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翌年の春
おつうを庄屋様のお屋敷に連れて行くことにした。
新しい着物を着て、髪を結い上げると、
大人びて見え、あぁ、やはり
お嬢様に似ていると改めて思った。
いつも通りに裏の勝手口から入り、
家人に尋ねると、乳母はもう歳だからと奉公をやめ実家に帰ったという。
「私は、山に住む与ひょうと申します。
昔、亡くなわれたお嬢様が里山の農家にお住まいの頃、守り役をさせていただいていた者です。いつも、里山に付いてこられていた乳母やさんに取り次いでいただいておりました。
旦那様にご挨拶させていただけるか、
お取次いただけるでしょうか。」
「そこに居る娘は、そなたの娘か?」
「はい、乳飲み子の頃、こちらでお預かりいただいたつうでございます。」
「旦那様に伺って参る。
そこで、待っておれ。」
「お前は誰じゃ。そこで、何をしている?」
「若様。旦那様に挨拶に来た、
山に住む者です。」
「なぜ、山に住む者がお祖父さまに
挨拶に来るのだ?」
「昔、こちらのお嬢様がお身体が弱く、
療養のために里山の農家に預けられていたことがございます。
その時にお世話した者です。
それが縁で、その娘が乳飲み子の頃、
こちらのお屋敷で預かったことがあるのです。
それで、挨拶に来たのです。」
「あぁ、覚えておる。
私が幼い頃、
赤子を預かっていた。
私も抱いたことがあるぞ。
名前はなんと申したか?」
「つうでございます。」
「そう、つうだ。思い出した。
あの赤子が、こんなに大きくなったのか。
よい、私がお祖父さまに伺ってくる。」
若様は、奥に向かわれた。
「お祖父さまが、お会いになるそうだ。表に回って、上がるが良い。」
「失礼いたします。
ご無沙汰いたしております。
与ひょうでございます。」
「与ひょう、久しいのう。
そこに居るのが、つうか?」
「はい、つうでございます。
赤子の頃、こちらでお世話になったと、
父から聞いております。」
おつうは、キチンと手をついて答えた。
「大きくなった。いくつに成る。」
「七歳でございます。」
「落ちついているせいか、
もそっと大人に見える。
気のせいかお鶴に似て居る。
与ひょう、そう思わんか?」
「はい、失礼ながら、
亡くなわれたお嬢様に良く似ていると、
私も思っておりました。」
「お祖父さま、つうに似ているというのは、どなたですか?」
「お前の伯母にあたる人じゃ。
お鶴といってな、もう亡くなって9年いや10年になるか。
お鶴が亡くなったので、お前の父を養子に取って跡継ぎとしたのだ。
だから、血は繋がっているが、かなり遠縁だ。
与ひょう、つうを我が家に行儀見習いに来させぬか?」
「ありがたい仰せですが、行儀見習いに出しても、そのような大層な家に嫁がせることもございませんし…」
「つうは、器量好しだ。
女としての嗜みを身に付け、
我が家の養女にすれば、
良き家に嫁がせることもできよう。
考えてみてはくれぬか。
ひとり娘を手放すのは、つらかろうが…、
お鶴のこのくらいの年の頃を私は知らぬのだ。」
与ひょうは、ハッとした。
そうだ、ちょうど今のつうの年頃に、
お嬢様は里山の農家に預けられたのだ。
だから、その頃のお嬢様を、旦那様はあまりご存知ないのだ。
乳母から聞いてはいても、目にする機会は限られていた…。
「旦那様、家に戻りまして、本人ともよく話してからご返事させていただきます。申し訳ございません。」
「いや、急にこんな事を言って済まなかった。あまりに、お鶴に面差しが似ているのでな。だが、悪いようにはせぬ。考えておいてくれ。」
山の家に戻りながら与ひょうは、おつうに尋ねた。
「村は、行ってみてどうだった?」
「人がたくさんいるのね。
物を売っているところもたくさんあって、びっくりした。」
「山とは違うからな。」
「今日行ったお屋敷に行儀見習いに行きたいか?」
「行儀見習いってなに?」
「お茶や活け花、料理や裁縫、良い家の嫁御になるのに必要なことを、家の仕事を手伝いながら教えていただくのだ。」
「それなら、家でも今でもやっていることよね。」
「家でもやっているが、うちのような慎ましい所ではなく、今日行ったお屋敷に住んでいるような所へ嫁に行くには、キチンと習わねばならない。
庄屋の旦那様は、おつうを養女にして、立派なお屋敷の家に嫁がせてもいいとおっしゃってる。」
「私は、大きなお屋敷より、山の家の方が好き。
おとうがいるし、おかあのお墓にも毎日お参りできる。
山に木の実を取りにも行ける。
村は、人が多くてやかましい。
あまり、好きじゃない。」
「そうか、分かった。」
「もし、行くとしても、一月に七日だけなら、それ以上はおとうから離れたくない。」
「うん、分かったよ。おつうが嫌がることはしない。
ただ、旦那様は、お嬢様を亡くされてお淋しいのだ。時々伺ってお慰めするのが良いかもしれぬ。」
「そうだ、おとうも一緒なら行ってもいい。七日の間、おとうは村で物売りしたり、お屋敷の手伝いをすれば良いのではないですか?
おとうは、なんでもできるもの。
お屋敷の方もきっと助かるし、私もおとうのいない淋しい思いを我慢しなくていい。
それなら、教えていただきたいことは、たくさんあるから、行儀見習いに行きたい。」
「そうか。それなら、おとうも淋しいのを我慢しなくて良いな。
村に用事がある時に、そう返事をしに行ってくる。」
「おとう、私が自分で庄屋の旦那様に手紙を書いてはだめか?
その方が、私の考えていることをよく分かってもらえると思うんだけど。」
「分かった。お嬢様からいただいた紙と筆と墨があるはずだ。それで書くと良い。書けたら、おとうがお屋敷に持って行く。それで、ええか?」
「うん!」
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