許婚

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許婚

妻一枝の回復を待って、若旦那は妻と話した。 「お前がまだ病の床に就いていた時、 旦那様に昔の事をお聞きした。 その事はさておき、一枝はつうをどう思っている。 今回世話になったからというのは抜きにして、正直に言って欲しい。」 「若の見合いの事、看病のことも抜きにしては考えられません。 私は、これまでの己の過ちにやっと気付きました。旦那様が、人を見下してはならぬと仰る意味がやっと分かりました。 若がつうを慕っているのなら、 つうを嫁に迎えたいと思います。 よく働くから、言うことを聞くからではありません。 あの娘は、邪心なく、人のために動き考えられる娘だからです。 そういう娘こそ、庄屋の嫁に必要です。 庄屋の嫁は民の母になる者だからです。」 「私も同じ考えだ。与ひょうとつうに、 まだ山に帰らぬよう伝える。」 若奥様も回復されたので、 与ひょうとつうは、山へ帰る支度をしていた。 そこへ、旦那様と若旦那様がお呼びだから、旦那様の部屋に来るようにと 家人から言われた。 「お話があるようだから、行ってくる。 つうは、部屋で待っていなさい。」  と、与ひょうは旦那様の部屋に向かった。 若様が仰っていたことだろうか? と、つうは考えた。 若様が山へ来て下さるのは、嬉しい。 どんな暮らしをしているか、 知っていただきたいとも思う。 でも、ご一緒にいる時間が長くなるほど、 辛くなる気がした。 いずれ、お別れしなければならないのだから。 いっそ、もう村には来ないと決めれば、 諦めが付くのかもしれない。 けれども、自分が旦那様に、 ひと月に七日行儀見習いに来ると 約束して手紙に認めたのだ。 約束したことは、守りなさいと、 父は常に言っている。 辛くても、旦那様が行儀見習いは 終いにして良いと仰るまでは、来させていただこう。 その間に、若様は嫁御をお迎えになるやもしれぬ。それは、お祝いすべき事。 私は、若様のお幸せを祈っていこう。 そう、思うしかなかった。 与ひょうが旦那様の部屋に向かうと 先ほど呼びに来た家人がいて、 小声で「中に入らずここで待て」という。 部屋の中には、旦那様と若旦那様だけでなく若様と若奥様もいるようだった。 「若、先ほど山へ修行に行きたいと 申したな。」 「はい。」 「遊びに行くのではない。 ひと月に七日山へ行くということは、 冬でも行くということだぞ。 山の冬の厳しさを存じているのか?」 「存じておりません。 ですが、先ほどつうと話していた折りも、 季節ごとの仕事をキチンとしておかねば、冬が越せぬと聞きました。 それは、雪が多く、作物が取れず、 猟も出来ぬから、雪が降る前に 食べる物、家を暖かくする薪や家の中でする仕事の材料などを整えておかなければならないのだろうと思いました。 そこまでは考えましたが、それがどれ程大変なことなのか、 それは私には分かりません。 だからこそ、知っておきたいのです。」 「なぜ、知っておきたいのじゃ。 私とて、庄屋を長く務めておるが、 山の暮らしまでは目が届かない故、 与ひょうのような信頼できる者に任せているのだ。それで、良いではないか。 ひとりでなにもかもは、出来ない。 お殿様が私たち庄屋に村を任せておるのと同じではないか。 今は与ひょうに任せておけば良い。 その後は、与ひょうが任せられる者を見つけてくれる。 若は、その者を信頼すれば良いのだ。」 「私が山の暮らしを知りたいのは、 つうを嫁に迎えたいからです。 どんなところで、どんな暮らしをして育てば、あのように心優しく、邪心のない人間になれるのか、知りたいのです。 私も、つうのように人を幸せな気持ちにさせ、生きる力を与えられる人になりたいのです。」 「今言ったことに偽りはないな?」 「嘘、偽りはございません。」 「与ひょう、入って参れ。」 「失礼いたします。」 「話は、聞いたか?」 「はい、伺いました。」 「若は、つうを嫁に迎えたいそうだ。 まだ、12歳と7歳、すぐにではない。 早くて3年後だ。 許婚として、行儀見習いに通ってくれるか? 若を山で鍛えてくれるか? 身分違いは、断る理由にはならんぞ。 庄屋は百姓だ。与ひょうも百姓だ。 それに、つうは、お鶴の生まれ変わりであろう? 自分の家に帰るのに理由が必要だろうか?」 「旦那様、つうをここへ呼んで下さい。 お願い申し上げます。」 「誰か、つうをここへ呼んで参れ!」 「ありがとうございます。 旦那様、私はお嬢様が亡くなられた後 父も死に、生きる意味が分からず、 何もしないで、いっそ餓えて凍えて 死のうといたしました。 お嬢様が私を救って下さいました。 夢に出て、何度も、泣いておられました。 与ひょうがいなくなったと。 働き者で正直者で、 誰でも困っていれば助ける 私の知ってる与ひょうがいなくなったと 泣くのです。 それで、正気を取り戻しました。」 「父上様…」 「つう、ここへおいで。 若様がつうを嫁に迎えたいと仰っている。 許婚として、行儀見習いに通って欲しいと仰ってる。 山の生活も知りたい、民の苦労も知りたいと仰ってる。どうする?」 「私がご返事して良いのですか? 私が嫁に来たら、お父上様はどうするのですか?」 「自分の人生は、自分で決めなさい。 そうでないと、私のように後悔する。 私の人生も、私が決めるから、 つうは、心配せずとも良い。 どうする?」 「私は、父上様と離れたくありません。 でも、同じくらい若様とお会いできなくなるのは、哀しくて辛いのです。 どうすれば良いのでしょう。 私には、村の暮らしが出来るでしょうか。 山を離れるのも出来るでしょうか。」 「つう、そんな心配は、無用じゃ。 山の家も、この屋敷も、里山の農家は今住んでる者がいなくなったであろう? そこも直して住めるようにすれば良い。 若とつうが、庄屋とその奥方としてここに住むのはずっと先の事だ。 私が隠居して、若が若旦那の時は里山の農家を直した家に住めば良い。 そうすれば、山の家にも、村にも来やすい。 お鶴の遺骨を分骨して、山の墓と里山の家の側にも墓を建てればいつでも手を合わせに行かれる。 それならば、なにも困ることはないのではないか?どうだ、つう。」 つうは、黙って涙をぽろぽろと零した。 「若様がお見合したとお聞きし、 もうお別れしなければならないと思いました。 でも、旦那様との行儀見習いのお約束も敗れないですし、つらくても、 若様のお幸せを祈っていこうと考えておりました。」 「つう、私の幸せは、つうと一緒に立派な大人に成長して行くことだよ。 私の幸せを祈るなら、私の嫁御になって下さい。」 おわり
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