見合い

2/2
前へ
/18ページ
次へ
翌朝 食事の時刻になっても現れないさくらを 心配して、若奥様が様子を見に行った。 「さくらさん、失礼してよろしいかしら?」 「はい。どうぞ。」 「どこか、お加減が悪いのですか? お食事の時間ですけど、大丈夫?」 「いえ、なんともございません。 ご心配おかけし申し訳ございません。 すぐに、参ります。」 少しすると、さくらがやって来て、 「旦那様、おはようございます。 遅くなり、ご心配おかけし、 申し訳ございません。」 そう挨拶して、席に着いた。 「では、いただきます。」 「いただきます。」 朝の食事も苦手な物があるのか、 余り食が進まないようだった。 「さくらさん、 今日は、お茶のお稽古をいたしましょうね。」 「はい。」 若奥様の方も見ず、さくらは返事だけした。 注意すべきかと思ったが、他家に慣れなくて馴染んで居ないだけなのだろうと、言葉を飲み込んだ。 食事の後、若奥様は 「さくらさん、ちょっとお部屋に伺ってもよろしいかしら?」 と声をかけた。 「あ、はい。」 さくらの寝泊まりしている部屋は、 この間まで、つうがいた部屋だ。 部屋の窓の側に机があり、 若様と学んでいた『小学』などの書物が立ててあった。 「さくらさん、お家では、ご自分で 着物を着ていらっしゃらないのかしら?」 「はい、いつも、乳母が着せてくれます。」 「手伝うのではなくて、着せてもらうの?」 「はい。母も自分では着ません。 女中にさせております。」 「ちょっと失礼しますね。」 と帯を解くと、やはり着方がキチンと出来ていない。 一応着方は知っているようだが、 肌襦袢の紐の締め方が甘いので、 着崩れていたのだ。 女中頭を呼ぼうかと考えたが、止めた。 「着崩れているので、直しますね。」 遠慮する言葉がでるかと期待したが、 ただ「はい。」というのみ… 直してくれるのが当たり前のように、 若奥様がするに任せていた。 「では、お茶のお稽古に参りましょう。 袱紗はこれをお貸ししますね。」 「ありがとうございます。」 さくらは、袱紗を借りる礼は述べても、 着崩れを直してもらった礼は、 言わずじまいだった。 茶室に行き、 「どのくらいお稽古は進んでいますか?」と聞くと 「七歳の時からお稽古しています。」 「風炉の平手前は、おできになれますか?」と聞くと 「あ、はい…」と曖昧な返事。 そこで、つうの時のように 「こちらに、道具がございます。 平手前に使う物で、足らない物は何かありますか?」 すぐに答えられず考えている。 仕方がないので、 「厨に行って、お菓子を持ってきて下さい。」というと、私が?という顔。 「菓子鉢も厨にあります。 厨にいる者に、聞いて持ってきて下さい。」 「はい。」とようやく動き出した。 「持って参りました。」 というので見ると、取り箸がない。 「取り箸は、どうしたのですか?」 と聞くと、 「あ、スミマセン。忘れました。」 と言う。 「取り箸を使わずにどうやって盛ったのですか?」というと、 「厨にいる者に、盛ってもらいました。」という。 「お菓子の盛り方もお稽古のうちですよ。 お稽古の時いつもお菓子を盛ることもなさるでしょ。」というと、 「いいえ、私の稽古の時は、 お菓子は盛ってあるので、 運ぶだけです。」 と答えた。 「そうですか。それでは仕方ないですね。 もう一度厨に行き、取り箸を取っていらっしゃい。」 と言うと、また私が?という顔をする。 「厨にいる者に、取り箸をお願いしますと言って、持っていらっしゃい。」 「はい…。」 さくらの背を見ながら、どんな稽古をしているのだろうと、思った。 ようやく戻って来たので、 「では、平手前の準備をして下さい。釜は設えてあります。」 と言うと、 また、不思議そうな顔をする。 まさかと思ったが、 「いつものお稽古の時のようになさって下さい。」