第四幕:逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに

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「まず、加賀男(かがお)には二つの姿がある」  ふすまの側に正座した輝広(てるひろ)が、不意に告げた。 「一つは普段どおり、真鶴(まつる)嬢、君の知る姿。もうひとつは、星帝(せいてい)としての力を使った姿だ」 「星帝(せいてい)の力……」 「ヤマタノオロチ」  ぽつりとみつやが口を挟んだ。輝広(てるひろ)の後ろに座っている彼は、あからさまに顔を青ざめさせている。 「そう。理性というものが形をとるとしたら、前者。本能という形は後者、だね」 「蛇宮(へびみや)は、加賀男(かがお)がヤマタノオロチになること、蛇を使役できることからそう名付けられたんだ」 「蛇を使う……それは、こがねも含めてのこと、ですよね」 「こがね? 蛇に名をつけたの、真鶴(まつる)ちゃん。どんな蛇に名付けたの?」 「目が金色の、黒い蛇です。天乃(あまの)さまもそれはご存じで……」  真鶴(まつる)がいえば、輝広(てるひろ)たちが驚いた面持ちで顔を見合わせた。  すぐに真剣な表情で、輝広(てるひろ)は続ける。 「真鶴(まつる)嬢。君が名付けた蛇は、加賀男(かがお)自身だ」 「え……っ」 「正確にいうと霊気を形にしたもの。分身と呼べばいい代物だね」 「こがねが、天乃(あまの)さま? じゃあずっと……ずっと私の側に」 「そう、弟は長く君の側にいた、という他ない。そうでなければ、加賀男(かがお)長雅花(ながみやばな)を盗む、などという大罪を犯しはしなかったはずだよ」  真鶴(まつる)はただ、輝広(てるひろ)の声に目を見開いた。  こがねが加賀男(かがお)。そこまではなんとか理解ができる。だが、長雅花(ながみやばな)を盗んだ――その事実に、言葉が上手く出てこない。 「君とトウ子さんの母君、千津留(ちづる)さんが咲かせた長雅花(ながみやばな)。奇跡の花を盗み、君に与えたのは、加賀男(かがお)なんだよ」 「待って……待って下さい」  告げられた真実に、頭が混乱する。  七つのときにこがねを助け、それ以来友として接してきた。病に伏せ、死にそうになったのは十のとき。  考えてみれば病のために歩きもできなかった状態で、どう長雅花(ながみやばな)(まつ)られている(やしろ)にいけたというのか。 「わたしは、長雅花(ながみやばな)を使って、ない……?」 「そう、君は無実。弟はね、蛇の姿になって(やしろ)に入りこんだんだよ」 「お父さまは、それを知りません」 「私と加賀男(かがお)の父、輝政(てるまさ)が事実を知って隠蔽(いんぺい)したんだ。加賀男(かがお)影ヶ原(かげがはら)に追放。陽月(ひづき)家跡取りとしての立場を剥奪(はくだつ)されてね」 「そんな……そんなの、って」  実父に(しいた)げられていた日々。花の副作用で感情をなくし、周囲から気味悪がられていた過去。それをもたらしたのは誰でもなく、加賀男(かがお)だという。  真鶴(まつる)の体から力が抜け、その場に膝を崩した。  ――口付けを、されたことがある。  はじめての接吻ですら、きっと。いや、確実に、花の粉末を飲ませるため、加賀男(かがお)が奪ったのだろう。 「裏華族(うらかぞく)御三家から離脱させられることを、父は怖れたのだろうね。真鶴(まつる)嬢。君は、加賀男(かがお)陽月(ひづき)家を恨んでいい」 「……」  とく、とく、と胸がなる。鼓動がする。体が熱い。 「でもね、最後にこの一言、伝言だけは聞いてやってほしいんだ」 「伝言……?」 「『幸せに、真鶴(まつる)』」  加賀男(かがお)と似た声音で輝広(てるひろ)にいわれた瞬間、体の奥底で何かが弾けた気がした。それはどこか、花と念話がで来たときの感覚にも似ている。  心臓が脈打ち、体がほてった。呼気が微かに荒くなる。  真鶴(まつる)の様子を見たのだろう、輝広(てるひろ)が苦笑した。 「愚かな弟だけれどね。君を思う気持ちは、本物だ。君に対して罪悪感を抱いていたんだろうね。全く、不器用なことだ」 「……ます」 「ん?」 「知って、います。天乃(あまの)さまがわたしを思って下さっていることを……知っています」  胸へ両手を重ねた。同じ鼓動を共有したのを、今でも覚えている。  優しく抱き締められたこと。髪を()かれたこと。頬を撫でられたこと。ありとあらゆる思い出が、愛おしい。  