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紅の村
虚仮の一念岩をも通す──とは、よく言ったものだ。
窓の外で作務衣姿の村人たちが行き交っている。その向こうには紅花畑。
「紅緒さん、今日の紅を」
窓辺に立つ君に毎日僕は口紅を点す。
少女のようなあどけない面差しに真白な着物、君は僕の妹に少し似ている。
この村名産の紅花だけで作られる純正の紅は深い緑の玉虫色。これを水で溶くと緑から鮮やかな赤に変わる。不思議で、とても美しい。
「失礼します」
僕は小皿の水で濡らした薬指を紅猪口の内側に滑らせた。指先についた赤を丁寧に君の唇へ塗り重ねる。
そして今日も同じ質問をした。
「この村の名は何ですか」
今ネットで話題の『場所も村名も不明だが、それを知るだけで呪われる』という村。
そんな眉唾な噂に縋って僕は何日も村を探し──気が付くと君の前で、君に紅を点していた。
すぐにわかった。虚仮にされ続けた僕の一念が通ったのだと。なぜなら。
(ここには色がない……)
紅花畑も村人も僕自身も、みな古い写真のように色褪せている。
君と、この紅以外は。
「……知ってどうするの」
初めて君が僕の質問に反応した。
「ヤツに伝える」
僕はポケットからスマホを取り出した。
非力な僕はヤツに毎日のように凌辱され、その毒牙は僕の妹にまで。
傷つき果てた妹は学校の屋上から空に飛んだ。
「……そう」
かすかに微笑んだ君が僕の耳元に唇を寄せる。
「ねえ、紅花の別名を知ってる?」
「え?」
「この村の名はね、……」
その瞬間、僕の腕から皮膚がズルリと垂れ下がった。
「……っ!? ぅ、あああっ!!」
世界が急激に色付き始める。
辺りは朽ち果てた家屋が点在し、その周囲には黒い塊と化した死体。現実の中、腐敗した僕の身体が綻んでゆく。
「ぐ……っ」
だが薬指だけはまだ動く。僕はその指で、細く電波を繋ぐスマホから村の名をヤツに送信した。
「終わった?」
ああ、君だけはどの世界でも美しい。
(神……? それとも……)
目の前で玉虫色に艶めく唇が弧を描いた。
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