若様

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若様

そして、翌朝 つうは、早起きして厨で食事の支度をしていた。 まだ、誰もいなかったので、 ご飯を炊いて、味噌汁を作ろうと思った。 大きなかまどがいくつかあり、 ひとつには釜が、もうひとつには鉄鍋が置いてあった。 釜を開けると、米が浸してある。 鉄鍋に水を入れ、釜と鍋を置いたかまどの火を付けようとした。 火種の場所が分からないので、 藁を物置から持ってきた。見回すと、 火打ち石が見付かった。 時間がかかったが、ようやく火が付いた。 柴を入れて火が大きくなってきたところで、薪を入れる。 味噌汁の具は、なんだろうと見回すと、 葉の付いた大根があった。 大根を切って、大根と葉の味噌汁で 良いのではと考え、切り始めた。 時折、飯の釜の火を見ながら、 野菜を刻んだ。 鍋の湯も沸いたので、大根を入れる。 そこまで終わった時、ひとりの下女がやって来た。 「おはようございます。」 「おや、つうじゃないか。早いね。 もう、飯も炊いたのかい?」 「もう、火は落としましたので、 蒸らしております。 味噌汁は、大根と大根葉で良かったでしょうか?」 「ああ、ええんじゃないかい。」 「後は何か出来ることはありますか?」 「そこの樽に野菜のぬか漬けと 隣の樽は魚が漬けてある。 外の井戸水で糠を洗ってきてくれるかい。 このザルを使って。」 「はい、分かりました。」 野菜の漬かった樽を開け、 ぬか漬けの野菜を取り出した。 「このくらいで良いですか?」 「ん、いいよ。魚は五匹ね。」 「桶はありますか? 桶があった方が洗いやすそうなので。」 「そうだね。この桶をお使い。」 「ありがとうございます。 洗ってきます。」 厨の外にある井戸から水を汲み、 まず桶に野菜を入れて洗った。 ザルを洗って、綺麗になった野菜を入れる。 魚は生臭くなると思い、桶を使わず ザルの上に魚をならべ、上から水をかけて洗った。 野菜を入れたザルは桶の上に置いて 厨に運ぶ。 「洗ったぬか漬け、ここに置きます。」 魚をのせたザルは、良く水を切って、そのまま厨に運んだ。 「魚は、焼くんですか?」 「そう、焼き魚にする。」 「かまどだと、火加減が難しそうですね。」 「そうだね。山ではどうしてたの?」 「魚は、大抵囲炉裏に串で刺して焼いてました。」 「じゃ、魚は私が焼くから、見ておいで。」 「はい。朝からお魚なんて、食べたことないです。」 「そりゃ、庄屋様のご家族は、私らとは違うからね。」 「網を台の上に置いて、遠火で焼けば焦げないんですね。」 「そういうこと。 切り身の魚や柔らかい魚は、平たい鍋に油をひいて焼くこともあるよ。」 「なるほど…、あ、私、漬物切ってきます。」 「漬物はこの鉢に盛り付けて。」 「はい、ありがとうございます。」 「今朝は、つうさんのお陰で、支度が早く終わったから、 茶でも飲んで一服しようか。 座っていて良いよ。淹れてあげるから。 はい、どうぞ。」 「ありがとうございます。 美味しいです。喉が渇いていたから。 あの…」 「ん?あぁ、私はシゲっていうんだ。名前も言ってなかったね。」 「おシゲさんは、亡くなったお嬢様をご存知ですか?」 「知ってるよ。 ただ、私は、お嬢様が山里に預けられている間に、ここで働くようになったから、小さい頃のお嬢様は知らないんだ。婚礼の準備のために帰ってこられてからは、分かるけどね。 そう言えば、つうさんは、赤子の時にこの屋敷に預けられていたんだよね。」 「はい、覚えていませんけど、父からそう聞いてます。 若様も、赤子の私を抱いて下さったことがあると仰ってました。」 「そんなこともあったね。 さて、そろそろ皆さん起きてこられるから、お膳の準備をしようかね。 つうさん、お膳を並べてくれるかい。」 「はい、五つですね。」 その時、女中頭が来て 「シゲさん、今日からつうさんも、 旦那様のご家族と一緒に食事をなさるから、もうひとつ膳を用意して下さい。」 「でも、魚を用意しておりませんでした。」 「それは、仕方ない。 昨日のうちに言われておればよかったのだが、今、旦那様からそういわれたのでな。」 「つうさん、後はシゲさんに任せて、部屋で着替えておいでなさい。 旦那様に朝のご挨拶をなさいませ。」 「分かりました。では、失礼いたします。」 「女中頭さま、旦那様はつうさんを 養女になさるおつもりなんでしょうか。」 「さぁ、私はそこまで伺ってないから、分からないけど、 お屋敷にいる間は若様の妹として扱うとおっしゃってたからね。」 その頃、つうは急いで着物を着替え、 旦那様と家族の居る部屋に向かった。 襖の前に座り手をついて、 「おはようございます。つうでございます。 厨の手伝いをしておりました。 遅くなり申し訳ございません。」 と申し上げた。 「入りなさい。」 「失礼いたします。」 と言って、襖を開け真の挨拶をした。 襖を閉めてからもう一度座り、 「旦那様、おはようございます。」 と挨拶した。 「一枝(若奥様)の隣に座りなさい。」 「はい。」 「昨日までは、つうもまだこの屋敷に慣れぬと思って、 厨で与ひょうと共に食事をさせてたが、 食事の作法も行儀見習いのうちだから、 窮屈かもしれないが、今日より家族と共にここで食事をしなさい。」 「はい。分かりました。」 そんな話をしている間に、膳が運び込まれた。 「いただきます。」 と旦那様が言うと他の家族も 「いただきます。」 と食事を始めた。 「今朝の飯はつうが炊いたそうだな。」 「はい、そうでございます。 山の家では、厨の仕事は、私の仕事でございますので。 ですが、お屋敷のような色々なおかずは作りませんので、できるのは飯を炊くことと、味噌汁を作ることくらいです。」 つうは、箸を置いてそう答えた。 「母上様、つうは、今日は、 何のお稽古なんですか?」 と、若様が聞いた。 「今日も、何処かへ出掛けるのか?」 「いえ、今日は、家で読み書きの手習いをと考えておりました。」 「母上様、それなら、私がつうに教えてもよろしいですか?」 「若様は、御自分の学問がございましょう?」 「もちろん、自分の学問は怠けずやります。師匠にお聞きしたら、昔学んだことを人に教えるのは良いことだと仰ってました。」 「確かに、“人に教えることは、学ぶこと”と昔から言うからのう。 自分がキチンと分かっていなければ、人には教えられない。 若にとっても、良いことかもしれん。 つうに漢字や漢文を教えてあげなさい。」 「はい、お祖父さま。」 「でも、女子はかなの読み書きが出来れば充分ではございませんか? 庄屋や大店や武家の家に嫁ぐのならともかく、つうには、無用かと。」 「いや、つうは聡い娘だ。我が家の養女にすれば、一枝が言ったような家に嫁ぐことになるやもしれん。 学んでおいて、無駄はない。 若、しっかり教えるのだぞ。」 「はい、分かりました。」 若様は、つうを見てにっこりと笑った。
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