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Episode 11
数十年前。
S国。闇の密度が高い夜。金さえ出せば買えない物はないとされている闇市場が開催されていた。銃砲や刀剣類、ドラッグ等の様々な出店が通りの両サイドに軒を連ねる。素顔を晒して歩いている者はおらず、シュマーグで顔を覆って武装している客が大半だ。
目以外をシュマーグで覆った長身の男が、闇市場を歩いている。カモフラ柄の長袖シャツの袖を肘まで捲り上げている男は、スリングを装着しているアサルトライフルの銃口を上に向けて背負い、腰にはハンドガンが挿し込まれたホルスター。軍人ではない。この国に複数いる武装組織の中で、最も戦闘員が多いゲリラの幹部あり教育係だ。
アウルの通り名で知られる男は、若干二十代前半という若さでプロの暗殺者よりも射撃の腕が立ち、対人戦闘においても殺傷能力が高い接近格闘術を習得している。そしてサバイバル術や変装にも長けている。三年前、現在所属している組織のボスに教育係として招かれ、あっという間に軍隊並みの統率が取れた組織に纏め上げた。
「よう、アウル」
富裕層向けの闇マーケットの売れ残り。所謂、人身売買オークションの在庫処分専門の元締めである顔見知りの男に声を掛けられて足を止める。
「ガキを育てるつもりはない」
ある事で借りがあったアウルは、半年前に男から数人の子供を買った。いまも生き残っている者はいない。その半数が少年兵に育てる過程で死に、残りは政府軍との銃撃戦で死んだ。もう殺しの経験もない子供を、一から戦闘員に育てる気はない。何より胸糞悪い。
「まぁ、そう言うなよ。今日は面白いガキがいるんだ」
「もう借りは返した」
他の奴を当たれ、とアウルは自分を見上げている男に背を向けて歩き出す。しかし次の瞬間、「鳥のために人を殺したガキでもか?」という男の言葉に立ち止まり振り返る。
「ウソかホントか、どっちだ?」
英語でフクロウを意味するアウル。鳥の中でも特に猛禽類が好きなアウルは、自分よりも年上の小太りな男を見下ろす。
「本当だ。誓って嘘じゃねぇ」
「性別は?」
「男だ」
「わかった」
どこにいる?とアウルは男の周囲に視線を配る。
アウルは三年前に組織を纏め上げた際にNo2になり、ボスと共にさまざまな規律を作った。そのひとつである、組織内で性奴隷を囲わないと定めた。仲間内で女を共用するよりも、支援者に出資させて作った婦館で働かせることにしたのだ。両者の取り分を決め、互いに利益が出るようにしたのである。男女どちらでも構わなかったが、性別を聞いて会う気になった。男が言ったことが本当ならば、少年兵として育てやすい。
「さぁさぁコッチだ」
金歯が覗く笑顔で男は、ごった返す人並みをかき分けて先に進む。
アウルは両サイドに軒を連ねる出店や周囲に視線を配りながら、男に案内されるままに市場を出る。人通りが少ない場所に警戒心を尖らせ、夜目が効くアウルは周囲に細かく視線を配る。先を歩いている男が、他の武装組織に自分を誘き出すよう買収されているとも限らない。裏切りも想定して襲撃された場合の戦術を巡らせながら、広い歩幅で足を進める。
互いに無言のまま舗装されていない道を進んで、レンガ造りの建物に挟まれた路地に入る。少し歩いたところで視界が開け、小さな人影が見えた。
「あのガキがそうだ」
男は後ろにいるアウルに振り向いて言うと、小さな人影の元へと走り出した。
ガラスが割れて電球が剥き出しになっている街灯、そのポールに鎖で片足を繋がれている子供が見えた。夜の闇に怯えて顔を下げることもなく、自分に歩み寄ってくる大人を真っ直ぐに見据えている。六歳くらいだろうプラチナブロンドに褐色肌の少年だった。その小さな肩には、まるで彼を守るかのように隻眼の鷲が止まっている。
「この面なら愛玩具として高額で捌けただろう?」
少年は殴られたのだろう左唇端が裂傷していたものの、幼いながらも過剰なほど整った顔立ちをしていた。けれど、恐ろしく無表情だった。在庫処分専門の男のところに送られて来るまで、短いサイクルで売買が繰り返されてきただろうことが伺えた。
「どこに出しても売れ残っちまったのは肌の色だ。金持ちは白が好きだからな」
「飼い殺すペットも白か」
鼻先で笑ったアウルは、自分を値踏みするかのように睨んでいる少年に視線を遣る。
「さっきの話だが。俺が聞いた話によるとガキが殺ったのは運び屋の男だ。その肩に乗っている鷲も商品だったらしいんだが、輸送中に他の鷲と喧嘩して片目になっちまったから剥製にして売ろうと電話で仲間と話している所を……」
