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Episode 09
一階に中華飯店が入るレンガ造りの五階建てアパートメント。歴史を感じさせる外観とは違い、建物内は近代的なリフォームが施されている。二階は共用部であるリビングとキッチン。三階はエディとリウそれぞれの自室と空室が二部屋。四階はリックの自室と空室が三室。五階はアッシュの自室と空室が三室となっている。
夜の九時。ウィルの店にアッシュを迎えに行ったリックは、一階のライの店で揃って夕食を済ませた後アッシュと別れた。一旦自室に戻りシャワーを済ませてから、五階のアッシュの部屋へと向かった。
開け放たれている部屋のドアを閉めて室内に入る。真っ暗なリビングを通り、照明が灯されているベッドルームへと足を踏み入れる。シャワーを浴びたのだろうボクサーパンツだけを穿いたアッシュが、タブルベッドに寝転がり日記を書いていた。自分の気配に気づいているだろう彼の傍に歩み寄れば、日記帳を閉じて振り返った。
「アイツらを待たなくていいのかよ」
「今日は週末だ。たぶん同僚と飲んで帰ってくるだろうから待たなくていい」
そう言いながらリックはダブルベットに上がり、頬杖を付いているアッシュの隣に座る。
頬杖を付いたままのアッシュは、枕を挟んでベッドヘッドに凭れたリックに封筒を差し出す。トカゲのシーリングスタンプは割られずにそのままだ。
「今朝、レネから要求された社会奉仕のネタだ」
開けていいぜ、とアッシュは起き上がり、ナイトテーブルに手を伸ばす。フォールディングナイフを取ると、それをリックの隣に座りながら手渡した。
リックはハンドルに収納されているブレードを引き出す。鋭いそれを封筒のフラップ上部に差し入れる。そして一気に切り裂いて、二つ折りのメッセージカードを引っ張り出す。トカゲが箔押しされたそれには簡単なメッセージと日時、ドレスコードが記載されていた。
「リカルド主催のパーティか。面倒なときに日本人を助けたな」
封筒に中身を戻してフォールディングナイフと一緒にナイトテーブルに置いた。次の瞬間、まるで隙が出来るのを待っていたかのようにアッシュが膝の上に乗ってきた。
「…ったく。ついでにヤクザが襲撃して来たら応戦してくれと頼まれた」
「ルールを上手く利用されたな。で、承諾したのか?」
「まぁな、ライの店で皿洗いなんてやりたくねぇからな」
「そうか。あの日本人の死んだ兄貴は「Wurfel」のコックだった」
「へぇ。なぁ、もっとおもしれぇ話ねぇの」
勘の鋭いアッシュは話が読めたのだろう、こういうときは手間が省けて助かる。別の話をねだってきたアッシュにとって面白くはない話を、もうひとつしなければならないリックは言う。
「明日兄さんが遊びに来る。さっき連絡があった」
「遅ぇと思ったら、クソキースと喋ってたのかよ」
「本人の前でクソって言うなよ」
「オレは行かねぇ」
そう言うだろうと思っていたリックは溜息を零す。四年前に会わせろと言ってきた兄に対面させた。そのとき挨拶もせずいきなりハグをした兄をアッシュは嫌っている。今回はアレで釣るか、とリックは考えていた褒美を口にする。
「お前が兄貴に会ってくれるなら、フレンチトーストにアイスも乗っけてやる」
「その手にはノらねぇ。アンタひとりで別宅に行けよ」
「お前が来ないなら、こっちに兄貴が来るぞ」
「何で、そんなにオレに会いてぇんだよ?」
「お前のことを家族……」
そこまで言いかけてリックは、「お前のことを大事に思っているからだ」と言い直す。アッシュが理解できなければ、次はどう言ってやればいいのか適切な言葉を探し始めたそのとき、黙っていたアッシュが口を開いた。
「アンタは?」
「俺もそう思ってる」
そう言いながらも、俺は何を言っている、とリックは思う。昔可愛がっていたネコと同じ名前を付けただけで、仕事上のバディである前に監視対象者だ。しかも対価が払われる度に男相手に昂って、この五年関係を持ち続けた。自分の気持ちがわからない。いや、本当はわかっていて認めたくないだけなのかもしれない。
「アンタ、嘘が下手だな」
「耳、痛むか?」
「こんなのかすり傷……」
リックはアッシュに最後まで言わさずに唇を塞いだ。あのとき、お前が心配だからとなぜ言えなかったのか。言葉選びを間違えた自責の念に駆られながら、アッシュの口腔に差し入れた舌先で優しく柔らかな場所を擽る。いまはただ求められるままに差し出せるものは、与えてやりたい。勃ち上がりかけている男根を押し付けてきたアッシュの舌を吸い舐めながら、彼の腰に手を伸ばす。ボクサーパンツに両手を差し入れて、ゆっくりと人差し指をアナルに入れる。第二関節まで沈めた指で緩くピストン運動を繰り返せば、離れていった唇が吐息を漏らした。
