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Episode 10
―――五日後。
中世の歴史的建造物も数多く現存している旧市街。そのひとつを貸し切り、スペイン系犯罪組織「ラガルティハ」主催で屋外パーティが開かれていた。
ほぼ崩壊している宮殿のような遺構を背景に設けられた特設ステージでは、有名なフラメンコ・ダンサーによるショーが催されている。情熱的な歌とギターが奏でるリズムにのりブラックスーツに身を包んだ二人の男性ダンサーが、激しく美しい力強いステップで招待客を魅了している。そのステージから離れた場所に設けられたバーで、ブラックスーツに身を包んだアッシュは周囲に視線を配りながら酒を飲んでいた。
(……いねぇな)
いまのところニ百人以上はいるだろう招待客の中に不審な動きをしている者はいなかった。仕事のときだけ装着している左手首の内側にしている腕時計に視線をやる。夜の八時であるから、あと一時間ほどで麻薬取締局であるDEAが乗り込んでくる。彼らが来る前に会場から引き上げるよう昨夜リウから言われたアッシュは、そのとき見せられたこの会場の見取り図を浮かべる。目にしたモノを一瞬で写真のように覚える瞬間記憶能力に長けているアッシュは、幾つかの脱出ルートの中から地下通路を使うことを決める。次の瞬間、声を掛けられる前に振り返れば、ショールカラーのタキシードを着たレネに声を掛けられた。
「アッシュ、おいで。兄さんところに行こう」
カウンターにグラスを置いて、自分に向かって手を差し向けているレネに歩み寄る。彼の手を取らずに横に並んで足を進めれば、レネのボディガードらしい男が笑いを堪えるように唇を噛んで顔を逸らした。男を鋭い目で睨んでからレネが話しかけてきた。
「そのスーツも似合っているけど、タキシードを着てきて欲しかったな」
「ドレスコードは守ってるぜ」
「ちょっと待って……」
急に立ち止まったレネに釣られて足を止めて振り仰げば、スーツの胸ポケットにバラの花を挿し入れられた。すぐに引き抜こうとしたのも一瞬、その手をレネに掴まれる。
「君は赤がよく似合う」
そう言って微笑んだレネは、リップ音を立てて手の甲にキスを落とす。
アッシュはレネが不要意に触れてくれる前に対処できたが、彼は組織から距離を置いているとはいえ、「ラガルティハ」のボスであるリカルドの末の弟だ。ここで迂闊に手を出せば、会場に散ばっているスパイラルチューブ型のインカムを耳に差し込んでいる組織の連中と、ひと悶着起こすことになる。銃撃戦になっても構わなかったが、リックに「手を出すな」と釘を刺されていることもあり抵抗せずにいる。
「さっさと連れて行けよ」
「そうだね。二人も待ってるしね」
「へぇ、あの漆葉光も来てんのか」
「君にフルネームで覚えてもらっているウルが羨ましいな」
「アンタはレネ・ヴィダルだろ」
「嬉しいな」レネは微笑んでアッシュを引き寄せて、今度は額にくちづける。
「ご褒美にとってもユニークなウルの兄さんの経歴を教えてあげる」
向かいながら話すよ、とレネは歩き出す。
アッシュは、先日「あの日本人の死んだ兄は「Wurfel」のコックだった」とリックから聞いて直感的に読んだことを、レネの口から聞きながら足を進める。
特設ステージでは、有名なオペラ曲に合わせて男女のペアがタンゴを踊っていた。妖艶なダンスを繰り広げる二人に触発されて、周りの招待客たちも踊り出す。その様子を横目にアッシュは、漆葉の死んだ兄の話をするレネと建物内部に入る。
外壁と同じ石灰モルタルを用いられている内部は、装飾やタイルが綺麗な状態で残っていた。歴史的価値が分からないアッシュは促されるまま、ボディチェックを受けずに重厚なドアを通って中に入った。今夜のために運び込まれたのだろう現代の家具が並んでいた。それぞれ衿の形が異なるタキシードを着たリカルドと漆葉が揃ってソファに腰掛けていた。そして二人の背後には、ブラックスーツを着たレネの二番目の兄レノが控えるように立っていた。彼とレネは一卵性双生児ということあり、見分けが付かないほどそっくりだ。
「君がアッシュか」
四十代のリカルドは、レネよりも長身で屈強な身体つきをしていた。マフィアのボスだけあり貫禄の威圧感があった。ソファから立ち上がり自分の元へと歩み寄ってきたリカルドに、アッシュはリックに教えられた挨拶をスペイン語で言う。
