ラスト・オブ・文豪5

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ラスト・オブ・文豪5

「栄太郎!」 「残り時間はあと十秒…九…八」 「校了…」 司会者がカウントダウンを行うと、栄太郎はガラスペンを机に置いた。栄太郎が原稿を書き上げた時、電光掲示板に表示されていた制限時間は残りわずか五秒。 「良かった……間に合った」 安心してホッと胸を撫で下ろす木下だったが、何故栄太郎は何故制限時間ギリギリに書き終えたのか疑問だった。 「さぁ!それでは、両者の原稿をこの声優さんに読んで頂きます!」 舞台袖から登場したのは、超人気のベテラン男性声優だった。予想外の人物の登場に会場の観客は歓声を上げた。 ステージの中央にある椅子に座った男性声優に、スタッフは先に書き上げた江戸川乱歩AIの原稿を手渡す。 それを見た栄太郎は席を立ち、原稿を持ってスタスタと男性声優に近寄った。 「俺の原稿から先に読んでくれよ。おっさん」 「お…おっさん?」 原稿を差し出す栄太郎の放った言葉に会場はざわめいた。その彼の突然の申し出に司会者は驚き、思わず運営スタッフの様子を伺う。 「一分間250文字のペースで頼む。プロのあんたなら、その意味は分かるだろ?」 「あ、ああ…確かに分かるが…」 そう言って司会者を横目で確認すると、指で作られた“OK”のサインが出ていた。 それを確認した男性声優は渋々栄太郎から原稿を受け取り、朗読を始めた…… ジャンルがホラーと言う事で、ベテラン声優はお得意の低音ボイスで朗読を始めたが、栄太郎が筆を馳せた文章には家族や恋人に捨てられた主人公の女性が、徐々に壊れて行く様子がリアルに描かれており、会場の観客だけでなく、読んでいる男性声優までもが背筋を冷やす内容となっていた。 状況が変わったのは物語終盤、主人公の女性が、大雨の中刃物を持ちジリジリと元彼に迫る場面で突然会場の外の天気が荒れ、一瞬で大雨になった。 会場の天井が全面ガラス張りだった事もあり、天井を異常なまでに叩きつける激しい雨音と鳴り響く雷に観客は恐怖を感じ、不穏なストーリーに合わせて会場全体が栄太郎の小説に入り込んだ。 「なるほど…栄太郎君は時間を調節していたのか」 栄太郎は天気が荒れるであろう時間を予測し、雨雲が会場に到着する時間に合わせてギリギリで原稿を完成させたのだ。 ラストの主人公の女性が家族に出会う感動的なシーンでは天気が突然回復し、天井からは眩い光が差し込んだ。 「最高のラストだ」 そう呟き、男性声優は朗読を一言余分に終わらせた。 栄太郎の計算し尽くされた演出に観客は心を捕まれ、このバトルも栄太郎が圧勝したのだった。 その状況を見た大手出版社陣営は、何やら相談を始めていた。 控え室に戻った栄太郎の顔は既に疲弊しきっていた。 「大丈夫か?栄太郎君…」 「はい…木下さん…あと一回勝てば優勝なんですね…」 「そうだけど、ここまでよくやったよ。もう棄権して家に帰ろう」 木下の労る言葉も虚しく、栄太郎は首を横に振るだけだった…… ついに最終決戦の時が訪れ、栄太郎は木下の肩を借りステージに登壇した。 「栄太郎君、ここまで来たら勝ちにこだわる必要は無い。君が書きたい物語を書け」 「木下さん…すぐ目の前に勝利があるのに、それを放棄する大人の余裕を僕は持ち合わせていませんよ」 「全力でやります」 最終決戦は新潮倉庫の開発した三島由紀夫AIとの戦いになった。 三島由紀夫AIは整った文章に加え、日常的には使わない言葉や詩的な表現を取り入れた独特の世界観が人気だ。 「それでは、最終決戦!スタートです」 「お題は粉雪です!」 栄太郎は眼鏡を外し、震える手で原稿にペンを走らせたが、木下はすぐ違和感に気付き、制止するスタッフをかき分け舞台袖から栄太郎に歩み寄った。 眩い照明に照らされた栄太郎は原稿からペンをはみ出させ、机に文字をガリガリと書いていたのだ。 「栄太郎君……まさか……」 「目が見えなくなってるんじゃ……」 彼の焦点が合わない瞳からは一雫の赤い血が流れ落ち、栄太郎の目にはもう会場の眩い照明の光は届いていなかった。 「すぐに中止してください!栄太郎君が失明してしまう!」 木下の呼びかけを聞いてスタッフは慌てて栄太郎に駆け寄ったが、栄太郎は左手を出し、木下の腕を掴んだ。 「男一人が魂を懸けて小説を書いているんだ!静かに見ていろ!」 