185人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ
不意に樫の梢が、動いた。土台となっている部分がうごめき、真鶴と加賀男を山の中へと戻す。
真鶴は枝に触れ、幹へ額をつけて微笑んだ。
「樫さま、ありがとう」
『うむ。ワシらは少し眠る。力を使い切ったゆえに。多少枯れるが、案ずるな』
樫はそれだけいうと、真鶴との念話を一方的に切る。その言葉どおり、伸びた樫の梢は枯れ木となり、そこら中へ力なく落ちていった。
「星帝の旦那」
事の経緯を見守っていただろうハナミが、木々を踏み、真面目なおもてで近付いてくる。
「迷惑をかけたな、ハナミ」
「末路衣までするなんて、乱心にもほどがあるよ。真鶴がいたからどうにかなったけどさ」
「……面目ない」
加賀男はハナミへ深く、頭を下げた。ハナミは嘆息し、未だ降り注ぐ花びらを手にする。
「それにしてもこの花はなんだい? これが長雅花なのかい、真鶴」
「ええ、と……違うのではないかと思います。本物は紫色ですし、形も異なっていますし」
喜びの感情と共に咲いた花に、それでも真鶴はただ、首を傾げることしかできない。
「なんか意味があって咲いてんのかね、これさ」
「申し訳ありません、ハナミさま。わたしにもわからなくて」
花弁と花粉は、手や体に触れれば雪のごとく溶け消えてしまう。本物の長雅花のように形をとることもない桃色の花がなんなのか、想像もできなかった。
「ハナミ、一度、土淵まで戻りたい。状況を確かめるためにも。転移を頼めるか」
周囲の様子をうかがっていた加賀男の言葉に、ハナミはうなずく。
「あいよ。真鶴、星帝の旦那と一緒に戻ろう。らんや銀冥も一緒にいるかもしれない」
「はい、お願いします」
真鶴は加賀男と共にハナミの手をとり、目を閉じる。
次の瞬間、胃が持ち上がるような感覚がした。
「加賀男、真鶴ちゃん!」
数秒もかからずに戻ってきたのだろう。みつやの嬉しそうな声が届く。
真鶴はまぶたを開けた。地面に横座りしているふゆ音、その傍らにはらんと銀冥もいる。
「ご無事で何よりです、星帝さま」
「すまない。俺のせいで莫大な被害を出してしまった」
「それなのですが……あちらをご覧に」
らんの神妙な声音に、加賀男と一緒に指を差された方を見た。
街並みの瓦や煉瓦は割れたままだ。だが、木造の建物、木でできた部分だけは――
「傷がない、だと?」
「は。謎の花びらと銀の花粉が降り注いだかと思えば、次第に元通りに」
「他に怪我人は」
「負傷者は多数おるのォ。ただ、建物に使われた木材だけは直ってきておる」
真鶴は、次第に降る勢いをなくしている花びらを手のひらへと載せる。溶けて消えてしまう。しかし目の前の建物を見ればわかるが、木材に当たった花弁と銀粉だけは別だ。
またたいた、と思うと、破損した箇所が綺麗に、たちどころに治っていく。
「真鶴、やはりこれは長雅花の一種かもしれない」
「え……?」
加賀男の声に、真鶴はたじろいだ。
「形や色が違えど、何かを治癒する、という点では似通っていると思う。不完全な長雅花だといえば説明もつく」
「これが、長雅花……」
思わず呆けてしまう。不完全なものとはいえ、長雅花を咲かせたことに戸惑いがあった。
「凄いじゃあないか、真鶴ちゃん。完璧じゃないけど、祝貴品の一つを作れただなんて」
「でも、どうして……?」
みつやの声に首を傾げた。なぜ、いきなり花を咲かせられるようになったのだろう。
祝詞も我流のもので唱えた。なのに、長雅花が咲くなどということがあるのか。
(喜びを取り戻したから……?)
