学校の敷地を出るのにもっとも近い校門を通り抜け、無事に学校からの脱出に成功した。
「やっぱり圏外だ」
ここから先は、指針などない。どちらの方角へ向かうかを真っ先に決めたのは鈴見と長親であり、二人は背中を向け合った。
「おい! 別れるのか?」
堪らず三樹が二人の間を取り持とうとするが、お互いに振り返ろうとしない鈴見と長親の判断に板挟みにあってしまう。
「さっきと言ってることが違うじゃないか……」
集団を成して動くことを念頭に置いていた者達にとって、裏切りも甚だしい。二人のどちらかを選んで後を追うのか。はたまたそれぞれが違う道を選んで散り散りに歩き出すのか。判断は個々人に任せられ、鈴見の悪態を受けたのは下記の二人であった。
「どうしてついてくる」
「一人でこの霧の中を歩くのはさすがに、自殺行為だろう?」
三樹は鈴見の肩に腕を回して、厚かましい親しさを強いる。
「浅木もそう思って、ついて来たんだよな?」
「はい!」
過ぎたお節介を口にしながら、手を捏ねてしなだれかかる二人は、何処までも鈴見の影を追うつもりでいるらしい。貧乏揺すりが地団駄に変わる前に云っておかねばならない。
「俺は行くところがあるんだ。ついてこられても困る」
「行くところって、霧の外へ出るために歩いているんだろう?」
口裏を合わせずとも、向かう先は当たり前に霧の外だと思い込んでいた三樹の期待は更に裏切られる。
「俺は今、平野平に向かってる」
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