若奥様

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次の日は、若奥様から 「今日は、活け花のお稽古の日なので、 お前も連れて行きます。 花ばさみは持っているのか?」 「持っておりません。」 「では、今日は私のを貸してやろう。 与ひょうに、花ばさみを買っておくように言っておく。 では、参るぞ。」 「はい。」 煌びやかな着物を身につけた若奥様の後ろを、少し下がってついて行くつうは、 まるでお付きの下女のようだった。 今日は昨日と違い、 つうにわざと地味な着物を着せていた。 「ご免下さいませ。 お稽古、よろしくお願い申し上げます。」 「庄屋の若奥様、ようこそ。 そちらが、行儀見習いの娘さんですか?」 「はい。つうと申します。」 「まぁ、お噂には聞いてましたが、 ほんとうに、小さい頃のお嬢様にそっくりだこと。 うちに稽古にお出でになったのは、 村に戻られてからですが、 お小さい頃から器量好しで 村の者は皆良く存じておりましたから。 さ、では、さっそく始めましょう。 こちらが若奥様の今日の花材です。 これから、生け方を説明しますので、お待ち下さい。 つうさんの花材は、こちら。 今日は、初めてなので、自由に活けてみて下さい。 はさみの扱い方だけお教えしますね。 手拭いはお持ちですか。」 「はい。」 「では、手拭いを花器の横に置いて、 その上にはさみを置きます。 使い終わるたびに、手拭いの上に置きます。 机や台の上にそのまま置くと、傷を付けてしまいますし、かたんかたんと音がしてやかましくなりますから。 枝物で、剣山に刺さりにくい時は、 はさみの先で十字に切れ込みを入れます。 太い枝の切り方は、今度教えますね。 では、やってみて下さい。 若奥様、お待たせしました。 今日のお花のお手本は、こちらです。奥から順に活けていきます。 春の野原の様に活けてみて下さい。」 つうは、時折首をかしげたりしながら 真剣な眼差しで花を活けていた。 「お師匠様、できました!」 「それでは、拝見いたしますね。 とても、お上手にできました。 どこに気をつけて、 何を考えながら活けましたか?」 「はい、先ほど若奥様に春の野原の様にと仰っていたので、 野原の風景を思い出しながら活けました。 これを、剣山というのですか? これが、見えない方が良いと思い、 残っていた花で、隠れるように活けてみました。」 「花器のまん中に活けず、 剣山を端に寄せたのは、なぜ?」 「はい、端に寄せると、水が見えます。 池や川の畔の花畑の様になるかなと思いそうしてみました。」 「はい、大変結構です。 剣山が見えぬように足元を仕上げることは、とても大切です。 流派により、使う花器にもよりますが、 剣山をまん中に置く活け方もあります。 この様な平たい丸い形の花器の場合、 うちの流派では、左の奥に剣山を斜めに置くのが基本です。 つうさんは、基本の形で上手に活けられました。 若奥様、お宅にこのような平たい丸い花器はございますか?」 「同じような形のは、ないかと思います。」 「それでは、これと同じのをお貸ししますので、お屋敷でもう一度同じように活けてごらんなさい。」 「はい、ありがとうございます。」 「それでは、若奥様のを拝見いたしますね。」 「はい、大変結構でございます。 この活け方は、うちの流派でも難しい活け方の内のひとつです。 少しだけ手直しいたしますね。 これを、もう少し傾けて、そうして、この木物の葉を少し整理すると、 いっそう形が整います。 いかがですか?」 「なるほど…、少し直していただいただけで、変わりました。 ありがとうございます。」 「若奥様、だいぶ腕を上げられましたね。」 「とんでもございません。 まだまだ、でございます。」 「つうさんは、花材を持ち帰る袋をお持ちですか?」 「申し訳ございません。 今日は、まだ活けるところまで行かないと思い、用意して参りませんでした。 ですが、花器もお借りいたしますし、誰か家の者を後で寄こしますので、 その時に持たせます。」 「では、花器は重いのでどなたかに取りに来ていただいて、 花材を入れる袋は私が使ったお古ですけど、つうさんに差し上げますわ。 油紙の上に花材を剣山から抜いて、 そっと包み、この袋に入れて持てば 花を傷めず持ち帰れます。 やってごらんなさい。 そうです。上手に包めましたね。」 「お師匠様、私は重い荷物は持ち慣れておりますので、花器も風呂敷で包めば持てますので、大丈夫です。」 「そうですか。 それでは、今持って来ますね。」 「ありがとうございました。」と 若奥様とつうは帰っていった。 (若奥様は、あの娘がお気に召さないのだろうか?花器があるのだから、 花材を持って上げれば良いのに…) つうは、行きと同じように若奥様の少し後ろを歩いて行く。荷物が重いので遅れないようにしながら。 「若奥様。」と呼ぶ声がして、足を止めた。 「お稽古からのお帰りでしたか?」 「父上様。」 