第6章 悔恨る -いのる-

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起きたばかりだから頭がぼーっとするのか、ここ2日だけでも色々なことがあって覚えていないことが多い。 目を覚ました時には病院らしい場所のベットで寝かされていた。覚えているのは、さっき研究室で見た輸血の色、祐輝の泣きそうな顔。 病室に祐輝はいなくて、倒れた連絡を受けたのか、加奈先輩がベットのそばに立っていた。 「私、病気なんですよね?」 思わずそんなことを口走り、加奈先輩にわかるわけないか、と思った。 小さな部屋で、私と加奈先輩だけの空間は沈黙が広がった。祐輝の反応を見る限り、普通の貧血とか、ちょっとした病気ではないのはなんとなく感じた。 普通はこういう時、悲しいと思うんだろうか。人生を悲観するのだろうか。 まだそこまで悲しみが広がらないのは、実感がないからなのかもしれない。 加奈先輩はさっきから何かを言い淀んだような表情で、これ以上なにかあるなら聞いておきたいような、聞きたくないような、不思議な気持ちになった。 「なんか、言いたいことあるんですか?」 なんとなく棘のある言い方になったのは、いつもはテキパキしている加奈先輩が優柔不断な態度だったことが気になったからだろうか。 加奈先輩はそれからも黙っていたが、しばらくして唐突に口を開いた。 「あのさ、発症した以上、言っといた方がいいと思うんだけど。」 「はい。」 「由紀が今回発症した病気は、伊藤が十代の時に発症した病気でさ。日本でもかなり症例が少ないから、専門の研究所があるのね。極秘で。伊藤は通院もしてるけど、経過観察と突然の発作に対処するために、大学に潜入監査員を入れていてね。」 「それが、私なの。」 そういってポケットから名刺を差し出してきた。 そこには、「血液研究センター 発症者管理部 監査官」と書かれていた。 「監査官。てことは、加奈先輩はうちの大学の生徒じゃないんですか?」 「表向きには、警察関係者で潜入捜査ってことになってる。」 妙に納得したような気がした。授業で会うことはないものの、考えてみれば授業内容などについて聞いたことがなかった。そして、大学内で会えば話すくらい仲は良かったが、会うのはいつも祐輝と一緒にいる時だけだった。 「そう、なんですね。」 加奈先輩は立ち上がってカーテンを開けた。少し眩しい気もしたが、いつの間にかもう夕焼けになっていた。 「とはいえ、あなたはこれからの治療方針を確定させるところからになる。重症度を測るために、これから検査を受けていってもらうことになるのね。だから、しばらく入院してもらうことになる。」 実感が湧かないからか、一番に気になったのは入院代と今後の治療費だった。私立大学にも奨学金で行くほどの実家だ。加えて病気にかかったからその入院代、とは言いづらい。 「あの、入院っていくらくらいかかりますか。」 そう言うと、加奈先輩はカバンからファイルを取り出し、一枚の紙をベッドの隣の机に置いて、「これは強制じゃないんだけど、」と前置きをして話し出した。 「この病気は、日本でも症例数が極めて少ないものってことになる。それで、研究所としては、記録を取ったり、観察することで解決の糸口に繋がる可能性があるから、入院している間は出来れば協力してもらいたい。代わりに、入院費用や、ここで治療することなどで発生する金額は全て国が払うことになる。承諾してもらえるなら、ここにサインをもらえるかな。」 迷う余地なんてなかった。治療費を払ってもらえるなら、という気持ちでサインをした。 「あともう一枚、」 そう言って隣に並べられた紙には、「秘密保持契約書」と書かれていた。 「この病気のこと、保護者の方にはこちらから説明する。それと、家族以外の他の人には、病気のことと、この入院している施設で見たこと聞いたこと、話さないで欲しいの。」 書類には、「未知の病気であるため、社会的影響と、個人のプライバシーへの影響を鑑み、限られた家族以外に対しての病気の存在の主張や病状説明は行わないこととする。」 と書かれていた。自分の病気を声高に主張する必要もない、と思ってサインをした。 「あ、祐輝とは、話してもいいですか?」 紙をファイルに戻す加奈先輩に聞いてみたが、祐輝にも確認することがあるのでちょっと待ってと言われた。 「とりあえず、明日から検査ね。何かあれば、ナースコールで呼んで。私じゃないけど、看護師の人が来てくれるから。」 そう言って鞄を肩にかけ、いつもの早足で帰っていった。 部屋が沈黙に包まれた。急に不安になった。祐輝に会いたかった。
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