「今日はお招きいただきありがとうございます」
「レネから話を聞いていて、一度会ってみたかったんだ」
まるで豹のように美しい、とリカルドは微笑みながらアッシュに片手を差し出す。
アッシュは嫌々ながらもそれを顔には出さず、差し出された手を握る。
「ウルを助けてくれありがとう」
「いえ、お役に立てて光栄です」
そう言いながら、社会奉仕じゃなきゃ助けてねぇ、とアッシュは胸中で悪態を吐く。
「噂で君の腕は一流だと聞いている。どうだね、君さえよければウチの専属になってくれないか?報酬は君が希望する額を払おう」
「いえ、お言葉だけ頂いておきます」
「気が変わったらレネに伝えてくれ。いつでも歓迎するよ」
リカルドは微笑むと、やっと握手を交わしたままだった手を離した。
アッシュは力強く握られていた手を振って解したいのを我慢する。
「ウルからもお礼を言いなさい」
「先日はありがとうございました」
英語で笑いかけてきた漆葉に握手を求められる。手を差し出しながら、「デカいバックが付いて安泰だな」とアッシュは日本語で言って口端を引き上げる。すると、漆葉は驚きも動揺すらせず、「あんたらのおかげで、また一儲けできる」平然と日本語で笑い返してきた。
先日会ったときに直感したとおり、狡賢い男だったことに笑いが込み上げる。しかし、表情を変えることもなくアッシュは、握っていた漆葉の手を離す。
「日本語でのお気遣いありがとうございました」
英語で話しながら漆葉は、アッシュに『余計なことは喋るなよ』という目を向ける。
日本語で何を話していたのかリカルドたちに聞かれないよう先手を打った漆葉に感心していると、隣に立っているレネがリカルドに言った。
「兄さん。もう挨拶はすんだから、おれがアッシュを独占してもいいよね?」
リカルドが応じるよりも先に、レネはアッシュを促して部屋の外へと連れ出す。
その場から早く退散したかったアッシュは、レネの行動の速さに感謝する。そのまま思ったことを言葉にすれば、調子に乗ることが安易に想像できることから声に乗せなかった。
特設ステージのタイムテーブルは、アップテンポなダンスミュージックを演奏するバンドに変わっていた。先程までエロテックな空気に包まれていた会場は一転、クラブさながらのダンスフロアになっていた。エレクトリックな曲に合わせて変わる照明を浴びながら踊る招待客の群れをアッシュは、さっきのバーでレネと並んで眺めていた。
「兄さんは趣味が悪い」
「アンタもな」
「君以上の美貌を持った男はいないよ」
振り向いた瞬間、目が合ったレネに顎を掴まれる。その手を振り払おうとしたそのとき、「いい子でな」というリックの言葉が耳元で鮮明に蘇る。アッシュは初めて知る『ジレンマ』という感情を覚えながら耐える。
「ねぇ、おれのモノにならない?」
そう言いながらレネは、アッシュの顎を捕えている手の親指で唇の輪郭をなぞる。
少しずつ唇を開きながら近づいてきたレネが唇を塞ごうとした次の瞬間、一発の銃声が耳に飛び込んできた。その瞬間、互いに離れると同時、カウンターを飛び越える。
カウンターの内側に身を隠しながら、アッシュとレネは会場に視線を走らせる。
日本のヤクザと彼らに雇われたらしいアジア系の男達が会場に乗り込んできた。銃をぶっ放しながら招待客を蹴散らせ、日本語と英語で漆葉の名前を叫んでいる。
会場に散ばっていたスパイラルチューブ型のインカムを耳に差し込んでいる男達が、招待客をかき分けて駆け寄ってきたのも束の間。騒ぎに気づいた招待客達が逃げる中、銃撃戦が始まった。
「オレは十人仕留めたら帰るぜ」
そう言ってアッシュは立ち上がり、カウンターを飛び越える。素早く腰のホルスターから銃を抜き、「ラガルティハ」側の援護に向かう。
銃の扱いに慣れていないド素人のヤクザを、次々とヘッドショットで仕留めていく。途中建物の柱に身を隠して空のマカジンを捨てリロードする。そして、また敵を確実に仕留めていく。十人以上を殺したところで、銃を構えていても文字盤が見えるように装着している腕時計を一瞥する。麻薬捜査官たちが突入してくる十分前だった。
アッシュはアジア系の男を殺しながら、地下通路に繋がる階段がある建物へと移動する。
