第五幕:願はくは われ春風に 身をなして

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「夜叉鬼。貴様まで邪気に当てられて暴れるな、阿呆が」 「あーん? 当てられちゃいないよ、まだ、ね」  瓦と茅葺(かやぶ)きの屋根を飛び跳ねるように伝い、ハナミが笑みを浮かべたまま真鶴(まつる)たちの元へ下りてきた。 「オレの娘が土蜘蛛の子飼いにやられてる。それに、ちっこい真鶴(まつる)にいわせると、どうやら星帝(せいてい)の旦那はあの女の側にいるみたいだ」 「星帝(せいてい)さまがお側に? ではやはり、この異変は全てあの女のせいか」  チッ、と舌打ちするらんは、不機嫌極まりない顔を作った。 「鬼江(おにえ)の方もめちゃくちゃになってる。アンタらのとこはどうだい」 「神代(かみしろ)も無論、気に当てられたものたちのせいで被害甚大」 「怪里(あやさと)では全員に家屋の中におれ、とは命じてきたが。ほんに厄介なことになったのォ」  三人の(おさ)が、それぞれ疑問の視線を真鶴(まつる)へ送る。 「なあ、アンタがいてどうしてこうなったんだい」 「そのとおり。真鶴(まつる)嬢、なぜあの女の下に行かせた」 「ええと……どこからお話しすれば」  純粋な問いに厳しい眼差し。どれから答えていいのか、少し悩む。  加賀男(かがお)との仲に亀裂が走ったことも踏まえて、全てを話した方がいいだろう、と結論を出した。なじられることも覚悟の上でだ。 「実は」 「待って、真鶴(まつる)ちゃん。ここで話していたらいくらあの時計があっても、危ないよ」  口を開いた真鶴(まつる)を止めたのは、周囲をうかがうみつやだった。  確かに今現在、蜘蛛は近寄ることなく後退している。だが、赤や黄色、青といったその瞳には明確な敵意があり、いつこちらに飛びかかってきてもおかしくはないだろう。  蜘蛛たちの姿を見たハナミが、鼻でせせら笑った。 「寿々(すず)家の坊や、アンタ確か、結界張れるよね?」 「そこまで強くはないものだけど。なんで? ハナミさん」 「ここで蜘蛛を食い止めるのはアンタの仕事。その隙に、オレたちは真鶴(まつる)と城へ行く」 「はぁぁあ? それってぼくに囮になれっていうことだよね?」 「同意。たまにはいいことをいうな、夜叉鬼」 「どうせ短い命であろ。ここで侠気(おとこぎ)を見せてみィ」 「勝手に短命にしないで!」  悲鳴を上げるみつやを無視し、ハナミは真鶴(まつる)に対してにやりと笑む。 「アンタもそれでいいだろ? アンタからは清浄な気を感じるよ。少なくともオレたちはアンタの側にいりゃ、おかしくなることはなさそうだ」 「皆さまが邪気に当てられない、というのは大切なことですけれど……」  真鶴(まつる)はまたもや悩んだ。みつやをここに独りで置いて、はたして大丈夫かと心配がある。みつやを見つめれば、彼は大げさなほどに肩を落とした。 「わかったよ、わかりました! こうなった責任の一端はぼくにもあるからね」  肩をすくめて、みつやはスーツから五本の小刀を取り出す。  そのまま自身の周りを囲う形で、五芒星を描くように地面へと全ての小刀を突き刺した。 「そんじゃ、坊や。任せたよ」 「()くまいるぞ、真鶴(まつる)嬢」 「え……ええ。みつやさん、ここはお願いします」 「一時間耐えられればいい方だからね! それまでに帰ってきて!」  ハナミに手を引かれ、大声を後ろに真鶴(まつる)は走り出す。らんと銀冥(ぎんめい)も、また。 「ちょいと失礼するよ」 「きゃっ」  真鶴(まつる)はハナミに、(たわら)を担ぐように体を持ち上げられ、肩に載せられる。  蜘蛛は全て、みつやの方を睨んでいた。過ぎ去る真鶴(まつる)たちへ牙を向けるものも多少はいたが、らんと銀冥(ぎんめい)が軍刀、そして赤い炎で蹴散らしていく。 「さて、と。どうしてこうなったのか、話してくれるかい?」 「……わかりました」  横並びになった(おさ)たちへ、真鶴(まつる)は事の経緯を素直に話した。  ふゆ音が霊気の調節を願い、加賀男(かがお)と共に自身の城へ戻ったこと。  停電が起き、みつやとの仲を誤解されたこと。  長雅花(ながみやばな)、ならびに真鶴(まつる)加賀男(かがお)の繋がり――それらを簡潔に、なるべく順序立てて。 「なるほど……星帝(せいてい)の旦那が影ヶ原(かげがはら)にきたのには、そんな理由があったんだねぇ」 「星帝(せいてい)さまに慕われておきつつ、付け入る隙を与えたのは落ち度だぞ、真鶴(まつる)嬢」  らんの叱咤に、真鶴(まつる)は素直に首肯する。 「はい。らんさまの仰るとおりです。わたしのせいです」 「しっかし、恋慕(れんぼ)というものは怖いのォ。星帝(せいてい)どのが我をなくすまで、ぬしを慕っていたとは、な」 「でも、聞く耳を持たなかった星帝(せいてい)の旦那もどうなのさ。