というと、 「いつも、お道具は茶室に準備してあるので、私はご挨拶して茶室に入ったら、お点前をするだけです。」 「お菓子の出し方や、 茶巾の扱いは習わなかったのですか?」 「習っていません。」 若奥様は頭を抱えた。 三年もお稽古して、 また、一から教えねばならないとは… 「それでは、私が平手前をいたしますので、主客の座について、 客のお稽古をなさって下さい。 懐紙と扇子、黒文字をお貸しします。」 「はい、お借りします。」 と言って茶室に入って行った。 若奥様はため息をついて、お点前の準備をした。 お菓子を持って入ると、 「さくらさん、扇子は?」 帯に差さったままだ。 「扇子は、後ろに置いて下さい。」 「はい。」 「お菓子をどうぞ。」 挨拶し、右にひと膝よけて立とうとすると、さくらは、懐紙を出して菓子を取ろうとした。 「さくらさん、まだ、取ってはいけません。」 「えっ、でも今お菓子をどうぞと…」 「お点前の中でもう一度 “お菓子をどうぞ”と申し上げたら、 お取り下さい。」 「はい。」 一体どんな稽古を… 気を取り直して、お点前に集中した。 しかし、心を込めてお点前しても、 この娘は、覚えようと一生懸命見るのではなく、 おそらくぼおっと眺めているのだろう。 「お菓子をどうぞ」 抹茶をすくって茶碗に入れる。 湯を注ぎ、点てた。 縁外の主客の正面に茶碗を置いた。 やはり、動かない。 「さくらさん、縁内に茶碗を取り込んで、 “お点前ちょうだいいたします”、と ご挨拶してからいただいて下さい。」 「あの…お菓子を先にいただいてからでよろしいですか?」 「えっ?まだお菓子を召し上がってないの? “お菓子をどうぞと”申しましたよね。」 「あぁ、その時懐紙に取ったら、 直ぐいただいて良かったのですね。 知りませんでした。いただきます。」 (知りませんでした? せっかく美味しく点てた茶が冷めてしまうのに…) 「さくらさん、客のお稽古はなさってなかったのですね。 お茶会に呼ばれた時は、どうなさってたの?」 さくらは、茶を飲んだ後、 「私ひとりで呼ばれたことはございませんし、母が『私と同じようになさい』というので、母のする通りにしておりました。」 「それでも、何度かお席に呼ばれれば、自然と覚えませんか? …いえ、失礼を申しました。 拝見は省略いたしますので、 縁外に茶碗を置いて下さい。 私が茶碗に湯を注いで建水に湯を捨てたら、“おしまいください”と言って下さい。」 茶碗を取り込んで、湯を汲みいれ、 建水に湯を捨てた。 「おしまいください。」 「おしまいにいたします。」 後は、作法どおりに道具を下げ、 菓子鉢を下げて、さくらを呼んだ。 「さくらさん、お疲れになったでしょうから、お部屋でお休み下さい。 後は、結構です。」 「失礼いたします。」と部屋に下がっていった。 女中頭を呼び 「申し訳ないけど、お稽古の後始末をお願いします。 頭(つむり)が痛むので、 部屋で休んできます。」 そう言って、若旦那様の方へ向かった。 「若旦那様、申し訳ございません、 少し頭が痛むので部屋で休ませていただきます。」 「顔色が良くないな。薬師を呼ぶか?」 「いえ、疲れただけなので、 休めば良くなります。 母に、私の部屋に来てくれるように 伝えていただけますか?」 「分かった。」 部屋に戻って帯を緩め、布団に横になった。 あの娘は、ダメだ。 甘やかされているだけで、 何も躾けられていない。 母はなぜあのような娘を連れてきたのだろう? その時、母が部屋に来た。 「一枝、具合が悪いのかい?」 若奥様は起き上がり、 「母上様、あの娘は連れてお帰りください。若の嫁には迎えられません。」 「何かあったのかい?」 「あの娘は、甘やかされているだけで、 何も躾けがなっておりません。」 「だが、まだ10歳。 