第五幕:願はくは われ春風に 身をなして

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 不意に樫の梢が、動いた。土台となっている部分がうごめき、真鶴(まつる)加賀男(かがお)を山の中へと戻す。  真鶴(まつる)は枝に触れ、幹へ額をつけて微笑んだ。 「樫さま、ありがとう」 『うむ。ワシらは少し眠る。力を使い切ったゆえに。多少枯れるが、案ずるな』  樫はそれだけいうと、真鶴(まつる)との念話を一方的に切る。その言葉どおり、伸びた樫の梢は枯れ木となり、そこら中へ力なく落ちていった。 「星帝(せいてい)の旦那」  事の経緯(いきさつ)を見守っていただろうハナミが、木々を踏み、真面目なおもてで近付いてくる。 「迷惑をかけたな、ハナミ」 「末路衣(まつろい)までするなんて、乱心にもほどがあるよ。真鶴(まつる)がいたからどうにかなったけどさ」 「……面目(めんぼく)ない」  加賀男(かがお)はハナミへ深く、頭を下げた。ハナミは嘆息し、未だ降り注ぐ花びらを手にする。 「それにしてもこの花はなんだい? これが長雅花(ながみやばな)なのかい、真鶴(まつる)」 「ええ、と……違うのではないかと思います。本物は紫色ですし、形も異なっていますし」  喜びの感情と共に咲いた花に、それでも真鶴(まつる)はただ、首を傾げることしかできない。 「なんか意味があって咲いてんのかね、これさ」 「申し訳ありません、ハナミさま。わたしにもわからなくて」  花弁と花粉は、手や体に触れれば雪のごとく溶け消えてしまう。本物の長雅花(ながみやばな)のように形をとることもない桃色の花がなんなのか、想像もできなかった。 「ハナミ、一度、土淵(つちぶち)まで戻りたい。状況を確かめるためにも。転移を頼めるか」  周囲の様子をうかがっていた加賀男(かがお)の言葉に、ハナミはうなずく。 「あいよ。真鶴(まつる)星帝(せいてい)の旦那と一緒に戻ろう。らんや銀冥(ぎんめい)も一緒にいるかもしれない」 「はい、お願いします」  真鶴(まつる)加賀男(かがお)と共にハナミの手をとり、目を閉じる。  次の瞬間、胃が持ち上がるような感覚がした。 「加賀男(かがお)真鶴(まつる)ちゃん!」  数秒もかからずに戻ってきたのだろう。みつやの嬉しそうな声が届く。  真鶴(まつる)はまぶたを開けた。地面に横座りしているふゆ()、その傍らにはらんと銀冥(ぎんめい)もいる。 「ご無事で何よりです、星帝(せいてい)さま」 「すまない。俺のせいで莫大(ばくだい)な被害を出してしまった」 「それなのですが……あちらをご覧に」  らんの神妙な声音に、加賀男(かがお)と一緒に指を差された方を見た。  街並みの瓦や煉瓦は割れたままだ。だが、木造の建物、木でできた部分だけは―― 「傷がない、だと?」 「は。謎の花びらと銀の花粉が降り注いだかと思えば、次第に元通りに」 「他に怪我人は」 「負傷者は多数おるのォ。ただ、建物に使われた木材だけは直ってきておる」  真鶴(まつる)は、次第に降る勢いをなくしている花びらを手のひらへと載せる。溶けて消えてしまう。しかし目の前の建物を見ればわかるが、木材に当たった花弁と銀粉だけは別だ。  またたいた、と思うと、破損した箇所が綺麗に、たちどころに治っていく。 「真鶴(まつる)、やはりこれは長雅花(ながみやばな)の一種かもしれない」 「え……?」  加賀男(かがお)の声に、真鶴(まつる)はたじろいだ。 「形や色が違えど、何かを治癒する、という点では似通っていると思う。不完全な長雅花(ながみやばな)だといえば説明もつく」 「これが、長雅花(ながみやばな)……」  思わず呆けてしまう。不完全なものとはいえ、長雅花(ながみやばな)を咲かせたことに戸惑いがあった。 「凄いじゃあないか、真鶴(まつる)ちゃん。完璧じゃないけど、祝貴品(しゅくきひん)の一つを作れただなんて」 「でも、どうして……?」  みつやの声に首を傾げた。なぜ、いきなり花を咲かせられるようになったのだろう。  祝詞(のりと)も我流のもので唱えた。なのに、長雅花(ながみやばな)が咲くなどということがあるのか。 (喜びを取り戻したから……?)  (とお)のときに副作用で感情を失った。裏華族(うらかぞく)の人間が祝貴品(しゅくきひん)を生み出すのも、基本その年頃だ。 「真鶴(まつる)。君は俺のせいでなくした感情を一つ、取り戻している。抑圧されていた分の力が溢れ出たのかもしれない」  加賀男(かがお)が優しく、柔らかく口角をつり上げた、そのとき―― 「加賀男(かがお)さまっ!」  何かの(まじな)いか、両手を見えない縄で括られたふゆ()が、声を張り上げた。 