9 エピローグ

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9 エピローグ

 再び群馬にある邦代神社を訪れたのは、それから十日ほど経った日のことだった。  おそらく昨日の夜に降ったのだろう、辺りは真新しい一面の雪に覆われていた。 「珍しいわね、もう春の初めなのに」  史恵が参道の石階段の手前に車を停めると、待ちきれないように紗月が後ろの座席から飛び出す。 「わあ、こっちは結構積もってるね。やった」  踏み跡のない雪の中を飛び跳ねる紗月に、運転席から降りた史恵が言う。 「転ばないでよ、汚れても着替え持ってきてないんだから」 「大丈夫だって。ほら、パパ見て見て、雪」  石灯籠の上に積もった雪を両手ですくった紗月が、それを空に放り投げる。さらさらと粉のように宙に舞っていくその様子を車から降りて見つめる私に、史恵が車のウィンドウガラスに付いた雪を手で払い除けながら言う。 「まあ、紗月がはしゃぐのも分かるけど。東京じゃ滅多に雪なんて降らないから」 「悪かったね、ここまで運転してもらって。慣れない雪道だったのに」 「その腕じゃ仕方ないでしょ。怪我人には運転させられないわよ」  史恵は小さく溜め息をつくと、三角巾で吊った私の片腕を指差す。 「本当、この間の電話でも気を付けてって言ったのに」  あきれたような表情を浮かべた紗月が、雪玉を手にして近付いてくる。 「取材に来た神社で大怪我するなんて、パパって呪われてるんじゃないの。せっかくだからお祓いしてもらった方が良いわよ」 「参ったな」  核心をついたような冗談に苦笑いしながら、私は頭を掻く。 「紗月、雪投げてこないでよ。雪合戦するような歳でもないでしょ」 「分かってるって。うるさいなあ、ママは」  頬を膨らませた紗月は、手にしていた雪玉を玉垣の方へと放り投げる。石の柵に当たった雪玉は、粉々に砕けて辺りに散っていく。  再び雪で遊び始めた紗月を横目に、史恵が後ろの座席に置いていた紙袋を取り出しながら言う。 「お土産、本当にこれで良かったのかしら。東京なんて特に目新しいものも無いから、ありきたりのお菓子しか無かったけど」 「それでいいよ。お礼に来ただけだから」 「それで……今日は紗月がどうしてもって言うから一緒に来たけど」 「分かってる。ありがとう、ここまで付き合ってくれて」 「……ええ」  言葉少なに史恵は言う。近々再婚するという話はすでに聞いていた。もしかすると、紗月とこうして会えるのもこれが最後になるかもしれない。  私の顔を見ながら、史恵が小さく首を傾げる。 「でもあなた……少し変わった気がするけれど」 「どこが?」 「ちょっとだけ、穏やかになった気がする。顔つきとか。前は話をしてても仕事、仕事ばっかりだったのに」 「痛い目にあって、少しだけ目が覚めたのかもしれないな。人間の本質なんて、そう変わらないのかもしれないけれど」  雪の積もった石段の先にある赤い鳥居を見上げると、そこには神社の狩衣(かりぎぬ)の装束を着た奈々緒の姿が見えた。
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