これから行儀作法を身に付けても 良いではないか。」 「素直な娘であれば、何も出来なくとも 母上様の仰るとおり、これから嫁入りまでに身に付ければ構いません。 ですが、あの娘は、覚えようという気持ちもなく、 私に対する態度も嫁として相応しくございません。」 「何が気に入らないのか、 もっと分かりやすく教えておくれ。」 「先ほど茶の稽古をいたしました。 七歳から、三年ほど稽古しているというので、 お点前を見せてもらおうと思いました。 子どもでも、三年も稽古すれば 平手前くらいはできるものです。 ところが、平手前の準備が出来ないのです。 菓子の盛り方も知らず、取り箸も持ってこない。 仕方がないので、私がお点前を見せて、 客のお稽古をさせることにしました。 ところが、客の作法も覚えていないのです。 お茶会に何度も招かれているようですが、 その時は『母のする通りにしておりました』と。それでも、覚える気持ちがあれば、何度か招かれているうちに覚えるものです。 あの娘は、周りの者に任せて、 自分で何かしようとか、覚えよう、 学ぼうという気持ちはないようです。 私に対しても、姑として仕える人だと思っていないようです。 人を見下すような、女中頭とでも思っているのでしょう。」 「お前が 『大きな家の庄屋に相応しい娘を』 というので連れてきたが、 見込み違いだったようだね。」 「あれでは、どんな御大家に嫁に行っても務まりませんでしょう。 まぁ、乳母でも女中でも連れて なんとか繕うのでしょうが。」 「しかし、一枝の言うような、 大きな家のお嬢様で、そんな気働きの出来る娘などなかなか居ないのではないのか。 庄屋の娘であれば、それなりに気位も高いであろうし、姑を立てることを 教えるようなしっかりした親も少ないのかもしれぬ。」 「少し休んでから、考えます。 とにかく、あの娘は明日にでも連れ帰ってください。私が無理にお願いしておきながら申し訳ありませんが。」 「分かりました。 明日、娘は連れ帰ります。 先方にもご縁がなかったようですと お伝えしておきます。 私は、部屋に戻ります。」 「申し訳ございません、母上様。」 旦那様が、人を見下すようなことはしてはならぬ、とあれほど仰ったのは、こういう事なのだ。 私が、下賤の者と人を見下し、 自分を上に立つ者と虚勢を張ってきたから、同じ目にあったのだ。 ようやく分かった。 あの娘が悪いわけではない。 何もしないで良いと、周りに世話されるのが当たり前になっていたから、 その通りにしていただけなのだ。 今なら旦那様が仰っていたことがよく分かる。 大事な民をお殿様からお預かりしているのだから、与ひょうのような、 良く周りの面倒を見る者を褒める。 それが庄屋としての務め。 民の父として、母として心を配るのが、 庄屋としての務め。 私は、上の方々とのお付き合いのことばかり考え、民のことを見ていなかった。 私が間違っていたのだ。 つうが山に帰ってから、皆が 「つうさんがいないと、大変。」 と零していた。 私もイラついていながら、つい 「つう、つう」と呼びつけて 当たり前のように使っていた。 あの子は嫌がりもせず、 くるくるとよく働いていた。 若様でさえも、 「つうがいないと、せっかく教えたいと思っても出来ないから、学問する張り合いがない。」と零していた。 たった七日で、皆がつうと与ひょうを頼りにするようになった。 おそらく、山の集落でもそうなのだろう。 私も謙虚になって、そういう人間にならなければ、“庄屋の奥様”とは言えない。 そろそろ起きなければ。 でも、なにやら頭が痛むだけでなく 熱っぽいような、息苦しいような気がする。 その時、女中頭が部屋に来た。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加