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Episode 12
現在。スペイン系犯罪組織「ラガルティハ」主催のパーティから3日後。
三十代後半のアウルは、アッシュことガラを連れて旧市街から遠く離れた国にいた。二人は変装で別人に成りすまし公共交通機関を使って入国すると、その足で空港の駐車場に用意されていた日本製のSUV車に乗り込んだ。ライトアップされた歴史的建造物を横目に街の中心部を抜け、高層マンションが立ち並ぶ住宅街に入った頃には零時を過ぎていた。
夜の二時半。高級マンションの高層階にあるワンフロアの一室。僅かに開かれているカーテンの合わせ目から、月の光が差し込んでいるベッドルーム。アウルはジーンズだけを穿き、クイーンサイズのベッドに腰掛けていた。さっきまで後ろで束ねていたダークブロンドの長い髪がかかる広い肩、筋肉質な上半身を晒しているアウルの右肩から胸を覆うようにフクロウのタトゥーがブラック&グレーのインクで入っている。彼の後ろでは、同じタトゥーアーティストが施術したイーグルが左肩から肘かけて入っているガラが全裸で眠っている。
(まだアレが怖いか?克服させてやらないとな)
あの頃と変わらず、あどけない顔で眠るガラに口端を引き上げる。
いまから十分前まで、二人は肌を重ねていた。どちらが誘った訳でもない。ただ自然の成り行きで、気づけば互いの熱を獣のように貪り合っていた。初めてアウルがガラを抱いたのは、彼が精通を迎えてからだった。それから「対価」という名目で幾度も関係を持ち、女の抱き方も教えてやった。
(このまま朝まで寝てろ)
静かな夜は決まって惨事が起こっていたことから、ガラは戦闘のときのように神経を尖らせる。常に周囲の気配に敏感でいろと教育したが、まだ加減がわからず眠れない夜を過ごしていた。それを知るアウルは、静かな今夜も熟睡出来ないだろうとSEXの最中に睡眠導入剤を飲ませることも考えたが、体力的に疲れさせることを選んだ。しかし、いまは眠っていても、いつ目を覚ますかわからない。
アウルは静寂な夜を楽しみたかったが、ラジオが載っているナイトテーブルの方へと振り返る。何かの音さえ聞こえていれば、安心して眠れるガラのためにラジオのスイッチを入れる。アップテンポで話すDJの声よりも、鳥の囀りが聞こえるヒーリング音楽の方が自分もリラックス出来ることからチャンネルを合わせる。適度な音量に調整して、後ろに振り返る。ベッドのスプリングが弾まないように注意を払い、気配を消してガラの隣に寝そべる。アウルは片肘を付くと、傍らで気持ち良さそうに眠るガラの寝顔を見つめた。
(初めてだな、お前を清潔なベッドに寝かせてやるのは)
S国にいた頃、組織の支援者に提供されたレンガ造りの建物はアパートに偽装されていたものの、住居といえない環境だった。そのアジトとに多いときには五十人を超す、国籍も異なる男達で寝食を共にしていた。勿論清潔な寝具は存在しない。錆びついたシングルベッドに薄汚れた硬いマットレスが載っているだけマシで、組織の幹部以外は固い床に雑魚寝が主だった。師弟関係と言えども組織内では下っ端だったガラは、アウルが使っていたパイプベッドの真下で寝ていた。
(まだしてたのか)
眠るガラの首元で、鈍く光るシルバーのネックレス。鳥の形を模したバードホイッスルは、アウルが右手首に巻いているバングルと同じデザイナーが作った一点モノだ。これも鉤爪のような赤い痣があった左肩にタトゥーを入れたときのように、ケインに仲介を頼んで手に入れていた。
『親鳥を真似たい年頃なんだろう?』
『俺はガラの親じゃねぇ 』
ふと昔交わしたケインとの会話を思い出して、笑みを浮かべる。
アウルも孤児であったことから、親という存在を知らない。けれど、人を愛することは知っている。しかし、愛することを知らなければ、寂しさを感じることも孤独に苛まれることもない。同じ苦悩を抱えるくらいならば、知らないままの方がいい。エゴだと知りながらも、極力愛情を注がず不要意に触れずに接してきた。
(ガラ。どう思ってたんだ?迎えに行かなかった俺を……)
ベッドに片肘を付いたままのアウルは胸中で語りかけた。六年前迎えに行ってやらなかったことに後悔はない。罵倒されるかと思っていたが、ガラは何も言ってこなかった。
「…リッ…アウル…?」
「寝てろ。俺がいる」
そう囁きながらブランケットを掛けてやれば、安心したかのようにガラは眠りに落ちた。
アウルは、ガラが言いかけた名前はリック・コールだと悟る。あの事件の後に軍を退役して、いまはガラと組んで暗殺業を行っていることを知っていた。それだけではなく、周辺にいる者すべての経歴を調べ上げていた。
