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「夜叉鬼。貴様まで邪気に当てられて暴れるな、阿呆が」
「あーん? 当てられちゃいないよ、まだ、ね」
瓦と茅葺きの屋根を飛び跳ねるように伝い、ハナミが笑みを浮かべたまま真鶴たちの元へ下りてきた。
「オレの娘が土蜘蛛の子飼いにやられてる。それに、ちっこい真鶴にいわせると、どうやら星帝の旦那はあの女の側にいるみたいだ」
「星帝さまがお側に? ではやはり、この異変は全てあの女のせいか」
チッ、と舌打ちするらんは、不機嫌極まりない顔を作った。
「鬼江の方もめちゃくちゃになってる。アンタらのとこはどうだい」
「神代も無論、気に当てられたものたちのせいで被害甚大」
「怪里では全員に家屋の中におれ、とは命じてきたが。ほんに厄介なことになったのォ」
三人の長が、それぞれ疑問の視線を真鶴へ送る。
「なあ、アンタがいてどうしてこうなったんだい」
「そのとおり。真鶴嬢、なぜあの女の下に行かせた」
「ええと……どこからお話しすれば」
純粋な問いに厳しい眼差し。どれから答えていいのか、少し悩む。
加賀男との仲に亀裂が走ったことも踏まえて、全てを話した方がいいだろう、と結論を出した。なじられることも覚悟の上でだ。
「実は」
「待って、真鶴ちゃん。ここで話していたらいくらあの時計があっても、危ないよ」
口を開いた真鶴を止めたのは、周囲をうかがうみつやだった。
確かに今現在、蜘蛛は近寄ることなく後退している。だが、赤や黄色、青といったその瞳には明確な敵意があり、いつこちらに飛びかかってきてもおかしくはないだろう。
蜘蛛たちの姿を見たハナミが、鼻でせせら笑った。
「寿々家の坊や、アンタ確か、結界張れるよね?」
「そこまで強くはないものだけど。なんで? ハナミさん」
「ここで蜘蛛を食い止めるのはアンタの仕事。その隙に、オレたちは真鶴と城へ行く」
「はぁぁあ? それってぼくに囮になれっていうことだよね?」
「同意。たまにはいいことをいうな、夜叉鬼」
「どうせ短い命であろ。ここで侠気を見せてみィ」
「勝手に短命にしないで!」
悲鳴を上げるみつやを無視し、ハナミは真鶴に対してにやりと笑む。
「アンタもそれでいいだろ? アンタからは清浄な気を感じるよ。少なくともオレたちはアンタの側にいりゃ、おかしくなることはなさそうだ」
「皆さまが邪気に当てられない、というのは大切なことですけれど……」
真鶴はまたもや悩んだ。みつやをここに独りで置いて、はたして大丈夫かと心配がある。みつやを見つめれば、彼は大げさなほどに肩を落とした。
「わかったよ、わかりました! こうなった責任の一端はぼくにもあるからね」
肩をすくめて、みつやはスーツから五本の小刀を取り出す。
そのまま自身の周りを囲う形で、五芒星を描くように地面へと全ての小刀を突き刺した。
「そんじゃ、坊や。任せたよ」
「疾くまいるぞ、真鶴嬢」
「え……ええ。みつやさん、ここはお願いします」
「一時間耐えられればいい方だからね! それまでに帰ってきて!」
ハナミに手を引かれ、大声を後ろに真鶴は走り出す。らんと銀冥も、また。
「ちょいと失礼するよ」
「きゃっ」
真鶴はハナミに、俵を担ぐように体を持ち上げられ、肩に載せられる。
蜘蛛は全て、みつやの方を睨んでいた。過ぎ去る真鶴たちへ牙を向けるものも多少はいたが、らんと銀冥が軍刀、そして赤い炎で蹴散らしていく。
「さて、と。どうしてこうなったのか、話してくれるかい?」
「……わかりました」
横並びになった長たちへ、真鶴は事の経緯を素直に話した。
ふゆ音が霊気の調節を願い、加賀男と共に自身の城へ戻ったこと。
停電が起き、みつやとの仲を誤解されたこと。
長雅花、ならびに真鶴と加賀男の繋がり――それらを簡潔に、なるべく順序立てて。
「なるほど……星帝の旦那が影ヶ原にきたのには、そんな理由があったんだねぇ」
「星帝さまに慕われておきつつ、付け入る隙を与えたのは落ち度だぞ、真鶴嬢」
らんの叱咤に、真鶴は素直に首肯する。
「はい。らんさまの仰るとおりです。わたしのせいです」
「しっかし、恋慕というものは怖いのォ。星帝どのが我をなくすまで、ぬしを慕っていたとは、な」
「でも、聞く耳を持たなかった星帝の旦那もどうなのさ。そりゃあ衝撃だったかもしれないけどね」