「っはぁ…」
「痛くないか」
「アンタの指は太くて気持ちいい」
リックの首に両腕を回しているアッシュが吐息混じりに言った。
指を増やす前にリックは、もう片方の手をナイトテーブルに伸ばす。その引き出しに入っているローションのボトルを取る。アナルに挿入していた指を抜き、片手でキャップを取り外したローションの先を直接アナルへと入れる。軽くボトルを押して透明な液体を注入すると、指を二本に増やして肉壁を擦るように動かす。
「ん…あぁ」
耳元で掠れた声を上げるアッシュに興奮して、自分の雄も熱を帯び始めたのがわかった。それを迎え入れる場所を解してやっている途中で、膝に座っていたアッシュが膝を立てる。
「…はぁ、アンタのがいい」
頭上から降ってきた要求に応えようとした次の瞬間、アッシュの上体に視界を遮られる。それも一瞬、布を引き裂く音に、また下着をダメにしたか、とリックは溜息を零す。先程封筒を開封するときに使ったナイフで、先走りで濡れた自分のボクサーパンツの端を引き裂いたアッシュは口端を引き上げて笑う。
「脱がせるよりこっちの方が早ぇだろう」
膝に跨ったままのアッシュは言いながら、リックのスウェットパンツを下着ごと引き下ろす。脱がす際に軽く弾んだ硬く屹立している男根を掴むと、アッシュはアナルにカウパーで濡れた亀頭をあてがったのも束の間。すぐに腰を下ろして根元までアナルに収めた。リックの分厚い胸筋に両手を付くと、彼を見下ろしながら腰を使い始めた。
「…はぁ…あぁ…」
********
翌日。新市街の緑が多いエリアにある高級住宅地。大通りに面した居住区から距離を置いた森の中の家から海が望める、白と黒を基調としたスタイリッシュな外観の地下一階・地上二階建て住宅。地下射撃場と武器庫が完備された邸宅の持ち主はリックだ。
広々としたリビングルームはモノトーンで統一されており、海が望める広大な庭に面した天井まである窓辺には高級家具メーカーのシックなL字カウチソファ。そして一人掛けの三脚のソファチェアが並んでいる。必要な家具以外置いていない殺風景なそこに銃器やカスタムパーツが詰まった木箱が三箱。そしてサイズ違いのダンボールが五箱積まれていた。ここに荷物を運ばせた数人の部下に手当てを配り、外で食事をするように命じてリビングから追い払った男にリックが声を掛ける。
「兄さん。この前会ったときに量を減らしてくれと言ったはずだ」
「別に構わないだろ。私のカネだ」
四十代のキース・コールは、リックの年の離れた兄だ。代々続く海運会社の幹部を勤める傍ら、それを利用した国際的な武器商人だ。某国と同盟関係にある国々を相手に取引を行っている。他国で暮らしているが、半年に一度アッシュに大量の贈り物を携えて遊びにやってくる。
「俺の家をアイツのウォークインクローゼットにするつもりか」
「それは名案だ。別に新しい家を買ってやろう」
軽い口調で笑ってキースは、アパレル用のかぶせ式ダンボールを二箱一緒に抱える。そのままL字カウチソファの方へと運んで積み置くと、ダンボール箱の蓋を開けた。裏地にボディアーマーが織り込まれているオーダーメイド・スーツを取り出す。タキシードとフォーマルなスーツを、それぞれソファチェアの背凭れに掛けるように置いた。
「何か飲み物を入れる。何がいいんだ」
「お前の好きなエスプレッソ」
「わかった」
リックはリビングと隣接しているキッチンへと向かう。
レトロなイタリア製のエスプレッソマシンに二人分のカップをセットする。同時に淹れたエスプレッソカップを持って、リビングの方へと戻る。一人掛けのソファチェアに足を組んで座るキースにカップを手渡して、彼と対面になるようにカウチソファに腰掛けた。
「今日はセムと一緒じゃないんだな」
エスプレッソの芳醇な香りを鼻先で楽しんでから、カップに口を付ける。豊かなコクと甘みが口腔に広がる。同じタイミングでカップを口に運んだキースは、三口で飲み干してから応じた。
「ウィルに会いに行かせた」
ウィルがバトラーとして仕えていた主人は、世界シェアナンバー上位に入る海運会社のCEOである二人の父親だ。いま彼に仕えているのはウィルの甥。そして彼の息子がキースに秘書兼護衛として仕えている。
「アッシュは地下にいるのか」
「いや、近所の公園だ」