そこまで言って男は、首を掻っ切る仕草と同時にコッと舌鼓を打った。
少年に視線を向けたままのアウルは、手を後ろに回しタクティカルパンツの尻ポケットに差し込んでいる猛禽用グローブを引っ張り取る。それを装着しながら、子供の目線に合わせるようにしゃがむ。
「どう殺した?」
「後ろからフォークで首を刺して、そいつの銃を奪って殺した」
オレは悪くない、と少年は目の前にしゃがんでいるアウルを真っ直ぐに見て言った。
その目に罪悪感が一切ないことにアウルは、幼い頃の自分を見た気がした。彼もまた少年と同じ年齢で、初めて人を殺している。自分の正義を全うした少年を肯定してやる。
「そう、お前は悪くない。イイコだ」
頭を撫ぜてやれば、嬉しそうに笑った。へぇ、笑えるのか、とアウルは思った。少年のポーカーフェイスは自分の境遇に絶望している訳ではなかった。過酷な環境でも腐らない強い芯を持った子供のようだ。
「初めてにしては上出来だ」
アウルは口端を引き上げると、鷲の足元に猛禽用グローブを装着している片手を差し向けた。次の瞬間、その手に少年の肩に止まっていた鷲が飛び移る。「お前もイイコだ」と鷲に声を掛けながら立ち上がる。
「コイツの名前は」
「ソル」
さっきまで英語で話していた少年がスペイン語で言った。
「へぇ、太陽か。いい名前だな」
これで血を拭きな、とアウルは、もう片方の手で腰に巻いているシャツを取り投げる。
少年は反射的に掴み取ったシャツで、鷲の鉤爪で裂けて血が滲んでいる肩を拭き始めた。
「他人から与えられたら「ありがとう」だろ?」
「ありがと」
「素直だな」
「で、いくらで買ってくれる?」
二人の様子を伺っていた男は胸の前で手を揉みながら言った。
「まずは健康診断を受けさせてからだ」
「ヤクも食わされてねぇし、病気も持ってないだろう」
「半年前に買ったガキのひとりが、病気持ちだったことを忘れたのか?」
そう言いながらアウルは、眼光鋭く男を睨む。
「わ、わかった。そのガキは……」と男は手で金額を示す。
半年前買った子供より半値を提示してきた男に笑って、タクティカルパンツのポケットに手を突っ込む。この国の紙幣を引っ張り出し、「前金だ」と男に握らせた。すると、男はニヤリと笑って金をポケットに突っ込んでから、街灯のポールに鎖で繋いでいた少年の足首から拘束具を外した。
「俺についてきな」
行き先も聞いて来ずに頷いた少年に背を向けて歩き出す。
アウルは買い物を済ませていたことから闇市場には戻らず、ここに乗って来たピックアップトラックを止めた場所へと向かう。
少年と会話を交わすこともなく十分程歩いたところで、視界の先に闇市場から死角になる場所に止めていた車を捉える。車の見張りを頼んでいた青年にチップの硬貨を投げ渡すと、ピックアップトラックの荷台に回り込んだ。テールゲートを下ろして荷台に載っている愛玩動物用の大型キャリーケースを引き寄せ、片腕に乗ったままの鷲を中へと入れた。
「お前も乗れ」
アウルは片手で子供を引っ張りあげて乗せると、荷台から飛び降りてテールゲートを上げてロックを掛けた。運転席に回り込んで乗ると、友人が暮らす家に向かって車を走らせた。
二時間ほど闇市場が開催されている場所から車を走らせ、ジャングルの中にある木造二階建ての家に着いた。所々に修繕跡が見られる住宅の玄関前に着けるように車を止める。
運転席から降りたアウルはキャリーケース片手に子供を連れて、玄関扉に設置されている鉄製のドアノッカーを指先で摘むように掴む。数回打ち付けると、玄関扉が内側に僅かに開き男が顔を覗かせた。
「いま何時だと思ってるんだ?」
四十代のケイン・ラーティは、神経質そうな眼鏡を掛けて無精ヒゲを生やしている。
左手首の内側に装着している腕時計を一瞥してから言う。
「三時だ」
「昼の三時みたい言うな」
諦めの声と同時に玄関扉が大きく内側に開く。アウルは子供に先に入るように促す。少し躊躇ってから玄関に足を踏み入れた少年を二度見したケインに、「オッサンから買った」とスペイン語で言ってアウルも続けて入る。
何か言いたげな顔でケインは、玄関扉を閉めて複数設置している鍵を施錠した。
キャリーケースを抱えたままのアウルは、玄関のマッドルームに二つ並んでいるドアのひとつ診察室の方へと向かう。
先回りしてドアを開けてくれた少年に礼を言ってから診察室に入る。抱えているケースを動物用の体重計付き診察台に載せれば、「また保護してくれたのか?」とケインが入ってきた。
