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真鶴は肩を震わせ、声のした方に顔を向ける。日の差さない暗がりから何者かの気配がした。
「勝手をして申し訳ありません。客間に用があります」
通路の奥は暗い。よく見えない、見知らぬ存在へ声をかけてみた。
「……客間なら中央の部屋だ」
「ありがとうございます」
相変わらず姿を現さない存在に、一つ頭を下げる。場所を知っているということは、もしかしたら陽月家の使用人なのかもしれない。
声はよく通る低音で、どこか優しかった。咎められなかったことに胸を撫で下ろし、顔を上げて暗闇へ背を向ける。
客間にはすぐについた。一呼吸置いたのち、膝をついて背を正す。
「失礼いたします。真鶴です」
返答はない。そっとふすまを開け、三つ指で礼をする。
「さっさと入れ、グズが」
罵声は、父、葉太郎のものだった。
見苦しくない程度に真鶴は素早く戸を閉め、中に入る。その横で縮こまるように立ち、室内をそっと確認した。
広い部屋だ。書院造りの客間は華美ではない。だが、松の床板や真新しい畳、立派な焦げ茶の床柱などには、贅を尽くしているさまがありありと見受けられる。
机の側に、人の形をした陽炎が座っていた。陽炎の顔は見えないが、真鶴はすぐに誰かを理解する。陽月家の現当主、輝政だ。能力を使い、映し身をここに置いているのだろう。
「葉太郎どの、あれがまだ来ていないようで申し訳ない」
「お気になさらず。こちらこそ出来損ないの愚鈍さを見せ、お恥ずかしい限り」
答えたのは、机の上に置かれたガクアジサイだった。花の思念を読み取れない真鶴にも、声はしっかりと届く。古野羽家の男子が受け継ぐ、草花を通しての対話術だ。
「まずは座りなさい」
「はい……失礼いたします」
揺らめく輝政の言葉に、ただそのとおりにすることしかできない。
陽炎の見えない瞳が、こちらを射貫いているようだ。見返すことができず、真鶴は静かに目を伏せた。
(お父さまも陽月さまも、わたしを怒ってる)
内心で思いつつ、微動だにすることなく威圧感に耐える。
裏華族の御三家が、日の国を守るために作り上げる代物――人呼んで祝貴品。古野羽家の女人だけが咲かせられる祝貴品、長雅花を枯らしたのは、真鶴だ。
正確に言うと、故意に枯れさせたわけではない。母、千津留が咲かせた一輪の長雅花。その力は治癒である。
病も怪我もたちどころに治すという奇跡の花を、御三家直下の社へ献上した際に、自分は使ってしまった……らしい。
高熱と胸の苦しさでほとんど記憶はない。が、重度の肺炎から快復した真鶴を見て、葉太郎が青ざめていたことだけはしっかり覚えていた。怒声と共に殴られたことも。
同じく肺炎だった母は、長雅花を使用せずに死んでいる。
祝貴品を私情で使うことなかれ――
御三家暗黙の決まりごとを破った真鶴は、裏華族から忌避される存在となり果てたのである。
(これは、わたしが背負う罪)
少しうつむき、唇を噛みしめる。
怒りと憎悪、二つの感情はしっかりと、ガクアジサイから伝わってきた。
なぜお前だけが生きている。出来損ないのお前がなぜ――
そう聞こえた。いや、父は言葉に出してはいない。だがわかる。巨大な負の念に、膝へ置いた手が震えはじめた、ときだ。
「入る」
す、とふすまが開く。
窮屈そうに入ってきたのは、恐ろしいほど長躯の男だ。亜麻色の着物に映える肌は褐色、三つ編みに結われた髪は銀色。思わず見上げた真鶴は唖然とする。
約四尺九寸程度の自分と比べて、かなり差があった。たぶん、背の丈は六尺はあるだろう。前を見据える切れ長の瞳は、不思議と藍色がかっていた。
(異国の方なのかしら……)
見知らぬ殿方を眺めるのはぶしつけだと思い、真鶴はすぐに顔を元に戻す。
陽炎が一つ、うなずいた。
「来たか、加賀男」
「なんのご用か」
加賀男と呼ばれた男はそっけない。が、真鶴にはその声が、二階の廊下でここを教えてくれた誰かのものに似ている、と気付く。
「まずは座れ。暑苦しい」
輝政の言葉に、加賀男はふすまを閉めると、真鶴と距離を置いてあぐらをかいた。
「真鶴嬢。これなるは天乃加賀男。我が息子にして、まつろわぬものどもの長」
重々しい声に、真鶴は軽く目を見開く。
裏華族には連なってはいないが、天乃家は御三家の中でも有名だ。
まつろわぬものども――すなわち、俗に言うあやかしたち。
彼らをなだめ、調停する役割の一族が天乃家だということは、真鶴も知るところだった。その頂点に立つ存在が、なぜここに来たのだろう。
「天乃……さま」
「そうだ。そしてお前は、加賀男どのに嫁げ」
「……え?」
父の言葉に呆け、思わず疑問の声音が、出た。
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