逃げ惑う招待客に紛れて建物内に入り、隠し地下通路と続いている階段を駆け下りる。漏れ聞こえてくる地上のサイレンを聞きながら、トンネルになっている通路を疾走する。
一階に中華飯店が入るレンガ造りの五階建てアパートメント。その五階にある部屋へと向かって外階段を駆け上がる。玄関ドアを開け放ったままの部屋に帰り着いたアッシュは、荒い呼吸もそのままにベッドルームに向かう。
ブラックタイを緩めながら足を踏み入れた次の瞬間、いつも冷静なアッシュが目を見開く。出掛ける前にナイトテーブルに置いたはずの本が、ダブルベッドに載っていたのである。この部屋に無断で入ってくるのはリックだけだ。しかし、彼は早朝キースの仕事に同行するために出掛けて行った。残るエディとリウも、今夜は夜勤で不在だ。神経を尖らせて部屋の隅々まで視線を配るが、人の気配は感じられなかった。
大きく息をつき部屋の照明を灯すと、汗を拭いながらタブルベッドに浅く腰掛ける。後ろに振り返りながらブラックタイをシャツの衿から抜き取り、先日ウィルの店から持って帰ってきていた本を手に取る。それも一瞬、挟んだ覚えのない紙を抜き取れば、
<ガラ、ケインの本を使って暗号を解いてみろ>
メッセージともに英数字と文字列が三行に渡って綴られていた。
「……アウル」
自分に暗殺技術を叩き込んだ男の名前を口にしたアッシュは、猛禽類研究の第一人者であるケイン・ラーティ教授の著書を開く。ページ数、そのページの行数の何番目かに記されているアルファベット一文字を拾い、また同じことを繰り返して言葉を組み立てていく遊びだ。それは反政府ゲリラの戦闘員だった頃に娯楽といえば賭けトランプしかなく、愚痴を零したときに読書家だったアウルが提案した遊びだった。
<左目の借りを返してくれ>
待ち合わせの場所と時間も割り出したアッシュは、首の後ろに手を回す。普段は不揃いな襟足の髪で隠れているレタリングタトゥー。それは、かつて所属していた反政府ゲリラの掟「貸し借りは一度のみ有効。返却者は相手のいかなる要望にも応じなければならない。拒否した場合は制裁を受けなければならない」を交わした文言を簡素化した言葉が施術されていた。このタトゥーに上書きする形で誓約を果たしたという印になる文字が刻まれていなければ、誓約は有効となる。それは組織の解散の有無を問わない。
「なんで、いま何だよ」
タブルベットに腰掛けたままのアッシュは、後ろに倒れ込んで天井を仰ぐ。
(……いつから)
ふと先日会ったスティーヴンの顔が過ぎる。
次の瞬間、アッシュははっと何かに気づいたように上体を起こす。
『化膿止めもやるから飲んでおけ』
あのときスティーヴンは、クスリが入ったボトルの裏側表示を確認してから渡してきた。一度も自分を診察したことがないスティーヴンが知るはずもない、クスリにアレルギーがあることを知っている様子だった。感じ取った違和感が気のせいでなければ、先日ウィルの店で会ったスティーヴンはアウルだ。彼は殺しの技術だけではなく、各国の諜報員を欺くほどの変装技術にも長けている。
(ワザとヒントまで出しやがって…クソ)
親指の爪を噛むのをやめて、静かに目蓋を閉じる。冷静さを取り戻して目蓋を開くと、意を決したようにアッシュはダブルベッドから降りる。腰のホルスターを取り外し、スーツを脱ぎ捨ててクローゼットから適当に選んだ服に着替える。不揃いな襟足の髪をひとつに束ねると、腰にホルスターを装着して銃を抜き取る。ナイトテーブルに載っている別の銃と交換してホルスターに挿す。続けてフォールディングナイフを隠し持つと、ベッドルームの出入口ドアの方へと向かった。
しかし、すぐに今日の日記をつけていなかったことを思い出して踵を返す。
タブルベッドのベッドヘッドとマットレスの間に隠している日記帳を引っ張り出す。その場に立ったまま、ペンが収納できる革カバーが掛かった分厚い日記帳からペンを引き抜く。素早く今日の日付のページを開いて、個性的な字で日記とリックへのメッセージを綴る。それを元の場所に戻すと、照明を消してベッドルームを出た。
「いい子でな、か」
悪ぃ…リック、と謝罪の言葉を口にしたアッシュは、リビングを通って部屋を出る。
02、All is not gold that glitters./ FIN
2023/08/03
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