十のときに副作用で感情を失った。裏華族の人間が祝貴品を生み出すのも、基本その年頃だ。
「真鶴。君は俺のせいでなくした感情を一つ、取り戻している。抑圧されていた分の力が溢れ出たのかもしれない」
加賀男が優しく、柔らかく口角をつり上げた、そのとき――
「加賀男さまっ!」
何かの咒いか、両手を見えない縄で括られたふゆ音が、声を張り上げた。
「……ふゆ音」
「加賀男さま、ご理解下さいますわよね? わたくしはただ、御身をなぐさめようとしただけ……」
「君は俺のことを、おぞましいと思っているようだな」
巌のような声音にだろう、ふゆ音は顔を引きつらせる。
「違いますわ。ご、誤解というもの。全て加賀男さまを思ってのことですのよ」
「全ての声が聞こえていた。化け物だと、不気味だと」
加賀男が一歩、前に出た。
「……君のことは、妹のように思っていたが」
褐色の人差し指をふゆ音の額にくっつければ、彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「罵倒するのは構わない。だが、俺に水と偽り酒を飲ませたのは、見過ごせない行為」
「お慈悲を……お慈悲を、加賀男さま!」
「今回の件については俺にも落ち度はある。……だが、これ以上君を長として、まつろわぬものとして扱うことは、できない」
ひっ、とふゆ音が息を飲んだ。
「今ここに、土蜘蛛ふゆ音、君のまつろわぬものとしての力を、解く。戻れ、蜘蛛に」
「いやぁぁぁぁっ!」
加賀男は冷徹にいいきったのち、額に当てていた指を勢いよく、天へと突き上げた。
ふゆ音の体が跳ねた。その全身が黄土色の光に包まれたのち、真鶴たちの目の前で瞬時に縮んでいく。
残ったのは恐ろしいほど小さい、一匹の蜘蛛だった。
「……ふゆ音への罰は、これでしまいだ。残りは俺への処罰だな」
蜘蛛が素早く逃げていったのを見計らい、手を戻した加賀男が一人、うなずく。
「ハナミ、らん、銀冥。お前たちはどうすべきだと思う?」
「処罰など……星帝として我らを導いてもらわねば、困ります」
「ってもね。この状態を、末路衣までして招いたのは事実だ。無罪ってわけにはいかんだろうさ」
「これは夜叉鬼が正しいぞよ。無罪にするには被害がありすぎたからのォ」
「貴様ら! 星帝さまに世話になっておきながら……」
「それとこれとは話が別だよ。けじめはきちんとつけなきゃいけない」
ハナミと銀冥の言葉に、らんが悔しげに歯ぎしりをした。
真鶴は加賀男の側におもむくと、顔をうつむかせてささやく。
「申し訳ありません、あなたさま」
「何を、謝る」
「わたしがもっとはっきり、思いを告げられていたら。微笑みを浮かべられていたらと思うと……あなたさまにいらない不安をさせてしまったのは、わたしですから」
自分の不甲斐なさを言葉ににじませた真鶴へ、加賀男は慌てたように渋面を作った。
「君を信じられなかった俺が悪い。君とみつやとの仲を、その、色々いわれて」
「わたしがお慕いするのは、あなたさまだけです」
真鶴が微笑んでいいきれば、加賀男の渋いおもてがもっと深くなる。その顔つきに不安になるのは、最初、陽月家で出会ったときの姿を思い出したからだ。
「まだ……信じていただけませんか?」
「いや、違う。これは」
思い切ってたずねれば、今度は慌てた様子で手を振られてしまう始末だった。
「あなたさま?」
「照れてるんだよ、真鶴。星帝の旦那は照れてるときにも、しかめっつらをするんだ」
「……」
ハナミの笑い声に加賀男が目を伏せ、嘆息する。
「そうなのですか?」
「……君の前では、格好つけていたかった」
観念したように呟く加賀男の頬は、確かに赤い。
「こがねとして君と出会い、君への思いが募ったんだ、真鶴。今でも君を見ると、その、胸が高鳴ってどうしようもないし、それに」
加賀男が困ったように眉根を寄せ、あちこちに視線をさまよわせた。
「ああ……何から話せばいいのかわからないくらい、君を、思っている」
「あなた、さま」
微かな笑みに、優しい視線に、真鶴の胸がとくんと高鳴る。
勝手に笑顔が浮かんでどうしようもない。とめどない喜びが全身を駆け巡る。
思い、思われる喜びと愛おしさ。花火のように心中で弾ける、嬉しいという気持ち――どれもが加賀男だからだ。加賀男相手だから、そうなる。
「きーめた」
ふと、ハナミが喜色めいた笑みを浮かべて声を上げた。
真鶴が横を見れば、三人の長とみつやが何かを納得したようにうなずいている。
「そうさのォ、夜叉鬼の企みに乗るとするか」
「同意。一番の罰となるだろう」
「ぼくにもわかるくらいの罰だね、それ」
面々の台詞の意味がわからず、真鶴は加賀男と顔を見合わせた。
最初のコメントを投稿しよう!