第3章 感染す -うつす-

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今日は朝から体調が悪い。大学生になってからだんだんと生活リズムが崩れ、今では完全に夜型人間と化していた。それでも授業には来るし、友達と会えばそれなりに明るく振る舞う。だけどなんとなく、朝から胃もたれがするような不快感が残っていた。 「おはよ。」 遅刻だというのに悪びれもせず教室中央の座席に座ったのは幼馴染の祐輝。 「おはよ。」 こちらとしても幼馴染とまさか大学の学科が被るとまでは思っていなかった。同じ小学校に進み、中学高校は私が私立の女子校。祐輝は私立の共学校を受験し、進学した。そして大学。ガイダンスで名簿一覧を見てお互いに気づき、今では周りからカップル扱いされることにも慣れ、2人で気楽な大学生活を過ごしていた。 「なんかさ、今日朝から体調悪くてさ。」 昨日の夜一緒に飲みに行ったのは祐輝だ。 何の気なしに言うと、祐輝は思いのほか食いついた。 「え、どうして、どこが?」 「いやなんていうか、胃もたれして朝ごはん食べられてないのは二日酔いとして、なんか呼吸が速くなってるような感じもするし、全く走ってないのにすごく疲れるの。」 ふうん、と聞いてきたのあなたですけど?と思うくらいの興味がなさそうな返事をもらい、一向に優れない体調のせいで授業には全く集中できないまま一限目を終えた。2限目は空きコマ。お昼休みを含めれば2時間以上の空き時間、幸いテスト前でもないため課題もない。大学生はやはり、人生の夏休みだ。 「祐輝どうするの?空きコマ。」 なぜか教室の外までついてきた祐輝に問いかける。祐輝は座っていると目線が同じくらいなのに、立って並ぶと途端に背が高くなるから癪だ。幼馴染で成長の変化を見てきた私からすればなんとも思わないのだが、多少美形の要素を持った顔立ちらしく、人の流れが多い休み時間には特に人目を引いてしまう。研究室なら人もいないだろうし、とりあえず静かで涼しい環境が手に入る。そう思って歩き出すと、やっぱり祐輝もついてきた。 「暇してる。」 「何それ。答えになってないんだけど。」 「まあいいじゃん。武田ゼミの研究室居心地いいし。」 今までも何度か祐輝は私について研究室に来ていて、私が座りたかったソファーを占領して悠々自適に過ごしている。もう慣れたものではあるけど、モテるのに彼女を作らないことと、私にここまでついてくる理由はわからないままだった。 「あ。カード忘れた。」 大学の出席を自分の学生証に埋め込まれたICチップで認識する制度が導入されたのは5年前。昨年、ようやく研究室もその研究室所属の人間のICチップにしか反応しないロックがつけられた。それまでは警備員室に行って毎回学籍番号と名前を記入し、鍵を一日単位で借りる制度だったらしい。 「え、入れないじゃん。」 自身の研究室ではない祐輝は他人事のように呟き、スマホをいじり始めた。 「祐輝は自分のとこ行けばいいじゃん。」 そもそも祐輝の研究室は別棟で広く、コンロなども完備されているから、それこそ生活しようと思えば出来てしまう。私の研究室は校舎内の空き教室を半分に割ったような狭い部屋。ソファとそれぞれの机があるが、あとはホワイトボードと資料の本棚で壁一面が埋まっているような部屋だ。私自身も、祐輝の研究室の方が居心地がいいと思うことがある。 「うちはカップルがいつでも仲良くしてるんで入れないんですー。」 確かに。授業中でも研究室でもお構いなくイチャつく秋葉と早苗のカップルは人間関係の希薄な学科内でも有名だ。 カードキーを忘れた時の対処法を大学のホームページで調べていると、廊下の端から聞き覚えのある声がした。 「由紀。」 振り返ると私が研究室内で一番仲の良い加奈先輩だった。 「加奈先輩!よかった、カードキー忘れちゃって。」 「おっけい。てか祐輝は自分のとこ行きなよ。」 最近気付いたが、どうも加奈先輩は祐輝とは馬が合わないらしい。お互いに目も合わせないし、二人とも距離を縮めようとする努力がない。 「ここの方が楽なんすよ。」 それを聞くと加奈先輩は諦めてドアを開けた。 「ま、いいけど。私今日授業の後にここで作業するから、開けたままにしといて。」 じゃあね、と去ろうとする加奈先輩に疑問が湧いた。 「え?加奈先輩はどこ行くんですか。」 ちらっと私を見て、そしてまたちらっと祐輝を見て、笑って首を振った。 「私は、いいや。」 じゃ、と去る背中にかける言葉もなく見送る。 なぜこの二人はこんなに仲が悪いのだろうか。 「もうよくね。入るよ?俺。」 我が物顔で入っていく祐輝に引っ張られるようにして、誰もいない研究室に入った。 「あー。涼しい。」 案の定研究室に入った途端祐輝はソファに寝そべる。 冷蔵庫に置きっぱなしにしていた麦茶を紙コップに開けて飲むと、身体に染み渡る冷たさと後味の香ばしさが身体に染み渡る。はずなのに。 「あれ、」 味がいつもと違う。まさか冷蔵庫の電源が落ちて腐ったとか?いやでも買ったのは昨日で、口をつけて飲んだわけでもない。 「どうした?」 私の様子を見て、祐輝が声をかけてきた。 「いや、なんかこの麦茶、変な味が」 急に頭がガクンと揺れて倒れた。過呼吸になる。耳が聞こえない。切羽詰まった表情で私の肩を揺らす祐輝を見て、そのまま意識を失った。 「由紀!由紀!」 声が聞こえた。目を覚ます。代わり映えのない研究室の天井。どうやら私はソファに寝ているみたい。目を開けたことに気づいた祐輝が安心した顔で覗く。 「大丈夫?気分は?」 「大丈夫。」 そういって左手で頭をかこうと持ち上げると、そこに点滴が繋がっていた。繋がった先には赤い液体。血みたいな色をしていた。 「え?」 私の驚いた顔を見て、祐輝が気づいた。 「あ、これね、応急処置なんだ。今さっき俺のかかりつけのお医者さんを呼んだ。移動するよりここで応急処置した方が早いって言われて急遽輸血することになった。輸血が終わるのにあと1時間。その時に迎えに来てもらうことになってる。」 「私、貧血ってこと?」 「ただの貧血じゃない。血球欠乏性貧血。まだ世間的に知られていない病気だけど。」 情報が多すぎる。鈍い痛みの残る頭に声が響く。 「とりあえずもうすぐお医者さんが来る。検査も込みで少し入院になると思うけど、俺がついてる。」 そう言って右手を握られた。急な安心感に包まれて、もう一度目を瞑った。 しばらくして寝息が聞こえてきた。いつも強気で頭の回転が早いはずの由紀が小さく見えて、昔の泣き虫だった頃を思い出させた。 「ごめんな。俺のせいだ。」 そう呟いてもきっと由紀には聞こえない。だからこそ言える言葉でもあるし、絶対本人に知られてはいけないと決意を固めた。 「ごめん、由紀。俺が絶対に守るから。」 あの薬のせいで、由紀も発症してしまったなんて。
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