ここは野生動物を保護・治療する病院だ。といっても病院として経営している訳ではない。数年前まで欧州の名門大学で教授をしていた猛禽類研究の第一者であるケインは、この国にだけに生息する野鳥観察に訪れそのまま移住してしまったのだ。
「ノーチェは?」
そう言ってアウルは、肩に背負っているアサルトライフルを下ろして診察台に立てかける。続けて顔を覆っているシュマーグの結び目を解く。次の瞬間、シュマーグを取ったアウルの長い髪が肩に落ちる。組織内でも完全な素顔を晒すことはない彼は、彫りの深い美形だ。
「昨日お前が持ってきた魚、今朝見に行ったら全部食ってたぞ」
アウルは、半年前アジトがある森でケガをしたフクロウを見つけて保護した。手当てをしてやったものの衰弱して行くばかりで困っていたときに、少年を買った男にケインを仲介してもらったのだ。いまそのフクロウは野生に返すことは叶わなかったが、生息環境が再現されたケージで暮らしている。
「また釣りに行かねぇとな」
屈託なく笑ってアウルは、「ソルの健康診断を頼む」とキャリーケースを視線で指す。
診察台に載ったままのケースを横から覗いたケインは、興奮させないようチラッと覗いただけで顔を上げて鷲の学名を告げる。同じタイミングで頷いたアウルと少年に思わず笑う。
「ついでにガキの健康診断もヨロシク」
「俺は人間の医者じゃないと何度言えばわかる」
「どっちも生物には変わらないだろ?」
軽い口調で言ったアウルは、シルバーのバングルを装着している右手で髪を後ろに掻き上げる。フクロウの風切羽がデザインされているそれに触れてから、「こっちに来な」と戸口に立っている少年に声を掛けた。この診察室を見回していた少年は頷いてから、傍に歩み寄ってきた。
「ありがと」
先程貸してやったシャツが、御礼の言葉と一緒に返ってきた。頭を撫ぜてやろうとすれば、素早く間合いを取るかのように距離を取った。思わず笑ったアウルは唇から笑みを消し、血で汚れたシャツを見てから口を開いた。
「他人の持ち物を汚したら「ごめんなさい」だろ?」
「ごめん」
「ありがとうとごめんなさいは大事だ」
わかったか?とアウルは少年の頭を撫ぜてから、目線に合わせるようにその場にしゃがむ。少年の左肩に鉤爪のような痣があることに気づいた。そして、今更ながら名前を聞いていなかったことにも気づく。
「お前、名前は?」
「オレを殴る大人は色んな名前で呼ぶからわからない」
「ガラ」
スペイン語で鉤爪という意味がわかったのか、ほんの一瞬笑ってから、「ガラ」と復唱した。
「そう。お前はいまからガラだ」
「オレはアンタのペットになったのか?」
少年の前にしゃがんだままのアウルは、人差し指で右目尻を軽く叩いて目つきを変える。威圧と支配を込めた鋭い視線を向けながら、これまで少年が大人たちに言われ続けて来ただろう言葉を推測して言う。
「そうだ。俺に逆らえば殴る。殴られたくなきゃ言うことを聞くんだ」
次の瞬間、少年が殺気立った目で睨みながら低く構えて後ろに手を伸ばす。腰に先を尖らせたフォークを隠し持っていることを知っているアウルは、少年が自分にそれを向けるよりも速く手を掴む。そして軽く手首を捻りフォークを落とさせる。
「残念。俺はソルを殺そうとした男のようには行かないぜ」
そう言いながらアウルは、一切の隙を作らず床に落ちたフォークを拾い上げる。そして驚いている少年の目をフォークで突く寸前で手を止めた。「お前の効き目は右か」とアウルは笑いかけて手を引くと、フォークを持ったまま立ち上がった。
「おい、アウル。俺は肝が冷えたぞ」
「このクソみてぇな国に暮らしてんのによく言うぜ」
気の知れた者には砕けた口調で話すアウルは言いながら、予想通りだったな、と思った。
アウルは少年が刃向かって殴られたのか、従順にしていて大人の気分で殴られたのかを知りたかったのだ。察していたとおり、半年前に育てた子供とは違う前者の反応を見せた少年を気に入る。
「なぁ、どうしたらアンタみたいに強くなれんだよ?」
「へぇ、この俺みたいに?いいぜ、教えてやるよ」
アウルは、少年に自分が持てる全ての暗殺術を教えることを決めた。
この日からアウルは反政府ゲリラのアジトでガラと寝食を共にし、暗殺術を叩き込んだ。そしてケインは、文字の読み書きと必要最低限の知識やマナーを教えた。それは、あの事件で別れる日まで続いた。
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