栄太郎の口から発せられた予想外の言葉の鬼迫に、木下やスタッフも動けなくなり、黙って見ているしか無かった。 それを見ていた出版社陣営はお互い顔を見合わせて笑った。 「どう頑張っても勝てないのにな……」 「文章に例のサブリミナルを入れる様にプログラムしてある……」 「そう……“全員三島に挙手”だ」 木下は栄太郎の握っているペンを外側から持ち、机から原稿の上にペンを移動させた。 「君が戦う場所は…ここだよ」 栄太郎は木下の方を見て小さく頷き、再び原稿にペンを走らせた。 しかし程なくして再び栄太郎は原稿からペンをはみ出させてしまう。 「もう良いよ栄太郎君!やめよう」 木下がそう叫ぶと、観客席から数人が舞台に上がって栄太郎に向かって走って来た。 その観客達は、栄太郎の手に自分達の手を添え、原稿からペンがはみ出さない様に支えた。 「突然すみません、私は小説家のKiNuです」 「私はMarinです」 「きのこって名前で活動する小説家です」 「私達も人間の小説が好きなんです。最後まで執闘している栄太郎さんを見て感銘を受けました」 「僕達も栄太郎さんを支えます!」 木下は彼らを見て頷き、栄太郎の背中に手を置いた。 「皆ありがとう……ありがとう……」 「彼の執筆を最後まで一緒に応援しよう」 その時、観客は栄太郎の後に集まる影を見て驚いた。何と歴代の文豪達の影が栄太郎の背中に手を添えていたのだ。 芥川龍之介、太宰治、石川啄木、夏目漱石、そして…三島由紀夫。 栄太郎は全ての文豪達に支えられ、瞳から流れる血で原稿を染めながら、最後の力を振り絞り、火花を散らしながら激しくガラスペンを走らせた。木下は栄太郎を見て涙を流し、小さく呟く。 「信じられない、こんな事ってあるかよ……」 制限時間になり、お互いの小説が朗読される事になった。先に書き上げた三島由紀夫AIから朗読が始まったが、文章の中にはサブリミナル効果が散りばめられており、観客の深層心理に“三島に挙手”の意識が埋め込まれてしまっていた。 相手の原稿が読み終わっても、栄太郎は椅子に座ったまま微動だにせず、机を見たまま完全に止まっていた。 木下は栄太郎が書いたボロボロの原稿を拾い上げ、読み手に渡し、舞台から降りた。 声優が栄太郎の原稿を読み始めたが、所々文字が読みづらく、言い直す場面もあった。しかし先程の栄太郎の戦いを見ていた事もあり、精一杯の感情を込めて読み上げた。 そしてラストの“白い雪が私に舞い落ちた”の部分になった時に、観客の一人が栄太郎を見て叫んだ。 「あ!栄太郎の頭が!」 最後の力を使い切った栄太郎の髪はみるみる白髪に変わっていき、背もたれに寄りかかって空を見上げ、照明に照らされた彼の頭には、雪が降り積もった様に見えた。 こうして今年の小説グランプリは幕を閉じたのだった…… ※※※※※※※※ 大会が終わって 数日後、紀伊国屋には店主と話す木下がいた。 「今度丸川文庫から人間の小説家が書いた小説が出るってよ」 「本当ですか?わぁ!楽しみだ」 「……栄太郎のやつ、どこいっちまったのかな」 「このニュースを聞いたら、彼は絶対に喜びますよ……」 「やはりあれからは、栄太郎君はここには来ていませんか…」 「あいつ何やってるんだろうな今頃」 大会が終わった後の栄太郎の行方は誰も知らなかった。家も空っぽにして彼は突然消えてしまったのだ。 「へへへ…これ見てみな」 店主が嬉しそうに机から出したのは一枚のサイン色紙だった。 「それは?」 「この前、はむすたってやつが来てこの色紙を俺に渡したんだ」 「栄太郎が書いたサインと短歌だってさ。やつが毎日立ち読みしてたお礼にってよ」 「知ってますよ、彼は医務室で若い小説家達にお願いしていましたから」 「もうすぐ目が見えなくなるかもしれないから、今のうちにお世話になった本屋さん達にお礼の色紙を書きたい」 「それを大会が終わったら君たちにそれぞれ配って欲しいって」 紀伊国屋の店主はへぇっと言い、色紙を眺め、笑顔で呟いた。 「小説グランプリ優勝者のサインだ」 「これはきっとプレミアがつくな」 「何言ってるんですか、家宝にするくせに」 数年経ち、エブリスタと言う携帯小説アプリに新しいユーザーが現れた。ユーザー名は“文太郎”フォロワー数0人。 「初めまして、よろしくお願いします」 ラスト・オブ・文豪 終
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