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「不服でもあるのか」
「い、いえ」
葉太郎の不機嫌な声に、真鶴は小さくかぶりを振り、否定する。
「力も使えんお前をここまで育ててきた。その恩を返すと思えば気楽だろう」
「……はい」
うつむきながら、ささやいた。
けれど――と疑問に思う。
出来損ないであり、御三家から忌み嫌われている自分を、なぜ高名な天乃家へ嫁がせようとするのか。それがわからない。
横目で加賀男の方をうかがう。彼は、祝い事の話題にもかかわらず、暗い面持ちをしていた。
(当然だわ。わたしを押し付けてしまうのだもの)
真鶴は加賀男から顔を背け、まぶたを閉じる。
「これは齢二十三。なれど未だ婚約者の一人も持たぬ。妾の息子だが、陽月家の血を引くには違いない」
陽炎がため息のようなものをついた。
「それに、天乃家の長――星帝に子孫がなくては、あやかしどもを抑える血が絶える」
「そこで白羽の矢が立ったのが、お前だ。意味はわかるな」
二人の言葉に、真鶴はようやく合点がいった。
(天乃さまの子を産み、あやかしに食われろというのね)
あやかしたちは気位が高いという。人を食うもの、憑くものも多いと聞いた。
例え裏華族の人間でも、力をほとんど持たない真鶴が、彼らに気に入られるはずはない。それを見越して、葉太郎は縁談を持ち上げたのだ。
父は、暗に死ねと言っている。
そのことに寂しさも、悲しさも、浮かび上がってはこなかった。
「仰せつかります」
真鶴は指をつき、深々と頭を下げる。
「よろしい。加賀男、お前にも拒否権はない。陽月家当主の命である」
「……承知した」
おもてを上げた真鶴は見た。確かに彼が、渋面を作っていることを。
もしかすれば、思い人がいたのかもしれない。心許した女性が、自分以外に存在するのかもしれない。
(ごめんなさい、天乃さま。出来損ないのわたしで)
申し訳ないと思う気持ちを胸に秘め、再び輝政たちへと向き直る。
「承認、確かに。あとは二人で決めるべし。これから大切な祝言があるゆえ、退室する」
「期日になったら家を出ろ。お前にそれ以上の猶予はやらん」
言うが早いか、陽炎が素早く消え去った。ガクアジサイも枯れはじめている。
「お父さま」
聞こえているかはわからない。だが、真鶴はつい声を上げる。
「今まで、ありがとうございました」
返答など当たり前のようになく、ガクアジサイは茶色に変貌した。
真鶴の言葉が、沈黙が下りた部屋へ溶け消える。
あとに残るは妙な緊張感だ。加賀男は微動だにしない。
「……天乃さま」
真鶴は座ったまま、彼の方へ姿勢を変えた。
「ふつつかな身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「君は」
頭を下げようと思ったとき、ぼそりと加賀男が、呟く。
「なんでしょうか?」
「……いや。その、まつろわぬものたちは、そんなに怖くはないと思う」
意外な言葉に、真鶴は目をまたたかせた。声は小さいが、こめられた感情は、優しい。
「そうなんですね。気を遣わせてしまってごめんなさい、天乃さま」
答えれば、加賀男がはじめて、はっきりとこちらを向いた。
大きく、がっしりとしている体。宵の入りに似た藍色の瞳。銀色の三つ編みは腰まである。話す声は若干太いも、透明感を漂わせる不思議な音色だ。
「俺は、義務を果たす。君は権利を行使すればいい」
「権利?」
「星帝の妻、という権利だ。まつろわぬものたちが君に危害を加えないよう、尽力する」
はっきりと言われ、真鶴は戸惑った。
だが、義務と権利。政略結婚の上で互いを繋ぎ止めるのは、確かにその二つしかないだろう。
それでも、出来損ないの自分を尊重してくれる加賀男の気遣いが、ありがたかった。
「ありがとうございます。皆さまにご迷惑をかけるような真似は、しませんから」
「身支度に、どれくらい時間がかかるだろうか」
「荷物はそんなにありませんので。三日ほどいただければ」
「わかった。三日後、暮六つ近くに迎えに行く」
うなずいた加賀男が立つ。真鶴もまた、首を縦に振った。
ふすまを開け、外に出た彼が一つ、こぼす。
「……こがねによろしく伝えてくれ」
「えっ?」
思わず聞き返すも、目の前で障子は閉じられた。
残された真鶴は、加賀男の言葉を思い返すことしかできない。
「どうして……こがねのことを」
疑問を口にしても、広い客間に自分の声だけが、消えていく。
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