第三幕:自らが 幸い君が さいはひの

3/12
前へ
/42ページ
次へ
 ……結局、真鶴(まつる)はこがねを探すことはできなかった。作ったものを食事(どころ)に運ばねばいけなかったからだ。  ツキミと共に、料理が載った皿などを持ちこんでいく。仏国(ロココ)仕様の赤いカーテンを開け、上げ下げ窓の外を見れば、満月より少しだけ欠けた月が視界に入ってきた。 (天乃(あまの)さまは、料理を食べて下さるかしら)  月光に目を細めつつ、今更ながらそわそわとしてしまう。  癖だけで作ってしまった代物だ。加賀男(かがお)の口に合うかもわからない。 「ひいさま、あとはウチがやりますの。座って待っててほしいですの」 「ありがとう、ツキミさん。でも天乃(あまの)さまを起こさなくては」  振り返り、白米をよそおうツキミへ首を振った、直後。 「おはよう」  パネル扉が開かれ、樺茶(かばちゃ)色の着物をまとった加賀男(かがお)が入ってくる。 「おはようございますですの、星帝(せいてい)さま」 「お、おはようございます、天乃(あまの)さま」 「ツキミはともかく君は早いな。……ん?」  匂いに釣られてだろうか、加賀男(かがお)が食卓の上を見た。 「この朝食は……」 「ひいさまの手作りですの!」 「申し訳ありません、勝手にお台所や食材を使ってしまいました」  彼はじっと献立を見てから、真鶴(まつる)へと視線を戻す。 「ここは君の館でもある。好きに使ってくれて構わない」 「は、はい」 「それにしても、美味そうだ」  ふ、と加賀男(かがお)は口元をほころばせた。それから衝立(ついたて)近くの席へと腰かける。 「食べよう。君も、一緒に。座ってくれ」  席を手で指し示され、真鶴(まつる)はうなずく。  慣れないチェアの座り心地は、どこか落ち着かない。いや、それより、彼の舌を喜ばせられるかどうかの心配が先んじている。 「それではツキミは失礼しますの。あとはひいさまにお任せしますの」  一礼ののち、ツキミが退室していく。 「いただこう」 「はい。いただきます」  二人一緒に手を合わせた。  早速、菜っ葉の味噌汁をすすった加賀男(かがお)が、目を見張る。 「……美味い」  穏やかに微笑む彼のおもてに、真鶴(まつる)はほっと安堵した。 「まともな食事など、ここ数年していなかった。暖かくて安心する味だ」 「それはよかったです」  それから加賀男(かがお)は、様々な品に手をつけては何度も一人、うなずいている。 「白菜の漬物も、君が?」 「塩揉みしたくらいのものですけれど。ぬかがなかったものですから」 「十分すぎる。この魚も、大根の煮物も、本当に美味しい」 「お口に合ったなら……嬉しいです」  真鶴(まつる)は味噌汁のお椀を置き、小声で答える。  喜びの感情など、今の自分には存在しない。それでも食べてくれたことがありがたく、落ち着きのなさはいつの間にか消え去っていた。 「もし君がよかったら、これからも料理を作ってくれれば俺は、嬉しい」 「わたしの料理でいいのなら……お野菜の丸かじりは、あまりよくないことですし」 「ツキミに聞いたのか」  困った顔をする加賀男(かがお)に、真鶴(まつる)は首肯する。 「俺は手料理というものに、ほとんど縁がなくてな。たまにみつやに引っ張られ、洋食店などには行くのだが」 「みつやさんはもうお戻りに?」 「とっくに帰っている。あれも寿々(すず)家の一族だ。小刀(こがたな)で俺が張る結界を破り、隠世(かくりよ)現世(うつしよ)を行き来できる」 「そうだったんですね」 「……みつやの身を案ずるか」  若干暗い声音に、一度箸を置いた。 「いえ。食事を作りすぎてしまいまして……残してしまうのが心配だったのです」 「それなら大丈夫だ。ツキミはああ見えて大食らい。それに、俺も食べる」  苦笑をこぼす加賀男(かがお)の方をよく見れば、すでに料理の大半が減っていた。 「本当に、美味い食事だ」  しみじみとした口調で言われ、しかし真鶴(まつる)の心は動かない。  よかったという思いはある。安心感は確かに覚えている。だが、本来あるべき喜びが、すっぽりと欠け落ちていた。  それでも少なくとも、飯炊き女房としては合格だろう。彼がなごんでくれた事実は確かなのだから。 (それで今は、十分だわ)  箸を再び手にし、魚や白米を口に運び、咀嚼(そしゃく)していく。 (……でも)  本当は昨晩のことを聞きたかった。真鶴(まつる)、とささやいてくれたのは夢だったのかもしれない。大体、自分は世継ぎを産む器だ。体を重ねなかった理由が少し、気になる。 「よかったら、あとで出かけないか」  ツキミがあらかじめ用意していた番茶を飲み、加賀男(かがお)が不意に呟いた。  昨夜のことに気を取られていた真鶴(まつる)は、少し反応が遅れてしまう。 「お出かけ……」 「いや、気乗りしないのならばいいんだ」 「星帝(せいてい)である天乃(あまの)さま自ら、町に下りるのですか?」  真鶴(まつる)もようやく食事を終えつつ、とりとめもなく疑問に思った。 「ああ。普段、何か問題があれば、直接まつろわぬものたちは家に来る。だが、そうならないため見回るのもまた、俺の仕事だ」 「そうなのですね。ですが、お仕事にわたしがついていくのは邪魔なのでは」 「君も星帝(せいてい)の妻として、仲裁(ちゅうさい)のやり方を覚えてほしい。ああ、いや……」  困ったような、迷ったようなおもてを作り、加賀男(かがお)が顎に手を添える。 「何か?」 「……この蛇宮(へびみや)の町を、君に見てほしい。だから、その……」  言いよどむ彼の様子に、真鶴(まつる)もまた悩みあぐねる。  力も中途半端な自分が表に立てば、加賀男(かがお)の立場が悪くならないだろうか。他のまつろわぬものたちからの心象を、下げてしまうことにならないだろうか―― 「君もきっと、この町に溶けこむことができるだろうから」  困惑する真鶴(まつる)を引き戻したのは、真摯(しんし)な、実直に過ぎる言葉だった。 「そういうことでしたら。ご迷惑でなければ、色々と教えて下さい」  渋面(じゅうめん)で茶を飲む加賀男(かがお)に、素直にうなずく。  彼は湯飲みを置き、じっとこちらを見てからまた、視線を逸らした。 「時計は必ず持っていくことを忘れないでくれ。昼四つ半(10時)くらいに、出よう」 「はい。それまでに身支度をしますね」  答えながら、真鶴(まつる)は思う。  彼は神秘的な藍色の瞳の奥に、何を隠しているのだろう。どうして自分に優しくするのだろう。  問い(ただ)せば答えてくれるかもしれない。だが、なぜか冷たく返されることが怖くて、黙って目を伏せる。 (おいたわしいわ、加賀男(かがお)さまが)  昨日聞いたふゆ()の独白が、胸にちくりと刺さった、気がした。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

210人が本棚に入れています
本棚に追加