麻疹

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つうの部屋にふたりで行くと、 「旦那様に、明日一度山に戻ることをお話してくる。」と、 与ひょうは旦那様の部屋に向かった。 『小学』を手に取り、読んでいると、 「つう、いるのか?」と、 若様の声がした。 襖を開けて、 「はい、女中頭さまが後は、 良いと仰って下さったので。」 「少し、庭に出て話さないか。」 と仰るのでついていった。 「つう、母上様を看病してくれて、 ありがとう。 薬師の先生が、つうの看病を褒めていらした。」 「私は、いつも山の集落で病気の人にしている事をしただけですので。 でも、お役に立てたなら、良かったです。 若奥様、とてもおつらそうでしたから。 あの…、差し出がましいのですが、 何かお心を痛めるようなことが ございましたか? 若奥様、ご心労で胃が弱っておいでのようです。」 「そう…、私のせいかもしれない。」 「若様は、母上様にご心配をおかけするようなことは、なさいませんでしょう?」 「つうには話したくなかったんだが、 先日見合いをした。 母上様の遠縁に当たる人で、大庄屋の娘だそうだ。 綺麗なお嬢様だが、話していてもかみ合わないというか…、 私も見合いは気が進まなかったし、 向こうのお嬢様も、屋敷が小さいとか、 余り良い縁談と思ってないようだった…。 母上様が、お祖母さまにお願いして進めた見合いだったから、 色々気を遣ったのではないのかなと思う。 麻疹なら、うつってすぐ熱が出るわけじゃないようだ。 薬師の先生の話だと、何日か前から熱とか怠さがあったはずだと。 見合いの準備で無理をされたに違いない。」 「でも、それは、若様のせいではございませんでしょう?」 「そうだが…、渋って、ごねてたのは確かだ…。ひとり息子だから、 もう、許婚がいてもいい歳なのに。 すまない、こんな話されてもつうは困るだけだ。 あと、三、四日経ったら、母上様とも話せるようだから、良く話して、 母上様にご心配掛けないようにする。」 「そうですね。そうなさいませ。」 「母上様が治ったら、つうは山に帰るのか?」 「はい。 その季節ごとの仕事がありますので、 それをキチンとしておかないと、 冬越えが出来ませんから。」 「そうだったね。」 「若様、私は山の生活が好きですし、 父上様とも一緒にいたい。 でも、それと同じくらい若様にお会いしたくなる時があります。 そんな時は、月を見ることにしました。 綺麗な月を見ていると、若様も同じ月を見ていらっしゃるかもしれない、 そう思うと心が慰められます。」 その時、 「若様、つうさんお食事のご用意が出来ております。」 と、呼ばれてしまった。 「つう、夕餉の時間だ。参ろう。」 若様は、大股でどんどん先に行かれてしまう。 怒らせてしまったのかしら? あんなことを申し上げて、失礼だったのかしら?とつうは思った。 見合いをしたと聞いた時は、 胸がずきんと痛かった。 もちろん、自分が若様の嫁になれるなどと思ってはいない。 それでも、慕う気持ちに嘘をつきたくなかった。止めようがなかった。 若様をお慕いすることは、いけない事ですか。若様の背中を見詰めながら、 つうは心の中でそう問いかけていた。 「遅くなり、申し訳ございません。」 若様は、若旦那様様の隣に座り、 与ひょうがいたので、つうは与ひょうの隣に座った。 「皆揃ったな。では、いただきます。」 「いただきます。」 若様をチラッと見たが、 若様はつうの方を見ずに召し上がっている。 旦那様が、 「与ひょう、つう、駆けつけてくれて、 ほんとうにありがとう。 一枝も快方に向かっているようだ。 女中頭が、重湯も全部召し上がりましたと言っていた。 つう、薬師の先生がそなたの看病が 実に適切だと褒めておったぞ。」 「恐れ入ります。 父より教えられたようにやらせていただいただけでございます。」 「与ひょうも、よく娘を躾け、 実に立派だ。」 「山の生活は、楽しみも多いですが 厳しいところもあります。 薬師も薬もなければ、自分で自分の身体を治すしかありません。 集落で病人が出れば、皆で看病いたします。 それで、自然に身についたのでしょう。 若旦那様、旦那様には先ほどお話いたしましたが、私は明日一度山に帰らせていただきます。