第四幕:逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに

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 遅れたというのに、ふゆ()は堂々としたものだ。しかも彼女は真鶴(まつる)に見向きもせず、ハナミの横へとしとやかに座る。 「よくも遅刻して、悪びれた様子一つもないもんだねぇ」 「女には支度がかかりますの。それを捨てたハナミ、あなたにはわからないでしょうけど」 「減らず口を叩くもんだ。今ここで食ってやってもいいんだけど、オレは」  にたり、とハナミは笑う。長い犬歯を剥き出しにするように。  二人の険悪な情調(じょうちょう)を止めたのは、誰でもなく加賀男(かがお)だ。 「そこまでにしろ、二人とも。よくきた、ふゆ()」 「加賀男(かがお)さまのためならば」  嬉しそうに微笑むふゆ()に、唾を吐きかけるような勢いで、らんは忌々しげな表情を見せた。 「貴様は相変わらず無作法な蜘蛛だな。星帝(せいてい)さまを名前呼びなどと」 「禁則事項ではございませんでしょうに。犬神、あなたはただ、羨ましいのでは?」 「小娘程度が……」  らんがこぶしを握り締めたのを、真鶴(まつる)は見る。今にも一触即発といった雰囲気だ。 「落ち着けといったはず。ここで殺気を出すことは禁じている」 「ほんに、ほんに。まっこと穏やかではないのォ」  加賀男(かがお)銀冥(ぎんめい)の言葉に、三者の間に流れた敵意のようなものが消え去っていく。  肩を軽くすくめたふゆ()が、笑みを浮かべたまま口を開いた。 「それで? 話はどこまで進みましたの?」 「人柄か、能力か、よ。あの娘、花と念話まではできておる」 「ま、いつの間にかしら。……ですが長雅花(ながみやばな)はまだ、咲かせたとは聞いてませんわね」  流し目で見つめられ、真鶴(まつる)はそれでも背筋を伸ばしたまま、視線を受け止める。  冷たい瞳だった。憎悪も怨念も通り越し、無価値なものを見るような目だ。 (これならまだ、前の方がましだったかもしれないわ)  背筋が自然と総毛立つ。だがここで、弱い自分をさらけ出すにはいかない。手の震えをこらえ、なんとか微かにうなずいた。 「ふゆ()さまの仰るとおりです。長雅花(ながみやばな)は未だ咲かせられておりません」 「(とお)の頃合いだったな、確か。裏華族(うらかぞく)のものが祝貴品(しゅくきひん)を生み出せるようになるのは」 「はい、らんさま。そのとおりです」 「アンタは十八だっけか。オレたちにとって八年ってのは短いけどさ。人の身なら長く感じるくらいの年月だよなぁ」 「この先、開花させられるか否か。中途半端なものを星帝(せいてい)どのの側に置くわけにはいかぬ」  銀冥(ぎんめい)が天を仰ぐのを見て、真鶴(まつる)は膝に置いた手を軽く、握る。  やはり、長雅花(ながみやばな)――祝貴品(しゅくきひん)を作り上げることができていない自分は、加賀男(かがお)と共にいられないのか。  歯がゆさに、唇を真一文字に結んだ、そのとき。 「長い目で見守る、というのも必要なのではありませんの? 真鶴(まつる)さんは人の子なのですもの。わたくしたちと時の流れが違って当然」  助け船を出したのは、誰であろうふゆ()だ。  突然救いの手を差し伸べられた気がして、真鶴(まつる)は思わず目を見張る。 「期間を設けて、それまでに長雅花(ながみやばな)を開花させることができたなら。皆さまも納得するものだと思いますわ、わたくし」 「期間、か。なるほど。珍しくまともなことをいうな、土蜘蛛」 「ふむん、それであるならば。まあ、許せるであろうか」 「どうしたの、アンタ。ずいぶんしおらしいじゃないのさ」  らんと銀冥(ぎんめい)がうなずく中、怪訝な顔でハナミが疑問をぶつけた。 「失礼な夜叉鬼ですこと。わたくしはただ、加賀男(かがお)さまの幸せを願うだけ」 「さて、どうだかね」 「期間はまた後で設けるとして」  ハナミを無視したふゆ()が、真鶴(まつる)を見つめる。感情が読み取れない、底知れない光がその瞳に宿っていた。 「お約束なさい、真鶴(まつる)さん。決して加賀男(かがお)さまを裏切らないと。誠実であると。幸せにすると」 「は、い。それは……もちろんです」  気配に圧倒され、しかしやっと出た言葉は本心からのものだ。  加賀男(かがお)の笑顔を大切にしたい。傍らにいて、もらった以上の優しさと心遣いを与えたい。そう思ってしまうのは、欲張りなことなのだろうか。  疑問に思う真鶴(まつる)をよそに、ふゆ()は首肯することもなく視線を三人の(おさ)へ、それぞれ送った。 「本人もこういっておりますわ。加賀男(かがお)さまが望まれることならば、わたくしたちもそれに応える、支えるのが(おさ)の勤めではなくて?」  ふゆ()が笑みを消し、畳みかける。 「仕方ない。この場は一度、収拾するとしよう」 「犬神のいうとおりじゃのォ。祝言(しゅうげん)の前に、長雅花(ながみやばな)を咲かせるまでの期間……それを設けるのは、また別の日でもいいであろ」 「そうだねぇ。