1話 とある少女のSOS

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満瑠は元来た道を引き返し、彼女を日々枝神社の山皇橋(さんのうばし)の前まで連れてきた。 鳥居の前で一度お辞儀をすると、満瑠はエスカレーターを使わずに、左端の階段をさくさく上がっていく。 彼女も満瑠に続くように鳥居を潜って白い階段を上っていった。 南神門を横切り、宝物殿を過ぎると神門が見える。 再び満瑠はそこで一礼すると、一度手水舎に寄り、手順を追って手を清めた。 彼女は訳の分からないまま、ひとまず満瑠の真似をして手を清めると、満瑠がそっとハンカチを差し出してくれた。 ここはひとまず甘えてハンカチを借り、手についた水を拭う。 「じゃあ、まずはご挨拶しましょう」 満瑠はそう言うとそのまま本殿に向かって歩く。 彼女もその後ろをついていった。 満瑠の言う挨拶とはという意味だろう。 満瑠はスーツ姿で、どう見てもどこかの会社員にしか見えない。 手にはクリアブックも持って、神社の関係者には見えなかったが、これは宗教か何かの勧誘かもしれないと一瞬、彼女の頭をよぎった。 何の迷いもなく境内を歩き、作法も丁寧で完璧だ。 宗教幹部にしては若く見えるが、最近はそんなものなのかもしれない。 彼女はだんだん満瑠が怪しく見えてきて、ここで逃げ出すべきか迷った。 しかし、満瑠は本殿の前に立つと彼女の方へ振り返り、にこりと笑う。 安心させるためなのか、はたまた逃がさないぞと言う意味なのかは判断できなかった。 お金を賽銭箱に入れ、少し下がったところの大繩を上下に揺らして鈴を鳴らす。 その後は二礼二拍手で手を合わせた。 彼女も慌てて満瑠に合わせる。 「山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)様、国常立神(くにのとこたちのかみ)様、帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)様、そして伊邪那美命(いざなみのみこと)様、満瑠が参りました。少し境内をお借りします」 彼女は手を合わせながら、口に出して言った。 彼女は驚きのあまり閉じていた目を見開き、満瑠を見つめる。 やはりこの女性はヤバい人なのだと思い、顔が真っ青になった。 満瑠はそのまま目を開け、一礼すると何気ない顔で彼女に顔を向けた。 彼女は淡淡と震えている。 「では、歩きましょうか」 満瑠はそう言って本殿を離れ、もう一度彼女を見つめた。 「大変恐縮ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」 彼女の不安は確信へと変わっていった。 満瑠たちは山皇稲荷神社の前にあるベンチに座っていた。 ここに来る前に満瑠が買ってくれた、自動販売機のペットボトルのお茶を飲む。 「びっくりした」 満瑠は改めて、彼女に名刺と共に自分の身分を明かした。 彼女も文化庁の人間だと知って安心する。 「すいません。まずは私の方からご挨拶するのが筋でした」 満瑠は頭を下げる。 「いや、怪しい勧誘とかじゃなかったらいいんだ」 彼女の言葉を理解できず、満瑠が首をかしげていると、何でもないと彼女は手を振った。 「あたしは、百鬼希(なぎりのぞみ)です。ただのアルバイトというか、まあ、フリーター……、かな?」 希は自分で言って恥ずかしくなったのか、頭を摩りながら答えた。 こんな三十路も越えて、若い子の前でフリーターだと名乗るのはさすがに恥ずかしい。 「でもなんで、文化庁の人があたしなんかに声かけたの?」 希は改めて満瑠に聞いた。 すると満瑠はにっこり笑ってから目を閉じ、軽く手を合わせる。 そして、失礼しますと言って、とんとんと希の肩を叩いた。 何事かと思い、希はつい身体を満瑠から遠ざけてしまう。 そして、そっと満瑠が目を開けると、なぜだか少し安心したような顔をした。 「百鬼さん。少し、肩が軽くなっていませんか?」 満瑠にそう言われ、希は肩を摩ってみる。 確かにあの万年肩こりだった痛みがかなり軽減されている。 今までどんな病院に行こうが、整骨院や整体院に行こうが治らなかった肩こりが軽くなっているのだ。 これはもしや超能力か気功のような類なのかと思った。 「え? どうして? ずっと肩凝りが治らなかったのに」 「それは、少しばかり神社にいる神様の力をお借りして、あなたについていた御霊を一部開放してもらったのです」 神様の力? 御霊? 意味の分からない言葉を並べて説明する満瑠に、希は再び不審な眼差しを向ける。 やはりこのまま何かしらに介入させられ、全財産奪うつもりなのだろうと警戒した。 それに気が付いた満瑠が慌てて訂正する。 確かに希の中には巨大な御霊の力が入っている。 しかし、こんなに群がられて今まで気が付かなかったと言うことは、希には御霊が見えていないということだ。 そんな彼女に満瑠の常識で話をしたら、頭がおかしい人だと思われても仕方がない。 