そりゃあ衝撃だったかもしれないけどね」  左右に、直線に。そしてまた左右にと、複雑な道を迷わず駆けていくハナミたち。  城下町は蜘蛛でいっぱいだ。そのほとんどが今きた道、すなわちみつやの方を睨みつけている。囮として置いてきてしまったことを、真鶴(まつる)は申し訳なく思った。  辺りの家屋はぐちゃぐちゃになり、瓦礫の山が散乱している。人の形をしたものはほとんどおらず、大半が蜘蛛に変わっていた。  相変わらず不気味な赤い月が周囲を照らす中、真鶴(まつる)はものを落とさないよう帯を腕で支え、片手でハナミの着物に掴まるだけで精一杯だ。 「我をなくしたとはいえ、ここまでの異常は今までにないぞ。星帝(せいてい)さまが影ヶ原(かげがはら)に来てから九年ほど経つが……」 「もしかしたらあの女、土蜘蛛が何かまた、しでかしたのかもしれないね」 「傾国(けいこく)佳人(かじん)でも気取っているつもりかのォ、笑えぬわ」  三人の会話を聞き、胸が痛くなる。  加賀男(かがお)は無事だろうか。ひどい目に遭っていないだろうか。いや、きっと苦しませているのは、自分だ。会ってくれるか、顔を合わせてくれるかもわからない。 (天乃(あまの)さま……)  それでも、と帯を支える腕に力をこめた。 (わたしは早く、あなたさまの顔が見たいのです)  逃げないと決めたのだ。全てを受け入れ、加賀男(かがお)の傍らで微笑むためにと。 「おっ、城が見えた。ちょっくら跳ぶよ、真鶴(まつる)」 「はい……!」  まずはらんが先んじて。次いで、銀冥(ぎんめい)が。そして最後にハナミが、跳躍する。  高い。浮遊感と少しの衝撃。それでも真鶴(まつる)は目をつぶらない。全てを見届け、きちんと確認するまで、あらゆることから逃げ出すのをやめた。 「ほいっとね」  ハナミたちが着地したのは、天守閣(てんしゅかく)高欄(こうらん)内だ。ここまで高い場所にくると、月がより大きく見えた。  ハナミは存外優しい所作で、真鶴(まつる)を肩から下ろしてくれる。 「ありがとうございます、ハナミさま。運んで下さって」 「ツキミが礼になってる礼さ。さて」 「……中からの邪気がひどい」 「ぬしも感じるか、犬神。とすれば、星帝(せいてい)どのはここにおられることだろうのォ」 「あの女は、御殿ではなく天守閣で暮らしている。やはり、共にいると考えるのが自然」 「天乃(あまの)さまとご一緒……」  らんの言葉に、つきんと胸へ棘が刺さった感覚を覚えた。思いを知った今、ふゆ音と共にではなく、自分の側にいてほしい。身勝手だがそう感じる。 「なんにせよ中を見りゃいいだろうさ。壁をぶっ壊すよ!」  と、ハナミが棍棒を構えた直後だった。 「ひいッ!」  悲鳴を上げて花頭窓(かとうまど)から飛び出してきたのは、ふゆ音だ。 「ふゆ音さま!?」 「アンタッ、なんて()頓狂(とんきょう)な声上げてるんだいっ」  真鶴(まつる)から向かって右側にある花頭窓(かとうまど)を破壊し、腰を抜かしておののく彼女の顔は、恐怖に塗れている。 「あ、ああっ……加賀男(かがお)さまが……」 「天乃(あまの)さまがどうなさったんですか! ご無事なのですか?」 「お、お前……なぜ、ここにっ」  泣き出しそうな顔で、それでもふゆ音は真鶴(まつる)を睨みつけてきた。 「話はあと。何をしたのだ、星帝(せいてい)さまに。話せ、土蜘蛛」 「それ、は……」  悔しそうに、悲しそうに、ふゆ音が唇を噛んだ――刹那。 「いかん、みな、一度退避せよ!」  銀冥(ぎんめい)が声を荒げた。  らんもハナミも、そしてふゆ音もみな、何かを察する。  真鶴(まつる)は一歩、後ろに下がるしかできない。それに気付いたのだろう、ハナミが抱きかかえて後ろへと跳んでくれた。  直後、天守閣の屋根が、破砕音と共に壊される。 「くっ」 「この気は、よもや」 「……星帝(せいてい)の旦那……」  もうもうと立ちこめる白煙の中、真鶴(まつる)は見た。  巨大な――それこそ一つ三十三尺(10m)はある巨大な蛇の頭が、殻を破るように城を壊しながら出てきているのを。 「ヤマタノオロチ……」  汗の玉を浮かばせつつ、らんが呟く。  その声音に気付いたのかどうか。ただ、宙に浮いた真鶴(まつる)たちをねめつける瞳は、ホオズキのような色をしていた。  オロチの瞳の中にこもるのは、絶望と、怒り。そして。 (泣いてらっしゃるのですか、天乃(あまの)さま)  深い、強い悲しみがあることを悟った真鶴(まつる)は、手を伸ばそうとした。  だが――手が動かない。足も、爪先の一つすら動かせなかった。  畏怖。恐怖。本能が震えている。怯えている。  声の一つすら出せずにいる面々の前で、城を完全に破壊した加賀男(かがお)が、ヤマタノオロチとして顕現(けんげん)した。
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