やりかけの仕事を片付けて、夜までには戻りますので、 申し訳ございません。」 「謝ることではない。 山の仕事があるのに駆けつけて一枝の世話をしてくれて、感謝している。」 「父上様、私もつうが我が家に行儀見習いに来てるように、山に修行に行かせていただけないでしょうか? 山での生活は、書物では学べない 様々なことが学べるようです。 つうを見ていてそう思いました。 屋敷にいると、周りの者が色々してくれるのが当たり前になってしまいます。 山では、自分のことは自分でしなければなりません。困っている仲間も助けなければなりません。民の生活も知ることが出来ます。 今度、つうが行儀見習いに来るまでにお考え下さい。 お許し頂けるならば、つうが山に帰る時、 一緒に参りたいと存じます。」 「若、すぐに返事できることではない。 考えておく。」 夕餉の後、 与ひょうはつうの部屋に戻ると、 「若旦那様にお話したいことがあるから、お部屋に行ってくる。」 と部屋を出た。 「若旦那様、与ひょうでございます。お話したい事がございます。 失礼してよろしいでしょうか。」 「入りなさい。」 「お寛ぎの所、申し訳ございません。先ほどの若様のことで申し上げたい事がございます。」 「申してみよ。」 「どうぞ、若様の願いは、お聞き届けにならぬようお願い申し上げます。」 「若の修行は、引き受けられないということか?」 「そうではございません。 つうが哀れでございます。 お嬢様のようになって欲しくはございません。」 「お嬢様とは、亡き義姉上のことであるな。つうが義姉上のようになるとは、どういうことだ? 私は義姉上が亡くなった後に養子に入った身。詳しい経緯は知らぬのだ。 話しにくいことか?」 「お嬢様が里山の農家に預けられていたことはご存じでしょうか?」 「お身体が弱く、幼い頃療養の為村を離れ農家にいたことは聞いている。」 「その時、私はお付きの乳母からお嬢様の守り役を仰せつかりました。 お丈夫になられて、山や川にお出かけになることが増えたからです。 お嬢様は、山の生活やそこに住む人々を愛でて下さいました。 ですが、庄屋を継ぐというご自分の役目を弁えていらっしゃり、 山に想いを残しながらも、 お屋敷に戻り婚礼の準備をされたのです。 許婚との婚礼が破談になったことは、ご存じでしょうか?」 「破談になったことは聞いているが、その話は家の中では触れてはならない事になっていて、詳しくは知らぬ。」 「それでは、私から申し上げることは出来ません。 どうぞ、旦那様とよくご相談なさって下さい。失礼いたしました。」 そう言うと、与ひょうは若旦那様の部屋を後にした。 若旦那様は、旦那様に話すべきかしばし躊躇っていた。触れてはならない事のような気もしたが、何も分からないままでは、判断のしようがない。 そう思い、旦那様の部屋へ赴いた。 「旦那様、ご相談があり、参りました。 よろしいでしょうか。」 「入りなさい。 若の修行の話であろう。」 「はい、先ほど与ひょうが私の処に参りました。 それで、つうを哀れと思うなら、 若の願いを聞いてくれるなと、 お嬢様のようになって欲しくないと、 それだけ言って、それ以上の事は自分からは話せないので、旦那様と話して欲しいと。 与ひょうの話だけでは、判断のしようがないので、参りました。」 「そうか、やはりのう…」 「そちは、つうを若の嫁にしても良いと思っているか?」 「私は、良いと思っております。 確かに、与ひょうと血が繋がっておらず、 何処の娘か分かりませぬ。 ですが、つうには邪心がございません。 皆、つうに関わった者は、初めは反発しても、皆頼りにして好きになります。 妻の一枝がそうです。 あれほど下賤の者とつうを嫌っていたのに、すっかり心を許し身体を預けております。 女中頭の話では、若奥様は、すっかりお人が変わったようです、と申しておりました。 あの、見合いに来た娘を見て、 つうがどれほど良き娘か痛感したようです。」 「そうか。私は、娘の婿選びは愚かな間違いをしたが、養子選びは間違えなかったようだ。 今まで話さなかったことだが、 話さなければならないな。」
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