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おかえり
あの内戦から20年が経っていた。
シオは37歳になった。いくら両親に進められても結婚もせず、卒業した中学校の教師になって、ずっと同じ家に住んでいた。
その間も、中川の家に風を通し、劣化した場所は佐藤家が直し、シオの気持ちを汲んで、両親もあきらめてすごしていた。
そろそろ暑くなってきた、初夏に、毎週決まって窓を開けに行っていた中川家に入り、シオは中川家の窓と言う窓を開け払った。
もやりとした少し熱のこもった空気が窓の外に流れて行き、家に風がいきわたるまで、シオはケンの部屋に入り、ケンが置いて行った中学校の時に軽音楽部で練習していた楽譜を見ていた。
それに合わせてハミングしていた時、
「こんにちは。」
と、ケンの家の玄関で声がした。
お隣という事もあり、この家には誰も住んでいないと言う事もあったのでうっかり玄関のカギを開けっぱなしにしていたのだった。
誰も来るはずのない家に、誰が訪ねて来たのだろう?
シオは大慌てで、玄関に降りて行った。
そこには、一人の男性が立っていた。
「シオ?」
「ケン?」
お互いに一言ずつ言ったきり、泣き崩れながら玄関の上がり口で抱き合っていた。
しばらくは言葉もなくただ、再会を喜び涙を流していたが、二人共落ち着きを取り戻すと、一旦はケンの家の窓を閉め、佐藤家に場を移して、これまでのケンの話を聞くことにした。
聞けば、ケンは記憶を失ったきり18年間も最初にお世話になった病院で働いていたとのことだった。
ある時、その病院に、ウルギーで爆破された集合住宅の隣に住んでいた日本人がやってきた。
ケンの父親と同じ会社だったその人はケンが生きていたことに驚き、急いで会社に連絡をして、ケンの身元が分かるように会社から日本大使館に掛け合った。
そうして、ケンがきちんと身元を証明できた頃、隣の住人だった日本人の顔を見たケンは、自分がウルギーにいたことを思い出した。目覚めた場所がウルギーから離れていたことや、ケンを知っている人がいなかった為、記憶を思い出す少しのきっかけが足りなかっただけの様だった。
ただ、日本への連絡先は自宅しかわからず、大使館の人間も替わっていたので、連絡先が佐藤家だということも知らず、自分が持っていたスマホがあるはずもなく、シオへは連絡できずにいたのだった。
病院への恩もあり、すぐに人手不足の病院をやめることもできず、そのまま2年程、病院で手伝った後、きちんと引継ぎをしてケンはようやく日本へ帰る決心をしたのだった。
まだ中学生だったケンは両親が自分の家の管理を佐藤家に頼んでいたことも知らずにいた。
だから自分の家がまだあるかどうかもわからないまま、それでも、日本にはシオがいるから。という思いを持って帰って来たのだった。
自宅のあった場所に行くと、誰もいないはずの自宅の窓は開け放たれ、女性のハミングが聞こえる。
『あぁ、もう、この家は誰か別の人が住んでいるんだ。』
そう考えたが、どうしても声をかけずにはいられずに、玄関を訪ねたのだった。
佐藤家では両親が大喜びでケンを迎えた。そうして、ケンの両親が亡くなってしまったことを全員でおおいに悲しみ、その日の夜はケンが久しぶりに食べるであろう、日本のお惣菜をシオと、シオの母親がたくさん作った。
懐かしい味に涙を流しながら、一箸一箸食べて行くケンを見て、シオの両親は食事は佐藤家で摂るようにケンに強く勧めた。
ウルギー近辺の食事がどんなだったかはわからないが、病院だけで過ごしていたケンは痩せて、色は青白く、とても健康には見えなかったからだ。
眠るのは、もし、落ち着かなければ中川の家で眠ってもいいし、佐藤家で眠っても問題はないと、ケンをまるで息子の様に労わった。
元よりシオと幼馴染だったケンは佐藤家の両親にとっても息子のようなものだったのだし、娘のシオはケンが生きていることを信じて、これまで生きてきたのだ。
元気になって、また、ケンとシオが二人で楽しい時間を過ごしてくれればいい。と、両親は切に願った。
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