いや、と小さく首を横に振る。  思い出にするにはまだ早い。あの手を、胸の高鳴りを、傍らに置いておきたいのだから。 「わたしは、天乃(あまの)さまに救われました」  うなずき、顔を上げた。頬をほてらせながら。 「例えそれで辛い目に遭っていても。父から(しいた)げられていたとしても。そんなもの、今のわたしにはどうでもいいことなんです」  胸からこみ上げてくる衝動。抗いがたい細波のようなものが、真鶴(まつる)の表情を、変えた。 「お姉さま。これが愛しいと思う心なのですね」  体中に弾けたのは、喜びだ。自然と口角がつり上がり、目が弧を描くのを自覚した。 「真鶴(まつる)、あなた……取り戻したのですか? 感情を」 「いいえ、全部はまだ。ただ、天乃(あまの)さまが思ってくれることが、とても嬉しいのです」  目をまばたかせるトウ子へ、真鶴(まつる)は薄く、微笑んだ。 「許してくれるのかな、陽月(ひづき)家を。そして君から全てを奪った、弟を」 「わたしは天乃(あまの)さまに救われた身です。恨みも、憎しみも、ありません」  真鶴(まつる)は笑む。今までの欠落を、取り戻そうとせんがばかりに。  全てを受け入れること、許すこと、認めること。それを人は、慈しみと呼ぶ。  慈愛だけではない。今、ただただ胸にこみ上げてくるのは喜び。  加賀男(かがお)に思われているという事実と、こがねとしても自分を見守っていてくれたことが何より嬉しい。喜ばしい。 「早く誤解を解きたいです。わたしは天乃(あまの)さまの傍らに、お側にいたい」 「それなんだけどね、真鶴(まつる)ちゃん」  真剣な顔のみつやが口を開いた。 「誤解させてしまったのは本当にごめんよ。ただね、ちょっと気になることがあって」 「気になること、ですか?」 「加賀男(かがお)のやつがあそこまで僕たちの仲を疑ったのは、やっぱり蜘蛛長(くもおさ)の入れ知恵なんじゃないかって。それに軽い地震があったろう。あの瞬間、蜘蛛の気配がしたんだ」 「ふゆ()さまが……」  笑みをなんとか消し、真鶴(まつる)は唇へ指を当て、思案する。  思えば、助け船を出したのも、加賀男(かがお)と二人きりになることを自分に了承させるためだったのではないか。みつやのいうとおり、味方のふりをして欺いていたというのなら。 「お姉さま、着物を貸して下さい」  優しさは毒、という言葉を思い出しつつ、横にいるトウ子へ頼んだ。 「着物を?」 「気を引き締め直したいのです。みつやさん、影ヶ原(かげがはら)に連れていって下さいますか?」 「もちろん。そのために陽月(ひづき)家にきたんだからね、任せてくれたまえ」     「安心してほしいな、真鶴(まつる)嬢。一応君の荷物は全て届いているから」 「そうなんですね、荷物まで……ありがとうございます」 「礼をいうのはこちらの方。弟を、よろしく頼むよ」  こくりとうなずく。小さく、それでも力強く。 「みつやさん、着替えるまで待っていて下さい。すぐに支度を済ませます」 「うん。ただね、真鶴(まつる)ちゃん。もう日が変わった。今日は満月。まつろわぬものたちの気が(たかぶ)る日だ。少し危険かもしれない。なるべく早くお願いしていい?」 「わかりました。お手間はかけさせません」 「急ぎましょう、真鶴(まつる)。荷物ならばわたくしの部屋にあります」 「はい。ありがとうございます、陽月(ひづき)さま。全てを話して下さって。わたしはこれで、前へ進めます」  清々しいとはこのことだ。三つ指を突いて礼をし、顔を引き締め直す。 「気をつけていきなさい、二人とも」  輝広(てるひろ)に首肯し、トウ子の案内で屋敷内を進む。  姉の部屋と思しき場所には、確かに自分の風呂敷が二つ、あった。 (諦めることなんてできない)  中を(あらた)める。そこには、加賀男(かがお)が買ってくれた黒留袖(くろとめそで)の一式も入っていた。  トウ子に手伝ってもらい、それに着替える。 (例え天乃(あまの)さまに嫌われても)  柄は吉祥(きっしょう)紋様――向かい鶴に立涌(たてわく)といったものを中心とした、華やかな模様。帯は白金色に近い下地に、細かく蜀江(しょっこう)紋様が描かれている。  扇とまだ手元にあった懐中時計を帯に挟み、目をつぶる。 (わたしは心からの思いを伝えたい)  す、とまぶたを開ける。 「……今、あなたのお側に」  (うた)うように呟いて、微笑んだ。
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