「与ひょう、ちょうど良いところに。荷物が重いので、誰ぞ呼べば良かったと思っていたところだった。 お師匠様から花器をお借りしたので、 落とさぬように。 花材も、今日は多いので、持っておくれ。」 つうから花器を受け取り、若奥様の花材も受け取った。 「父上様、私は花材だけなら持てますので、大丈夫です。」 「そうかい。」 「では、参りましょう。」 「与ひょう、 そなたは、茶道や活け花の心得があるのか?」 「いいえ、山にはその様なことを教える者もおりませんし、心得があっても、 毎日の生活、食べることで手一杯でございます。 お嬢様がなさるのを何度か拝見したことがあるくらいです。」 「そうであろうな。」 (なのに、なぜつうは、茶道も活け花も、できるのだろうか? それに…与ひょうの事を父上様と呼んだ。 いつもは、そのような呼び方はしていないはず。場所に合わせて言葉を使い分けているのか?まだ、七歳というのに…) 「若奥様のお帰りでございます。」 屋敷に着くと、与ひょうが家の者に告げた。 「お帰りなさいませ、若奥様。」 「玄関の花を活け替えますから、 いつも通り、準備を。」 「畏まりました。」 「若奥様、私はどのお部屋に花を活ければよろしいですか?」 「お前は…自分の部屋で良い。」 その時 「つうは、稽古から帰ったのか?」 「はい、旦那様。ただ今戻りました。」 「私の部屋に来て、活けるところを見せておくれ。」 「はい、ただ今参ります。 それでは、若奥様、旦那様がお呼びなので言って参ります。」 (旦那様のお部屋の花は、いつも奥様が活けられているのに…) せっかく師匠に褒められ、気持ち良く帰ってきた若奥様は、また不機嫌な表情になった。 (あの娘のすることは、いちいち癇に障る。なぜだろう?) 気にしたところで仕方がないと、 気持ちを切り替え、花を活け直し始めた。 旦那様の部屋では、 「お師匠様が、花器を貸してくださいました。これに、もう一度活けておさらいしておくようにとのことでございます。」 「そうか。 では、活けるところを見せてもらおうかな。 与ひょう、花器に入れる水と小さな桶に水を入れて持ってきてくれ。」 「はい、畏まりました。」 「こちらの座卓を使わせていただいてよろしいですか?」 「ん、そこでやって見せよ。」 「はい。剣山はございますか。」 「今、床の間にある花を取って、 その剣山を使うと良い。」 「分かりました。」 つうは、花材を包んだ油紙を広げ、 その隅に抜いた花を置いた。 そして花器を出して置き、剣山を花器の左手奥に置き、手拭いを出して はさみをその上に置いた。 与ひょうが水と桶を持って来た。 「父上様、ありがとうございます。」 「与ひょうも、そこで見て居るが良い。」 つうは、お師匠様の家で活けたとおりに、 水切りをしながら花を活け直した。 「出来ました。」 「では、見せてもらおうかな。 ほう、なかなか上手だ。 お師匠様から、どの様に教わった。」 「はい、今日は、初めてなので好きなように活けてみなさいと。 それで、若奥様が春の野原の風景を お師匠様からお話されていたので、 私もその風景を思い出しながら活けました。」 「後は何か言われたか?」 「剣山が見えないように、足元にも花を挿したのをお褒めいただきました。 それと、剣山を真ん中にせず、左手奥に置き、水が見える場所を作って、 池や川の畔のに見立てたのが良いとお褒めいただきました。」 「そうか、良かったの。 与ひょう、すまんが、このまま床の間に置いてもらえんか。水と剣山で重いが。」 「畏まりました。」 与ひょうは、水を零さぬよう、 花を崩さぬよう、慎重に運んだ。 「旦那様、前のお花も水切りすれば使えるものがあります。 小さな花瓶か花器はございますか?」 「奥に聞けば分かるだろう。 与ひょう、向こうの部屋に妻が居るはずじゃ。 聞いてくるか、 こちらの部屋に呼んでくれないか?」 「畏まりました。」 奥様が来て、 「つうが花を活けてくれたの? まぁ、上手ですこと。 活けるところを私も見たかったわ。 旦那様、呼んで下されば良いのに。」 「そうだった。気が付かず済まなかった。」 「つう、この花瓶と花器で良いかしら?剣山は、これね。」 「ありがとうございます、奥様。」 「ここをお借りしてよろしいですか。」 「構わんよ。活けてしまいなさい。」 「はい。」 つうは、使える花ともう萎れているのをまず分けて、手早く花瓶と小さな花器に活けていった。 「活け終わりましたので、花を片付けて参ります。」 切りくずと萎れた花を油紙に挟んで部屋を出た。 「桶と水差しを片付けて参ります。」と与ひょうも部屋を出た。 「あの娘が、つうが、若の嫁に来てくれたら良いのに… でも、いけませんよね。 もう、お鶴のような哀しい思いをさせるわけには、いきませんよね。」 「つうも、山の暮らしから、与ひょうから離れることは難しかろう…」
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