オレもそれで構わないよ」  らんたちは一斉に加賀男(かがお)を見た。彼は笑みを浮かべることなく頭を下げる。 「協力、感謝する」 「やめておくれよ、星帝(せいてい)の旦那。世話になってんのはオレたちなんだからさ」 「とはいえ、まだ完全に真鶴(まつる)嬢を認めたわけではありません」 「ほんに、ほんに。まあ、またの機会に集まることにしようぞ」  あくびをする銀冥(ぎんめい)は眠たそうだ。現在は暮れ六つ(18時)の鐘が鳴って、少しばかり。きっと腹も空いたのだろう。  銀冥(ぎんめい)の様子を見たのか、加賀男(かがお)がうなずく。 「また後日に会同を開こう。今日はみな、苦労だった」 「は。それでは我らはこれにて」 「やっとこさ食事ができるってもんだ。オレ、もう腹が空いちまったよ」 「ではでは、星帝(せいてい)どの」 「ああ。気をつけて帰ってくれ」  加賀男(かがお)がゆっくり立ち上がると、(おさ)たちもそれにならう。真鶴(まつる)も静かにその場で立ち、深く一礼をした。  それにしても、ふゆ()の心変わりとあの目付き――真鶴(まつる)は退室していく(おさ)たちに礼をしながら思う。  言葉では助けてくれた。それは事実だ。だが、何か含みがあるような気がして、素直に受け止めることができない。 (わたしの心が狭量(きょうりょう)なのかしら……)  らんと銀冥(ぎんめい)、そしてハナミが退室するのを確認してから、そっとおもてを上げる。 「今日は助けられた。感謝する、ふゆ()」 「加賀男(かがお)さまのためですもの。ねえ、真鶴(まつる)さん」  ふゆ()はまだ部屋にいた。加賀男(かがお)の側におもむき、かぶりを振っている。 「は、はい。ふゆ()さまにはなんとお礼を申し上げればいいか」 「加賀男(かがお)さま、お願いがありますの」  真鶴(まつる)を無視して、彼女はあからさまにしなを作った。 「なんだろうか」 「実はここ最近、満月が近いためか体の調子が悪いのですわ。霊気が(たかぶ)る、というよりも上手く調節ができず……」  着物の袖で顔半分を覆う彼女は、確かに少しばかり青ざめている。 「天岩戸(あまのいわと)を使うか?」 「いいえ。霊気の減少だと思いますの。できることならば、星帝(せいてい)である加賀男(かがお)さまに直接、霊気の調節を、と」  加賀男(かがお)が困った様子で真鶴(まつる)の方を見てくる。 「君の城へ行くことに問題はないが……」  あ、と真鶴(まつる)は瞬時に理解した。  たぶん、彼は真鶴(まつる)を、この屋敷に一人にすることを心配してくれている。離れることを、惜しんでくれている。伝わる思いに、自然と胸が温かくなるようだ。 「あなたさま、どうぞふゆ()さまの容体を診てあげて下さい。何かあったら大変です」 「真鶴(まつる)さんもこういって下さってますし……お願いしますわ、加賀男(かがお)さま」 「わかった。先に行ってくれ。あとから向かう」 「では、蜘蛛車(くもぐるま)でお待ちしておりますわね」  唇をつり上げたふゆ()加賀男(かがお)から離れ、真鶴(まつる)の横を通り過ぎる。  彼女は何もいわなかった。嫌味や罵詈の一つすら。  扉が閉まり、真鶴(まつる)はようやく一息つくことができる。胸元を押さえ、ほっとため息をついた。 「……すまない、君を一人にしてしまう」 「気になさらないで下さい。大切なお仕事なのでしょうから」 「ああ。霊気の調節ができるのは、天岩戸(あまのいわと)以外で俺しかいない」  近付いてきた加賀男(かがお)が、真鶴(まつる)の頬を優しく撫でた。 「一日くらいで帰ってくる。君と離れるのは、寂しいが」 「あなたさま……わたしもです」  手のひらに頬擦りしてささやく真鶴(まつる)に、加賀男(かがお)は穏やかに微笑んだ。 「ツキミは置いていく。二人でゆっくり羽を伸ばすといい」 「いいえ、ちゃんとわたしの仕事をします。お帰りを待ち侘びておりますね」 「うん……いってくる、真鶴(まつる)」 「お気をつけて」  静かに、真鶴(まつる)の頬から手が離れた。  加賀男(かがお)を見送るため、真鶴(まつる)は彼の後をついて外に出る。  玄関の近くには、巨大な蜘蛛を馬代わりにした輿(こし)が止められていた。  まるで名残惜しい、といわんがばかりにこちらを見る加賀男(かがお)へ礼をして、平気なふりをよそおう。  本当は、もっとずっと一緒にいたい。だが、星帝(せいてい)としての加賀男(かがお)の仕事を(さまた)げるのは、それこそわがままというものだ。 (これが寂しい、ということ)  蜘蛛車(くもぐるま)を見送り、すっかり静まった玄関で一人、目を閉じる。  冷たい風が髪をさらっていった。ほつれた毛を手で押さえ、屋敷へと戻る。  その夜、真鶴(まつる)は一人で床についた。実家にいた頃は当然のように一人だったのに、今は胸がざわつく。加賀男(かがお)がいないだけで、抱き締められないだけで、よく眠れない。  虫一つの声もしない庭を見ながら、ただ、まどろみが来るのを待った。
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