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会話もないまま、二人無言で森を行く。少しずつ、建物の明かりが周囲を照らしはじめていることに真鶴は気付いた。
開けた場所に出た、瞬間。
ぱぁん、と空に花火が舞い上がった。月に負けないほど巨大な、菊花火が。
「あっ」
突然の音と光に驚き、足がもつれる。前につんのめり転びそうになった。
刹那、腕が伸びてくる。間一髪のところで抱き留めてくれたのは、加賀男だ。
たくましい片腕の中にすっぽりと収まり、真鶴は目をまたたかせる。
「無事か」
「は、はい。申し訳ありません……」
「謝る必要は、ない」
腕の中は暖かかった。男性に抱き締められたのは、これがはじめての経験だ。一つだけ、心臓が何かに呼応するように、とくりと鳴る。
(これは、何?)
体感した覚えのない臓器の異常に戸惑い、それでもおもてに感情が出てこない。
花火は打ち上げられっぱなしだ。菊、かむろ、柳。様々な形で空を彩る輝きが、二人をありありと照らす。
心臓が落ち着いたことを確認し、真鶴は無言のまま身を離した。
加賀男が、何かを確かめる眼差しでこちらを見ている。
「何か……?」
「感情が消えている、というのは、本当のことだったのだな」
「はい。長雅花の副作用で。ごく稀に出る、と代々の言い伝えにはあります」
「辛くはないか」
「もう、慣れましたから」
軽くかぶりを振ると、難しい顔で加賀男が視線を逸らす。
(可愛げがないと思われたわ、きっと)
嘘でも演技でも、泣くふりや辛い面持ちを見せられればよかったのだろうか。
だが、自分は祝貴品を使った罪人だ。命が助かったとはいえ、裏華族最大の禁忌を犯した。見合った罰を受けなければ、古野羽家の面目も立たない。
「……そろそろ屋敷につく。行こう」
花火の音に消えそうなささやきだが、不思議と彼の声は耳に残った。真鶴は首肯し、加賀男の後ろをついてまた歩き出す。
開けた場所に出てから、自分たちが山の頂上付近にいたのだとわかった。
眼下を見下ろせば、遠くに三角形の区画が見える。花火はそこから上がっていた。
区画の中央には和式の城が建っている。色は、漆黒。夜に紛れて消えそうな輪郭は、周囲にある町並みの明かりでくっきりと浮かび上がっていた。
(お城まであるなんて。天乃さまのお屋敷も大きいのかしら)
掃除が大変かもしれない、とまだ見ぬ家へ思いを馳せつつ、先へと進んだ。
下り坂を通り、どのくらいが経っただろう。花火はいつの間にか終わっていた。再び真鶴たちを灯すのは、鬼火といわれた青白い炎だ。
次第に道の左右へ石灯籠が現れる。歩道も煉瓦ではなく、石造りのものに変わっていた。
「ここだ」
しばらくして、加賀男が立ち止まった。
見上げた真鶴は目にする。白い鳥居があることを。
「この奥、でしょうか」
「ああ。今から使用人を呼ぶ。……ツキミ、来い」
「はいな、星帝さま」
加賀男の命によってだろう。瞬時に鳥居の奥、屋敷があると思しき方に一人の少女が現れた。
赤い瞳と健康的な焼けた肌。たすきがけをした臙脂色の着物がよく似合う子だ。年は、見た目十二、三といったところだろう。
真鶴が一瞬だけ目を見張ったのは、少女――ツキミの額の中央に、象牙色をした小さな角があったからだ。
(きっとこの子が、あの灯火を作ってくれていた鬼の子なんだわ)
納得したこちらを見て、ツキミは軽く一礼してみせる。
「ツキミですの。星帝さまおつきの使用人ですの。よろしゅう、古野羽の真鶴ひいさま」
「こちらこそ……はじめてお目にかかります、真鶴です」
真鶴も頭を下げた。柔和な態度にだろうか、ツキミが目を輝かせ、身を乗り出してくる。
「綺麗なおひいさま。蜘蛛長のふゆ音さまにも負けませんの」
「ツキミ、無駄口はいい。この荷物を運んでくれ」
「けちんぼですの、星帝さま。わかりましたの」
「あ、荷物ならここからわたしが……」
「ウチなら力持ちだから平気ですの。大事に預かりますの」
真鶴が手を伸ばしても遅い。二つの風呂敷を易々と持ち、ツキミは足の爪先で地面を叩く。すると次の瞬間、驚いたことにその場から姿を消した。
「今のが……その、鬼の子という?」
「そうだ。まだ力は弱いが、働き者で助かっている」
問いに答える加賀男の瞳は、どこか柔らかい。その藍色の目が、不意に真鶴へ向けられた。
「手を貸してくれ」
「手、ですか?」
なんだろう、と思いつつ、真鶴は一度引っこめていた手を再び、伸ばす。
近付いてきた加賀男に、指を静かに握られた。
「天乃さま?」
「もう後戻りは、できない」
ぼそりと、沈痛な口調で呟かれた。
その言葉は、加賀男が自分に言い聞かせたものなのだろうか。それとも真鶴に伝えるものだったのか。
わからずに、真鶴は軽くうつむいた。
その途端強く手を握られて、つと加賀男を見上げる。
「星帝、天乃加賀男。ここに我が妻となる古野羽真鶴を連れていく」
凜とした声音は雄々しい。胸に入りこんでくるかのような不思議な声音だ。
真鶴はただ、一つだけ強くうなずく。
そして二人ははじめて肩を並べて歩き、鳥居をくぐった。
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