左右に、直線に。そしてまた左右にと、複雑な道を迷わず駆けていくハナミたち。
城下町は蜘蛛でいっぱいだ。そのほとんどが今きた道、すなわちみつやの方を睨みつけている。囮として置いてきてしまったことを、真鶴は申し訳なく思った。
辺りの家屋はぐちゃぐちゃになり、瓦礫の山が散乱している。人の形をしたものはほとんどおらず、大半が蜘蛛に変わっていた。
相変わらず不気味な赤い月が周囲を照らす中、真鶴はものを落とさないよう帯を腕で支え、片手でハナミの着物に掴まるだけで精一杯だ。
「我をなくしたとはいえ、ここまでの異常は今までにないぞ。星帝さまが影ヶ原に来てから九年ほど経つが……」
「もしかしたらあの女、土蜘蛛が何かまた、しでかしたのかもしれないね」
「傾国の佳人でも気取っているつもりかのォ、笑えぬわ」
三人の会話を聞き、胸が痛くなる。
加賀男は無事だろうか。ひどい目に遭っていないだろうか。いや、きっと苦しませているのは、自分だ。会ってくれるか、顔を合わせてくれるかもわからない。
(天乃さま……)
それでも、と帯を支える腕に力をこめた。
(わたしは早く、あなたさまの顔が見たいのです)
逃げないと決めたのだ。全てを受け入れ、加賀男の傍らで微笑むためにと。
「おっ、城が見えた。ちょっくら跳ぶよ、真鶴」
「はい……!」
まずはらんが先んじて。次いで、銀冥が。そして最後にハナミが、跳躍する。
高い。浮遊感と少しの衝撃。それでも真鶴は目をつぶらない。全てを見届け、きちんと確認するまで、あらゆることから逃げ出すのをやめた。
「ほいっとね」
ハナミたちが着地したのは、天守閣の高欄内だ。ここまで高い場所にくると、月がより大きく見えた。
ハナミは存外優しい所作で、真鶴を肩から下ろしてくれる。
「ありがとうございます、ハナミさま。運んで下さって」
「ツキミが礼になってる礼さ。さて」
「……中からの邪気がひどい」
「ぬしも感じるか、犬神。とすれば、星帝どのはここにおられることだろうのォ」
「あの女は、御殿ではなく天守閣で暮らしている。やはり、共にいると考えるのが自然」
「天乃さまとご一緒……」
らんの言葉に、つきんと胸へ棘が刺さった感覚を覚えた。思いを知った今、ふゆ音と共にではなく、自分の側にいてほしい。身勝手だがそう感じる。
「なんにせよ中を見りゃいいだろうさ。壁をぶっ壊すよ!」
と、ハナミが棍棒を構えた直後だった。
「ひいッ!」
悲鳴を上げて花頭窓から飛び出してきたのは、ふゆ音だ。
「ふゆ音さま!?」
「アンタッ、なんて素っ頓狂な声上げてるんだいっ」
真鶴から向かって右側にある花頭窓を破壊し、腰を抜かしておののく彼女の顔は、恐怖に塗れている。
「あ、ああっ……加賀男さまが……」
「天乃さまがどうなさったんですか! ご無事なのですか?」
「お、お前……なぜ、ここにっ」
泣き出しそうな顔で、それでもふゆ音は真鶴を睨みつけてきた。
「話はあと。何をしたのだ、星帝さまに。話せ、土蜘蛛」
「それ、は……」
悔しそうに、悲しそうに、ふゆ音が唇を噛んだ――刹那。
「いかん、みな、一度退避せよ!」
銀冥が声を荒げた。
らんもハナミも、そしてふゆ音もみな、何かを察する。
真鶴は一歩、後ろに下がるしかできない。それに気付いたのだろう、ハナミが抱きかかえて後ろへと跳んでくれた。
直後、天守閣の屋根が、破砕音と共に壊される。
「くっ」
「この気は、よもや」
「……星帝の旦那……」
もうもうと立ちこめる白煙の中、真鶴は見た。
巨大な――それこそ一つ三十三尺はある巨大な蛇の頭が、殻を破るように城を壊しながら出てきているのを。
「ヤマタノオロチ……」
汗の玉を浮かばせつつ、らんが呟く。
その声音に気付いたのかどうか。ただ、宙に浮いた真鶴たちをねめつける瞳は、ホオズキのような色をしていた。
オロチの瞳の中にこもるのは、絶望と、怒り。そして。
(泣いてらっしゃるのですか、天乃さま)
深い、強い悲しみがあることを悟った真鶴は、手を伸ばそうとした。
だが――手が動かない。足も、爪先の一つすら動かせなかった。
畏怖。恐怖。本能が震えている。怯えている。
声の一つすら出せずにいる面々の前で、城を完全に破壊した加賀男が、ヤマタノオロチとして顕現した。
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