「あの、私の話すことは信じてもらえないと思うのですが、とりあえず最後まで聞いてください」 彼女は真剣な面持ちで言った。 こんな顔をされると、なんだか断りづらい。 かえってキャッチセールスの技法にも見えるが、お茶もおごってもらったし、聞くだけ聞いてみようと思った。 そして、何かの勧誘なら全力で走って逃げようとも思った。 「私の勤める宗務課の『特別異形管理室』は皆さんの言うところの、怪異とか幽霊とかこの世に存在するかどうかわからない案件を取り締まる部署なんです。こんな話を政府がまともに取り合っているなんて、世間に公表できないので、非公開に近い部署ですから百鬼さんが知らないのも当然ですが、私にはそこに見合った力を持っていて……。その、私には御霊が見えるんです!」 「みたま?」 希はその聞いたことのない言葉を繰り返す。 「御に霊と書いて、『みたま』です」 満瑠は空中で漢字を書いて説明したが、それでも希はぴんとこない。 「一般的には人の魂とされています。肉体を失った後の魂です。でも、私たちの官界での認識は少し違って、御霊とは神の意思の塊です」 「神の意志の塊?」 また訳の分からないことを言っていると希は思った。 「はい。御霊とはこの世界のどこにでも存在する、いわば八百万の神々です。そして人の魂もまた、天に還れば御霊となります。けれど、それは魂とは違って、生前の記憶があるわけではない。なんというか生命体のエネルギーみたいなものですね。それを視覚で見ることが出来るのが私の能力、今どきで言えば異能力ですかね」 「異能力……」 そんなのは漫画の世界だけのものだと思っていた。 そして、実際に異能があるという人に出会うとも思わなかった。 突然で会った若者に、「私は異能力者です」と言われれば、頭のいかれた中二病患者だと判断するのが普通だろう。 ただ、スーツを着て、手には仕事のためのファイルブックを持ち歩き、ご丁寧にも文化庁の名刺まで持参している人がただの中二病とは思えない。 それに現に、万年肩凝りが軽減したのは確かだ。 希は、もう少しだけ話を聞いてやろうと思った。 「それでですね、なぜ百鬼さんに声をかけたかと言うと、百鬼さんには大量の御霊が集まってきているんです」 「は?」 大量の御霊が集まる状況がどういうものなのか理解できない。 そして、希にはその情景も想像もつかなかった。 「あたしは、その生命体のエネルギーに今まさに乗っ取られそうになっているってこと?」 それを聞いて、満瑠は慌てて手を振った。 「違います! そう言うことじゃなくて、御霊は元々神聖な場所に寄り付く習性があります。例えばここのような神社とか、自然豊かな森だとか。つまり、御霊が好んで百鬼さんに集まってきているということは、百鬼さん自体が神聖な場所となっているということなんです」 「つまり、あたしがこの神社そのものと同じと言うわけ?」 「まあ、簡単に言うとそうですね……」 自分が神社そのものだと言われて納得できる人はいるのだろうか。 これはもう宗教の勧誘などではなく、教祖のスカウトではないかと思えてきた。 「確かに神社とは、こうして広い土地を持ち、大きな社殿を構えているイメージがあるので、人そのものが神社だと言われても信じられないかもしれません。でも、見てもらいたいのですが――」 彼女はそう言って立ち上がり、目の前の山皇稲荷神社の大きな鳥居の前に立った。 そして社殿のさらに奥の3つの小さめな社を手のひらで示した。 「実際は社といっても、大きいものばかりではないんです。これらの建物の中にご神体があって、ご神体に御霊が奉納されています。時には鏡だったり、石であったりと様々です。だから、人の大きさに御霊、つまり神様が奉納されていたとしてもおかしくはない。ただ、普通にはあり得ないことなんです。誰かが意図的に御霊を宿さない限り、既に魂を持った生きた人間に他の御霊が勝手に宿すことはない。しかも、百鬼さんの中にいるそれは多種多様な御霊が寄り付くほどの力を持った神です。私もこのようなケースを初めて見ました」 満瑠の言いたいことは希にもなんとなくは理解で来た。 しかし、それでも「あなたの体内に生命体のエネルギーが大量に詰まっています」と言われて「はいそうですか」と信じられる者はいないだろう。 実際に自分には見えないのだから実感も出来ない。 自分自身が『神聖な場所』と言われても、自分にその神の加護があるとも希には思えなかった。 「それで、もしそれが本当だとして、あたしにはどんなデメリットがあるの?」 希はベンチから立ち上がり、満瑠に聞いた。 満瑠は少し考えて、答えた。 「肩凝りが治りません。ずっと身体が重い状態です」 「それは嫌だね……」 意外にも地味な答えだった。 しかし、だからどうなのだとも言いたい。 「私はあなたと同じ境遇の方を存じ上げています」 彼女がまた真剣に話し出したので、再び希は顔を上げた。 「その方はこの国の最も尊い存在、日本の神の頂点に立たれている方です」 それを聞いて、希は言葉が出なかった。
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