「……ふゆ()」 「加賀男(かがお)さま、ご理解下さいますわよね? わたくしはただ、御身をなぐさめようとしただけ……」 「君は俺のことを、おぞましいと思っているようだな」  (いわお)のような声音にだろう、ふゆ()は顔を引きつらせる。 「違いますわ。ご、誤解というもの。全て加賀男(かがお)さまを思ってのことですのよ」 「全ての声が聞こえていた。化け物だと、不気味だと」  加賀男(かがお)が一歩、前に出た。 「……君のことは、妹のように思っていたが」  褐色の人差し指をふゆ()の額にくっつければ、彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。 「罵倒するのは構わない。だが、俺に水と偽り酒を飲ませたのは、見過ごせない行為」 「お慈悲を……お慈悲を、加賀男(かがお)さま!」 「今回の件については俺にも落ち度はある。……だが、これ以上君を(おさ)として、まつろわぬものとして扱うことは、できない」  ひっ、とふゆ()が息を飲んだ。 「今ここに、土蜘蛛ふゆ()、君のまつろわぬものとしての力を、()く。戻れ、蜘蛛に」 「いやぁぁぁぁっ!」  加賀男(かがお)は冷徹にいいきったのち、額に当てていた指を勢いよく、天へと突き上げた。  ふゆ()の体が跳ねた。その全身が黄土色の光に包まれたのち、真鶴(まつる)たちの目の前で瞬時に縮んでいく。  残ったのは恐ろしいほど小さい、一匹の蜘蛛だった。 「……ふゆ()への罰は、これでしまいだ。残りは俺への処罰だな」  蜘蛛が素早く逃げていったのを見計らい、手を戻した加賀男(かがお)が一人、うなずく。 「ハナミ、らん、銀冥(ぎんめい)。お前たちはどうすべきだと思う?」 「処罰など……星帝(せいてい)として我らを導いてもらわねば、困ります」 「ってもね。この状態を、末路衣(まつろい)までして招いたのは事実だ。無罪ってわけにはいかんだろうさ」 「これは夜叉鬼が正しいぞよ。無罪にするには被害がありすぎたからのォ」 「貴様ら! 星帝(せいてい)さまに世話になっておきながら……」 「それとこれとは話が別だよ。けじめはきちんとつけなきゃいけない」  ハナミと銀冥(ぎんめい)の言葉に、らんが悔しげに歯ぎしりをした。  真鶴(まつる)加賀男(かがお)の側におもむくと、顔をうつむかせてささやく。 「申し訳ありません、あなたさま」 「何を、謝る」 「わたしがもっとはっきり、思いを告げられていたら。微笑みを浮かべられていたらと思うと……あなたさまにいらない不安をさせてしまったのは、わたしですから」  自分の不甲斐なさを言葉ににじませた真鶴(まつる)へ、加賀男(かがお)は慌てたように渋面(じゅうめん)を作った。 「君を信じられなかった俺が悪い。君とみつやとの仲を、その、色々いわれて」 「わたしがお慕いするのは、あなたさまだけです」  真鶴(まつる)が微笑んでいいきれば、加賀男(かがお)の渋いおもてがもっと深くなる。その顔つきに不安になるのは、最初、陽月(ひづき)家で出会ったときの姿を思い出したからだ。 「まだ……信じていただけませんか?」 「いや、違う。これは」  思い切ってたずねれば、今度は慌てた様子で手を振られてしまう始末だった。 「あなたさま?」 「照れてるんだよ、真鶴(まつる)星帝(せいてい)の旦那は照れてるときにも、しかめっつらをするんだ」 「……」  ハナミの笑い声に加賀男(かがお)が目を伏せ、嘆息する。 「そうなのですか?」 「……君の前では、格好つけていたかった」  観念したように呟く加賀男(かがお)の頬は、確かに赤い。 「こがねとして君と出会い、君への思いが募ったんだ、真鶴(まつる)。今でも君を見ると、その、胸が高鳴ってどうしようもないし、それに」  加賀男(かがお)が困ったように眉根を寄せ、あちこちに視線をさまよわせた。 「ああ……何から話せばいいのかわからないくらい、君を、思っている」 「あなた、さま」  微かな笑みに、優しい視線に、真鶴(まつる)の胸がとくんと高鳴る。  勝手に笑顔が浮かんでどうしようもない。とめどない喜びが全身を駆け巡る。  思い、思われる喜びと愛おしさ。花火のように心中で弾ける、嬉しいという気持ち――どれもが加賀男(かがお)だからだ。加賀男(かがお)相手だから、そうなる。 「きーめた」  ふと、ハナミが喜色めいた笑みを浮かべて声を上げた。  真鶴(まつる)が横を見れば、三人の(おさ)とみつやが何かを納得したようにうなずいている。 「そうさのォ、夜叉鬼の企みに乗るとするか」 「同意。一番の罰となるだろう」 「ぼくにもわかるくらいの罰だね、それ」  面々の台詞の意味がわからず、真鶴(まつる)加賀男(かがお)と顔を見合わせた。
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