6年後

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6年後

おつうは7才になり、お転婆盛りの娘に育っていた。 「おとう、おかあの好きな アケビを見つけたから採ってきたよ!」 「ありがとう。 つうの墓に供えてあげなさい。」 「はーい。 おかあの好きな木の実がなる秋になったよ。 アケビを見つけたから採ってきた。 おかあ、食べてね。」 おつうはお転婆で外遊びも大好きだったが、家の手伝いもよくした。 米を研いで飯を炊くことも出来た。 7歳になってからは、 与ひょうから読み書きも習っていた。 「いただきます。」手を合わせて、 ご飯を食べ始めたおつうが、 おとうに聞いた。 「おとう、ご飯を食べ始める前に手を合わせて『いただきます。』っていうよね。 それって、おはようとかこんにちは、 っていうのと同じこと?」 「“おはよう”とか“こんにちは”、というのは“挨拶”というんだが、それにもほんとは、意味がある。 挨拶は“相手に心を開きます”、 という意味があるんだ。 けれど、いただきますは、挨拶じゃない。 人は米や野菜や魚や肉木の実、 色んなものを食べて命を繋いでいる。 分かるかい?」 「うん、なんとなく。」 「何も食べなければ、命を繋ぐ事は出来ない。死んでしまう。 米も野菜も肉魚木の実、人の食べる物は皆、命なんだ。 生きている物を採ったり、育てたり捕まえたりして食べている。 食べるということは、他の生き物の “命をいただく”事なんだ。 自分の命を繋ぐために、 あなたの命をいただきます、 ありがとうと感謝するのが、 食べる前に手を合わせて言う “いただきます”なんだよ。 他の生き物の命をいただいて永らえているのだから、大事に生きないと、 申し訳ないだろう? だから、一生懸命働いて、学んで 楽しく生きなきゃいけないと、 おとうは、思う。」 「私は、毎日楽しいよ。 おとうは、楽しくないないことがあったの?」 「あったよ。死んでしまいたいことがあった。 とても大切な方がいて、お慕いしていた。その方は、おとうの女房になどなる方ではなくて、大きなお屋敷に住むお嬢様だった。でも、その方が亡くなって、おとうのおとう、おつうのおじいも死んで、おとうは、ひとりぼっちになった。淋しくて、生きている意味が分からなくなって、死んで仕舞いたかった。 でも、その後ちゃんと楽しく生きなきゃいけないと気付いて、おかあを嫁御にもらえて、それからはずっと楽しくて、幸せだ。おつうもいるし。」 「あのね、私はおとうとおかあの子どもじゃなくて、捨て子をおとうが拾って育てたんだって言われたの。 そうなの?」 「その事は、おつうがもう少し大人になってから話すつもりだったが、 聞かれたから今話しておく。 確かに、おつうはおかあが生んだ子じゃない。 おかあが死んだ後に、おかあの墓の横に駕籠に入れられて置いてあった。 その前の晩、おかあとお嬢様がお好きだった桔梗の花をおかあの墓に供えた。 月がとても綺麗な夜だった。 お嬢様は私に会いたくなったら、 月を見て頂戴と仰ってた。 綺麗な月は、おかあが笑っているようだった。 その次の朝、おつうは、おかあの墓の横にいて、おとうを見てにこにこと笑ったんだ。 おかあの生まれ変わりだと思った。 おとうとおかあの間に生まれるはずだった子だと思った。 おつうは、おかあにもお嬢様にも良く似ている。 誰がなんと言おうと、おつうは、 おとうとおかあの子どもだ。」 「うん。分かった。」 おつうは、にっこりと笑った。 その夜、おつうの無邪気な寝顔を見ながら、与ひょうは、考えていた。 おつうは、つうの生まれ変わりに違いない。つうは、お嬢様が鶴に生まれ変わった人の姿だと言っていた。 ということは、おつうは、お嬢様の生まれ変わりということになる。 お嬢様は、確かに賑やかな村よりも、里山に帰りたいと仰ってた。 だから、私のもとに来られたのかもしれない。 しかし、このまま大人になり、貧しい農家の嫁に出しても良いのだろうか? おつうは、孝行娘ゆえ、婿を取るというかもしれぬ。 私は、おつうと暮らせるのなら、 幸せだが、それで良いのだろうか? 年が明け、雪が溶けて春になったら、 おつうを村に連れて行ってみよう。 庄屋様にもご挨拶に行かねばなるまい。 乳飲み子の頃、お世話になったままだ。大きくなった姿をお目にかけるべきだ。 与ひょうは、そう考えるのだった。
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