「スケボーか」キースは穏やかな笑みを口元に浮かべて、エスプレッソが入っていたカップをセンターテーブルに置きながら続ける。
「この五年で戦場しか知らなかったアッシュの視野が広がったな」
「あぁ、書かせている日記も続いている」
リックは手に持ったままだったカップを、自分の目の前にあるセンターテーブルに置いた。
正直、一週間も続かないだろうと思っていた日記を、いまも一日も欠かさずに書き続けている。一度もチェックをしたことはないが、書いている様子から行数が増えていることが察せられた。
「アッシュは、ウィルがうちの元使用人だと気づいたか?」
「いや、まだだ。このまま気づかないでいてくれるといいんだが……」
そう言いながらもリックは、どちらなのかわからなかった。勘の鋭いアッシュが、気づいていないはずはない。しかし、何も言ってこないことから、本当に気づいていないのかとも思う。こちらから下手に聞けば、明かすことにもなりかねないことから何も言えずにいる。
「ウィルは優秀だ。任せておけ」
穏やかに笑ってからキースは、隣の席に掛けている二着のスーツを一瞥してから続ける。
「お前も五日後のパーティに参加するのか」
二着のスーツはアッシュ用だ。スーツ一着だけを用立ててくれとリックに頼まれたが、選べるようにタキシードも専属のテーラーに仕立てさせたのだ。
実は、リックは昨夜アッシュが眠ったあと、仕事用スーツをキースに電話で頼んでいたのである。それに限らず彼が身につけているネックレス以外、すべてキースからの贈り物だ。
「いや、アイツだけだ」
「それなら私の仕事に同行を頼めるか」
「あぁ、構わない」
「助かる。お前には通訳も頼みたいからな」
「わかった」
「今日はお前にもみあげがある」
そう言ってキースは笑いながら立てた人差し指を振ると、ソファチェアから立ち上がった。木箱とダンボール箱が積まれている場所からカバンを取って戻る。それを座っていたチェアに腰掛けて膝の上に載せると、薄い純白ロール紙に包まれた何かを取り出した。包装紙を解いて包まれていた品物を、リックの方に向けてセンターテーブルに置いた。
思わず飼っていたネコの名前を言いそうになったリックは、寸前で言葉を嚥下する。
キースのみやげは、陶器製の前脚を立てて座るネコの置物だった。やや顔を上向けてこちらを見上げている愛猫そっくりの置物を撫ぜれば、当たり前だが体温を感じることは出来なかった。
「お前が昔拾ってきたデカいネコ……えっと、名前は」
「…アッシュ」
リックは教えてやるべきか一瞬迷ったものの、天井を仰ぎながら記憶を手繰り寄せようとしているキースにネコの名前を言った。
「そうだ、アッシュだ…って、おい!」
「兄さん、アイツが帰ってきたぞ」
遮るように言ってリックは、壁に設置されている大型テレビを顎で指す。点けっぱなしのそれには、この家の各部屋や外に備え付けられている監視カメラの映像が画面に映っている。後ろに振り向いて画面を見ているキースがアッシュを見やすいように、リモコンで玄関の映像を拡大表示に切り替えた。スタイリッシュな邸宅の門を抜けて重厚な玄関へと続く長いアプローチを、スケードボードに乗りながら母屋に向かっているアッシュが画面に映し出される。
数分後、玄関ドアが開閉する音が聞こえた後に、アッシュがボードを脇に抱えてリビングにやってきた。その瞬間、ソファチェアから立ち上がったキースが、両手を大きく開いてアッシュに駆け寄る。「久しぶり」とハグをしようとした瞬間、身をかわされて言う。
「挨拶のハグはマナーだぞ」
「アッシュ」
リックは溜息を吐いてからいうと、視線でも促した。
舌打ちしながらアッシュは脇に抱えていたボードを床に置くと、両手を広げたままのキースに振り返った。次の瞬間、まるで嫌がるネコを無理矢理抱くようなハグを生気のない目で嫌々受ける。アッシュは助けを求めるように笑っているリックに視線を向ける。
「兄さん、爪を立てられる前に離れた方がいい」
キースはリックの助言を無視してアッシュを抱きしめたまま、彼の頬に髭の生えた顎を擦りつけている。このままでは事前に手は出すなと言ってあるアッシュの頬が髭でかぶれる。リックは、生気のない目で自分を見つめているアッシュに目配せを送る。次の瞬間、彼の目に光が戻る。
「クソキース、ハグタイムは終了だ」
アッシュは言葉と同時、キースの背中に回した手の爪を思いっきり立てる。次の瞬間、身体を拘束していたキースの腕が離れていった。
「お前の拾ってくるネコは凶暴だな」
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