第二幕:天の海に 雲の波立ち 月の船

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 会話もないまま、二人無言で森を行く。少しずつ、建物の明かりが周囲を照らしはじめていることに真鶴(まつる)は気付いた。  開けた場所に出た、瞬間。  ぱぁん、と空に花火が舞い上がった。月に負けないほど巨大な、菊花火が。 「あっ」  突然の音と光に驚き、足がもつれる。前につんのめり転びそうになった。  刹那、腕が伸びてくる。間一髪のところで抱き留めてくれたのは、加賀男(かがお)だ。  たくましい片腕の中にすっぽりと収まり、真鶴(まつる)は目をまたたかせる。 「無事か」 「は、はい。申し訳ありません……」 「謝る必要は、ない」  腕の中は暖かかった。男性に抱き締められたのは、これがはじめての経験だ。一つだけ、心臓が何かに呼応するように、とくりと鳴る。 (これは、何?)  体感した覚えのない臓器の異常に戸惑い、それでもおもてに感情が出てこない。  花火は打ち上げられっぱなしだ。菊、かむろ、柳。様々な形で空を彩る輝きが、二人をありありと照らす。  心臓が落ち着いたことを確認し、真鶴(まつる)は無言のまま身を離した。  加賀男(かがお)が、何かを確かめる眼差しでこちらを見ている。 「何か……?」 「感情が消えている、というのは、本当のことだったのだな」 「はい。長雅花(ながみやばな)の副作用で。ごく稀に出る、と代々の言い伝えにはあります」 「辛くはないか」 「もう、慣れましたから」  軽くかぶりを振ると、難しい顔で加賀男(かがお)が視線を逸らす。 (可愛げがないと思われたわ、きっと)  嘘でも演技でも、泣くふりや辛い面持ちを見せられればよかったのだろうか。  だが、自分は祝貴品(しゅくきひん)を使った罪人だ。命が助かったとはいえ、裏華族(うらかぞく)最大の禁忌(きんき)を犯した。見合った罰を受けなければ、古野羽(このは)家の面目も立たない。 「……そろそろ屋敷につく。行こう」  花火の音に消えそうなささやきだが、不思議と彼の声は耳に残った。真鶴(まつる)は首肯し、加賀男(かがお)の後ろをついてまた歩き出す。  開けた場所に出てから、自分たちが山の頂上付近にいたのだとわかった。  眼下を見下ろせば、遠くに三角形の区画が見える。花火はそこから上がっていた。  区画の中央には和式の城が建っている。色は、漆黒。夜に紛れて消えそうな輪郭は、周囲にある町並みの明かりでくっきりと浮かび上がっていた。 (お城まであるなんて。天乃(あまの)さまのお屋敷も大きいのかしら)  掃除が大変かもしれない、とまだ見ぬ家へ思いを馳せつつ、先へと進んだ。  下り坂を通り、どのくらいが経っただろう。花火はいつの間にか終わっていた。再び真鶴(まつる)たちを灯すのは、鬼火といわれた青白い炎だ。  次第に道の左右へ石灯籠(いしどうろう)が現れる。歩道も煉瓦ではなく、石造りのものに変わっていた。 「ここだ」  しばらくして、加賀男(かがお)が立ち止まった。  見上げた真鶴(まつる)は目にする。白い鳥居があることを。 「この奥、でしょうか」 「ああ。今から使用人を呼ぶ。……ツキミ、来い」 「はいな、星帝(せいてい)さま」  加賀男(かがお)の命によってだろう。瞬時に鳥居の奥、屋敷があると思しき方に一人の少女が現れた。  赤い瞳と健康的な焼けた肌。たすきがけをした臙脂(えんじ)色の着物がよく似合う子だ。年は、見た目十二、三といったところだろう。  真鶴(まつる)が一瞬だけ目を見張ったのは、少女――ツキミの額の中央に、象牙色をした小さな角があったからだ。 (きっとこの子が、あの灯火を作ってくれていた鬼の子なんだわ)  納得したこちらを見て、ツキミは軽く一礼してみせる。 「ツキミですの。星帝(せいてい)さまおつきの使用人ですの。よろしゅう、古野羽(このは)真鶴(まつる)ひいさま」 「こちらこそ……はじめてお目にかかります、真鶴(まつる)です」  真鶴(まつる)も頭を下げた。柔和な態度にだろうか、ツキミが目を輝かせ、身を乗り出してくる。 「綺麗なおひいさま。蜘蛛(くも)(おさ)のふゆ()さまにも負けませんの」 「ツキミ、無駄口はいい。この荷物を運んでくれ」 「けちんぼですの、星帝(せいてい)さま。わかりましたの」 「あ、荷物ならここからわたしが……」 「ウチなら力持ちだから平気ですの。大事に預かりますの」  真鶴(まつる)が手を伸ばしても遅い。二つの風呂敷を易々(やすやす)と持ち、ツキミは足の爪先で地面を叩く。すると次の瞬間、驚いたことにその場から姿を消した。 「今のが……その、鬼の子という?」 「そうだ。まだ力は弱いが、働き者で助かっている」  問いに答える加賀男(かがお)の瞳は、どこか柔らかい。その藍色の目が、不意に真鶴(まつる)へ向けられた。 「手を貸してくれ」 「手、ですか?」  なんだろう、と思いつつ、真鶴(まつる)は一度引っこめていた手を再び、伸ばす。  近付いてきた加賀男(かがお)に、指を静かに握られた。 「天乃(あまの)さま?」 「もう後戻りは、できない」  ぼそりと、沈痛な口調で呟かれた。  その言葉は、加賀男(かがお)が自分に言い聞かせたものなのだろうか。それとも真鶴(まつる)に伝えるものだったのか。  わからずに、真鶴(まつる)は軽くうつむいた。  その途端強く手を握られて、つと加賀男(かがお)を見上げる。 「星帝(せいてい)天乃(あまの)加賀男(かがお)。ここに我が妻となる古野羽(このは)真鶴(まつる)を連れていく」  凜とした声音は雄々しい。胸に入りこんでくるかのような不思議な声音だ。  真鶴(まつる)はただ、一つだけ強くうなずく。  そして二人ははじめて肩を並べて歩き、鳥居をくぐった。
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