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加賀男の住まいは純然な日本家屋ではなく、洋館付きの住宅だ。
黒い煉瓦で作られた建物の周りには草木が満ち、親しみのある匂いに、真鶴は少しだけ緊張を解くことができた。
洋風の応接室に通され、ツキミが出してくれた緑茶にも手をつけず、ただ加賀男を待つ。
一人がけのソファに腰を下ろしたまま、周囲を見渡した。
ステンドグラスで飾られた上げ下げ窓には赤いカーテンがあり、真鶴の位置から外を覗くことはかなわない。空席の膝掛け椅子とティーテーブル、天井からつり下がっている四灯式の電灯は、いかにも流行を取り入れた立派なものだ。
(電気はどこから引いてるのかしら)
ふと、場違いなことを思う。しろじろとした明かりもまた、石灯籠のようにツキミがつけているものなのなのだろうか。
「すまない、支度に手間取った」
ぼんやりと天井を見上げていたとき、不意に扉が開いた。加賀男が中へ入ってくる。
着流しした利休色の着物に、三つ編みの銀髪はよく映えていた。立ち上がろうと腰を浮かせた真鶴を手で止め、彼は膝掛け椅子に座る。
「慣れない場所で落ち着かないだろう」
「いえ、大丈夫です」
真鶴が答えれば、加賀男は小さく首肯した。
「今から君に、ここ、隠世での規則を伝えようと思う」
「規則ですか?」
「そうだ。この影ヶ原には他に四つの区画がある。それぞれ蜘蛛、獣、鬼人、神の長たちが治めている区画だ。そこには俺がいないとき、決して足を踏み入れてはいけない」
「あやかしたちがいるから、でしょうか」
真鶴の問いに、加賀男が若干、厳しいおもてを作る。
「その呼び方は禁句だ。まつろわぬものたち、と呼ぶこと。君も少しは知っているだろうが、彼らは品位を保つことを重視している。星神、天津甕星の子孫という自負があるから」
「わかりました。まつろわぬものたち……ですね」
「そう呼んであげてくれ。この区画、蛇宮は好きに歩いてくれて構わない」
「はい」
「ここに太陽はないが、代わりに時間を示す鐘が鳴る。六時、九時、十二時、十五時、十八時に。時間の感覚に戸惑うだろうが、部屋に日めくりもある。辛いかもしれないが慣れてほしい」
そこまで言うと、加賀男が懐から一つの懐中時計を取り出した。緑にうっすらと輝くそれを机に置いて、真鶴の方へと差し出す。
「君に、これを。他四区画に引きずられないよう、咒いを施してある」
「こんな高級そうなものを、わたしに?」
「いさかいが起きればただでは済まないだろう。持っていてくれ」
「……ありがたくお借りします」
少し迷ったのち、真鶴は銀色の時計を手にした。ひんやりと冷たい。
(こがねの肌触りに似てる)
思いながら帯に挟んだのを確認してだろう。加賀男がどこか辛そうな顔をした。
「まつろわぬものたち三人の長は、君と俺の結婚を認めていない」
「そうだろうと思っていました」
「なぜ?」
「わたしは、古野羽家の出来損ないですから。満月の夜に瞳の色は変わりますけれど、髪はそのままです。力を使えない証拠。それに……罪を犯しています」
真鶴は事実を淡々と答える。
「祝貴品を作ることができないわたしを、皆さんが認めるはずがありません」
苦笑すら浮かべぬままに言い切れば、こちらを見据えていた加賀男が視線を逸らした。
「天乃さま。わたしは配偶者としての使命は果たすつもりです。それがあなたさまへの恩返しになると思っていますから」
「使命、か」
ふと、加賀男は苦い笑みを浮かべる。自嘲気味の、どこか投げやりな苦笑を。
重たいほどの沈黙が下りた。カチ、カチ、と、掛け時計の音だけが大きく響く。
「他に何か、聞きたいことはあるか」
静寂を裂くように硬い声音で問われ、真鶴は小首を傾げた。
「この区画は蛇宮だと仰ってましたけれど、事実、蛇がたくさんいるのでしょうか?」
「いる。……君がこがねとつけた蛇も、守り神の一人だ」
「こがねに、会えますか?」
「いつかは。名付けるというのは咒いの一つ。もはやあの蛇は、君のものになっている」
「名付けることにそんな意味があったのですね」
漆黒の蛇を思い出しながら、やはり友人はあやかし――まつろわぬものなのだと悟る。
(勝手に名付けたことを怒っているかしら……)
こがねに、そして加賀男に申し訳なく思った。
顔色をうかがうように彼の方を見つめれば、なぜか加賀男は先程と違い、柔らかい表情をしている。
「こがねのことをどう思う?」
「とても賢くて優しい友人です。ずっと側にいてくれたので、心をなぐさめられました」
「そうか」
加賀男が口元を緩めた。厳しい眼差しが柔らかなものとなり、そうすると巨躯のわりに穏やかな雰囲気を醸し出す。
「天乃さまは、こがねと仲がよろしいのですね」
「……そうだな。ああ、それと」
と、加賀男が優しい口調で何かを口にしようとした、そのとき――
「うっわぁぁぁぁあ!」
唐突に、あまりにも不意に、素っ頓狂な悲鳴が外から聞こえた。
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