第一幕:有明の つれなく見えし 別れより

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 ……結局、真鶴(まつる)は式に出ることも許されず、宴会に参加することもなく自宅に戻った。 (結婚。わたしは天乃(あまの)さまの下に、嫁ぐ)  帰路の途中ずっと、突きつけられた事実だけが脳裏をよぎる。 (でも、どうして天乃(あまの)さまが、こがねのことを知っていたのかしら)  こがねはもしかしたら、あやかしなのかもしれない。あれほど賢い蛇なのだ。そうだったら納得がいく。  「まつろわぬものたちは怖くない」と言ってくれた、加賀男(かがお)の言葉を想起した。こがねのような穏やかなあやかしたちなら、親しくなることもできるだろう。  一人うなずき、裏口から離れへと入る。少し冷たい風に、草木がさわさわと揺れていた。 『お帰り、真鶴(まつる)』 『早かったのね。せっかくおめかしをしたのに』 「わたしがおしゃれをしても、意味はないわ」  ヤツデとユズリハの念話に答えつつ、庭の横にある炊事場へと向かう。喉の渇きを覚え、冷やしておいた茶を静かに飲んだ。  改めて、木々が生い茂る庭を見つめた。自分が天乃(あまの)家に嫁げば、この離れは取り壊されるだろう。大方の見当はつく。 (せめて庭だけでも残してほしいけれど)  内心でため息をつきながら、湯飲みを洗った。 「こことも、さようならするのね」 『真鶴(まつる)や』  外に出たと同時に、樫の木の思念が頭に響く。 「じいや」 『お前は星帝(せいてい)さまの下に嫁ぐのだろう』 「どうしてそれを知っているの?」 『例えどのような場所であろうとも、我らは芽吹いておるためにな』 「……盗み聞きをしたということ?」 『口が悪い』  だが、樫は否定しなかった。  砂利を踏みしめて樫の木へ近付き、滑らかな幹に手を触れる。 「わたし、天乃(あまの)さまのところへお嫁に行きます。上手くなじめるか、わからないけれど」 『星帝(せいてい)さまは立派なお方。きっと無下にはすまいよ』 「そうね。みんな、今までありがとう」 『我らは常にお前と共にある。案ずるな』 「……はい」  穏やかな声音に、少し緊張が解けた。  木から離れ、家の中へと入る。荷造りをしなければいけない。それと、簡易な掃除も。 「そういえば、お母さまの形見をいただいたわ」  思い出し、鏡台前へ正座した。抽出(ひきだし)を確認してみれば、(くし)の他に封筒が入れられている。  中をあらためた。蝶がついた二本足のかんざしは、母がずっとつけていたものだ。  その他には、新二十(えん)硬貨が数枚と一枚の手紙が入っている。  手紙には達筆な文字で「何かに使いなさい」という文字と共に、トウ子の名前が記載されていた。 「お姉さま……ありがとう。こんなによくしてくれて」  姉の気遣いに、しかし感情は働かない。嬉しいはずだ。だが、顔にも心にも、何も変化はなかった。  封筒を胸に抱き、目を閉じる。 (お姉さまのように、わたしも強く……優しく、ありたい)  加賀男(かがお)の姿を思い出した。夫となる相手の姿を。例え彼が他に思い人を描いていようと、妻としての役目は果たそう、と決める。  しばらく姉への感謝に思いを馳せ、それから我に返った。 「……身支度をしなくては」  一人呟き、小さなたんすを開く。  身支度、とはいったものの、さして必要なものが思い浮かばない。着るもの数着、それに、姉から与えられた硬貨とかんざしがあれば十分だ。  大きな風呂敷に、姉が差し入れてくれた着物、洋装の類いを畳んで入れていく。洋服は一度も着たことはないが、たんすの肥やしにするのも忍びなかった。 「あとは、掃除ね」  風呂敷を二つほど準備し終えた、そのとき。  藪が鳴る。はっとして振り向けば、いつもは夜に来るはずの友人が、草むらで頭をもたげているのが見えた。 「こがね。だめでしょう、昼に出てきては。また傷を負うかもしれないのに」  真鶴(まつる)は友を迎えるために、縁側へと向かう。  こがねは、いつものように平然とした様子で、真鶴(まつる)の方へ寄ってきた。 「これからは手当てしてあげられないの。だから、もう……ここに来てはだめよ」  言って、手の甲を差し出した。こがねは犬がそうするように、冷たい頭頂部を押し付けてくる。  こがねとは、母が病に伏せはじめた頃に出会った。路地裏で子どもたちにつつかれていたところを、真鶴(まつる)が見かねて助けたのだ。それから数えて十一年。負った傷は、今では見る影もない。 「あなたはあやかしなの? 天乃(あまの)さまのことを知っているかしら」  とぐろを巻く友人に、平坦な口調でたずねてみる。 「天乃(あまの)さまは確かに言ったわ。「こがねによろしく」って。あなたと天乃(あまの)さまはお友達なの?」  問いかけで気分を害したようだ。こがねはつれなく、そっぽを向く。 「答えてくれてもいいのに」  真鶴(まつる)は一つ嘆息し、陽射しで身を温める友人を見つめた。金色の瞳は閉じられている。 「……わたしは天乃(あまの)さまのところへお嫁に行くわ。あなたも……来る?」  こがねは相変わらず、日当たりで心地よさそうにしているだけだ。 「そうよね。あなたはきっと、自由でありたいわよね」  真鶴(まつる)は天を仰ぎ、()に目を細める。 「今までありがとう、こがね。わたしの寂しさをなぐさめてくれて。天乃(あまの)さまの家がどこにあるかわからないけれど、また会えたら嬉しいわ」  自分は三日後、どこにいるか不明だ。生きていける保証だって、ない。  だからこそ残された時間、友や草木と穏やかなときを共有したいと、心から思った。
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