彼の処方箋

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 5時間目辺りから雪が降り出した。 風がないので、ふわふわとゆっくり空から降りてくる。 私は折り畳み傘を差して、薬局に向かった。 チリン ドアベルが鳴って、おばさんが顔を上げた。 「いらっしゃい」 「原田です。祖母のお薬をお願いしてて」 「ああ、出来てますよ。ご苦労様」  おばさんはにっこり笑った。 お薬を受け取って、私は思いきって尋ねてみた。 「藤原くんは大丈夫ですか。熱があるって…」  おばさんは困ったように笑いながら答えた。 「昨日から咳をしててね。受験が終わったから、疲れが出たのかもしれないわね」 やっぱり 私立に行くんだ 少し寂しくなった。 そしてそれなら、勇気を出してみようと決めた。 「お見舞いに行ってもいいですか」 「ありがとう。母屋の玄関に回ってくれる? 顔を出すように伝えておくから」  おばさんにぺこっとお辞儀をして、私はお店を出た。 ガラスの()まった玄関の古い引き戸をガラガラと開けると、ちょうど彼が奥から出てくるところだった。 「ごめんね。具合が悪いのに」 「うん、大丈夫。こっちこそお見舞いなんて、ありがとう」 「受験お疲れさま。きっとほっとしたんだね」 「勉強より体調を整える方が大変だったよ」  藤原くんは苦笑いで答えた。 「藤原くんならきっと大丈夫だよ」 「だといいけど」  私は鞄から紙袋を取り出した。 「これね。こないだおいしそうだなと思って、皆と行った時に買ったんだ」  受け取って中を覗いた彼の顔が、強張ったように見えた。 「これって、チョコレート…?」 (かす)れた声でそう言われて急に恥ずかしくなり、私は慌てて言った。 「あっ、あの、そういうつもりじゃなくて…」  チョコレートではなくブラウニーだったので、彼もそれほど気負わずに済むだろうと思っていた。 だけど、包装紙も貼られたシールにもハートのマークがついている。否定も肯定も出来なくなって、私は鞄の持ち手を握りしめたまま突っ立っていた。 「…悪いけど、受け取れない」  呟くように彼が言った。 お見舞いでも義理でも受け取ってくれるような気がしていた私にとって、その言葉はまさに青天の霹靂だった。 「…そっか、そうだよね。好きでもない人からは貰えないよね」 「ごめん。そうじゃないんだけど…、気持ちだけってことで」  藤原くんはゆっくり紙袋を私に差し出した。 「僕より素敵な人は大勢いると思う」 「…藤原くんは素敵だよ」 「ありがとう」  微笑んではいたけれど、やっぱり彼の顔は寂しそうに見えた。 こんなに近くにいるのに、手の届かない場所にいるような。心の深いところには決して何も届かないような。 そんなことを感じて、私も寂しくなってしまった。 「ごめんね。何か僕、原田さんには謝ってばっかりだね」 そんな顔 しないで 不意に泣きそうになった。 私 嫌われるようなこと 何かしたのかな 「…返事はいらないから」 「え…」 「気持ちだけ伝えたかったの。困らせてごめんなさい」  私は一気にそれだけ伝えると、彼から逃げるように家まで走り続けた。雪の中、冷たい空気が肺に刺さり、息をする度に苦しかった。あんまり痛くて涙が滲んだ。 「やだな…、何で…」 息を切らしながら、私は傘に隠れて涙を拭った。
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