第一幕:有明の つれなく見えし 別れより

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「不服でもあるのか」 「い、いえ」  葉太郎(ようたろう)の不機嫌な声に、真鶴(まつる)は小さくかぶりを振り、否定する。 「力も使えんお前をここまで育ててきた。その恩を返すと思えば気楽だろう」 「……はい」  うつむきながら、ささやいた。  けれど――と疑問に思う。  出来損ないであり、御三家から忌み嫌われている自分を、なぜ高名な天乃(あまの)家へ嫁がせようとするのか。それがわからない。  横目で加賀男(かがお)の方をうかがう。彼は、祝い事の話題にもかかわらず、暗い面持ちをしていた。 (当然だわ。わたしを押し付けてしまうのだもの)  真鶴(まつる)加賀男(かがお)から顔を背け、まぶたを閉じる。 「これは(よわい)二十三。なれど未だ婚約者の一人も持たぬ。(めかけ)の息子だが、陽月(ひづき)家の血を引くには違いない」  陽炎(かげろう)がため息のようなものをついた。 「それに、天乃(あまの)家の(おさ)――星帝(せいてい)に子孫がなくては、あやかしどもを抑える血が絶える」 「そこで白羽の矢が立ったのが、お前だ。意味はわかるな」  二人の言葉に、真鶴(まつる)はようやく合点(がてん)がいった。 (天乃(あまの)さまの子を産み、あやかしに食われろというのね)  あやかしたちは気位が高いという。人を食うもの、()くものも多いと聞いた。  例え裏華族(うらかぞく)の人間でも、力をほとんど持たない真鶴(まつる)が、彼らに気に入られるはずはない。それを見越して、葉太郎(ようたろう)は縁談を持ち上げたのだ。  父は、暗に死ねと言っている。  そのことに寂しさも、悲しさも、浮かび上がってはこなかった。 「(おお)せつかります」  真鶴(まつる)は指をつき、深々と頭を下げる。 「よろしい。加賀男(かがお)、お前にも拒否権はない。陽月(ひづき)家当主の命である」 「……承知した」  おもてを上げた真鶴(まつる)は見た。確かに彼が、渋面(じゅうめん)を作っていることを。  もしかすれば、思い人がいたのかもしれない。心許した女性が、自分以外に存在するのかもしれない。 (ごめんなさい、天乃(あまの)さま。出来損ないのわたしで)  申し訳ないと思う気持ちを胸に秘め、再び輝政(てるまさ)たちへと向き直る。 「承認、確かに。あとは二人で決めるべし。これから大切な祝言(しゅうげん)があるゆえ、退室する」 「期日になったら家を出ろ。お前にそれ以上の猶予(ゆうよ)はやらん」  言うが早いか、陽炎(かげろう)が素早く消え去った。ガクアジサイも枯れはじめている。 「お父さま」  聞こえているかはわからない。だが、真鶴(まつる)はつい声を上げる。 「今まで、ありがとうございました」  返答など当たり前のようになく、ガクアジサイは茶色に変貌した。  真鶴(まつる)の言葉が、沈黙が下りた部屋へ溶け消える。  あとに残るは妙な緊張感だ。加賀男(かがお)は微動だにしない。 「……天乃(あまの)さま」  真鶴(まつる)は座ったまま、彼の方へ姿勢を変えた。 「ふつつかな身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」 「君は」  頭を下げようと思ったとき、ぼそりと加賀男(かがお)が、呟く。 「なんでしょうか?」 「……いや。その、まつろわぬものたちは、そんなに怖くはないと思う」  意外な言葉に、真鶴(まつる)は目をまたたかせた。声は小さいが、こめられた感情は、優しい。 「そうなんですね。気を遣わせてしまってごめんなさい、天乃(あまの)さま」  答えれば、加賀男(かがお)がはじめて、はっきりとこちらを向いた。  大きく、がっしりとしている体。宵の入りに似た藍色の瞳。銀色の三つ編みは腰まである。話す声は若干太いも、透明感を漂わせる不思議な音色だ。 「俺は、義務を果たす。君は権利を行使すればいい」 「権利?」 「星帝(せいてい)の妻、という権利だ。まつろわぬものたちが君に危害を加えないよう、尽力する」  はっきりと言われ、真鶴(まつる)は戸惑った。  だが、義務と権利。政略結婚の上で互いを繋ぎ止めるのは、確かにその二つしかないだろう。  それでも、出来損ないの自分を尊重してくれる加賀男(かがお)の気遣いが、ありがたかった。 「ありがとうございます。皆さまにご迷惑をかけるような真似は、しませんから」 「身支度に、どれくらい時間がかかるだろうか」 「荷物はそんなにありませんので。三日ほどいただければ」 「わかった。三日後、暮六つ(18時)近くに迎えに行く」  うなずいた加賀男(かがお)が立つ。真鶴(まつる)もまた、首を縦に振った。  ふすまを開け、外に出た彼が一つ、こぼす。 「……()()()によろしく伝えてくれ」 「えっ?」  思わず聞き返すも、目の前で障子は閉じられた。  残された真鶴(まつる)は、加賀男(かがお)の言葉を思い返すことしかできない。 「どうして……こがねのことを」  疑問を口にしても、広い客間に自分の声だけが、消えていく。
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