次の瞬間、ガラは寝返りを打ち背を向けた。不揃いな襟足の髪が片側に落ちる。隠れていた首のレタリングタトゥーが僅かに見えた。それは、かつて所属していた反政府ゲリラの掟「貸し借りは一度のみ有効。返却者は相手のいかなる要望にも応じなければならない。拒否した場合は制裁を受けなければならない」を交わした文言を簡素化した言葉が施術されていた。このタトゥーに上書きする形で誓約を果たしたという印になる文字が刻まれていなければ、誓約は有効となる。それは組織の解散の有無を問わない。
アウルはガラが聞いてこないことから、まだ要望を話していない。
あの事件で別れる半年前。所属していたゲリラ組織に次いで、戦闘員が多い敵対関係にあったゲリラ組織と銃撃戦なった。こちら側優勢で戦況が進んでいるなか、珍しく周囲への注意が散漫になっていたガラを庇ったことによりアウルは左目を負傷した。幸い失明は免れたが視力が低下してしまった。その借りを返してもらうためにガラを迎えに行ったのだ。
「おやすみ」
アウルは背中を向けているガラを、後ろから抱き締めることもなく背を向ける。
互いの肌が触れないよう背中合わせになると、アウルも眠りについた。
初めて同じベッドで眠った二人は遅い朝食を摂ってから、この高層マンションに入ったときと同じ変装をして部屋を出た。直通のエレベーターで、地下駐車場へと降りる。互いに無言で周囲に視線を配りながら、車を止めた場所に向かい広い歩幅で足を進める。黒いボディの日本製SUV車の前で運転席と助手席に分かれる寸前、「オレが運転する」とガラが声を掛けてきた。
「任せる」
言葉と同時、車の鍵をガラに投げる。
アウルはガラが運転席に座るのを待ってから、カーナビに語りかけて目的地までのルートを表示させた。何か言ってくるかと思ったが、ガラはカーナビの画面を一瞥してから車を走らせた。
「速度は守れ。捕まると面倒だからな」
「OK」
地下駐車場から外に出ると、秋の穏やかな光が車内を明るくした。この国は秋が長く昼間は夏のように暑くなる日もあるが、多くは二十度前後で過ごしやすい。
車は無機質な女の案内に従い、住宅街を抜けて高速道路に乗る。
三時間ほど車を走らせたところでガラが、助手席に座るアウルに話し掛けた。
「なぁ、あの日本人…漆葉光が旧市街に来たのは偶然か?」
「偶然だ。ただ俺はケインとチェスをやっただけだ」
助手席の窓に肘を付いているアウルは、サングラス越しにサイドミラーを見ながら言った。
後続車の列に警察車や他関係機関の車は見当たらなかった。反対車線にも流している車はいない。ケインの家の力が働いているようだ。
実は、世間一般に知られている猛禽類研究の第一人者ケイン・ラーティという名前はペンネームだ。本名はサイラス・フェイヴァー。世界的な大富豪として知られるフェイヴァー家。各国の財閥よりも政治経済に大きな影響力を持ち、世界を裏で操るフィクサーと目されているが実態は謎に包まれている。そのファミリーの一員であるケインが、ガラの捜索をしないよう裏から圧力を掛けてくれたのだ。彼の力を借りずとも目的地まで連れて行ける自信はあったが、最悪の事態を想定して保険を掛けた。ケインの表の顔しか知らないガラが、ハンドルを操作しながら聞いてきた。
「駒にしたのはウィルだけかよ?」
「あぁ、古本フェスティバルで相談に乗ってやっただけだ」
「ケインは他にも本出してんのに。何で、あの本なんだよ」
「お前、よくあの本を読んでただろ?」
それとも俺が読んでた本が良かったか、とアウルはガラの横顔に振り返る。
「アンタが読んでる本は難しからいらねぇ」
「そうか?面白いぞ」
「なぁ、あの夜はどこにいたんだよ?」
「レネをブチのめさなかったのは、飼い主の言いつけか?」
前を向いたままのガラが、悔しそうに舌打ちしたのを笑ってから続ける。
「お前が遠回りの脱出ルートを選んだおかげで、お前の部屋をゆっくり見学できた」
「仕方ねぇだろ。前日にDEAが乗り込んでくるって知ったんだ」
「言い訳しろと言ったか?それ以外は、教えたことをよく守っていた」
「そりゃどうも」
互いにそれ以上何も言わず、カーオーディオから垂れ流されている音楽に耳を傾ける。
高速道路を降りたところでガラは片手でバンドルを捌きながら、もう片方の手を首の後ろにあてて言った。
「なぁ、アンタとドライブじゃねぇだろな?」
「ケインの話し相手になってやってくれ」
「それならアンタがいるだろ?」
「俺が本を読めない」
そう言ってアウルは、振り向いたガラに笑いかける。「だな」と笑い返して前に向き直ったガラは、思考を巡らせているときの癖である人差し指で右目尻を軽く叩き始めた。はっきり言ってやるか、とアウルが思ったそのとき、ガラが口を開いた。
「病気なのか?」
「あぁ、忘れやすくなる病気だ」
若年性の脳疾患である病名を伝えても、理解できないだろうと簡易的な言葉を使った。
「よくわかんねぇけど、ケインの相手になりゃいいんだろ?」
「あいつの気が済むまで頼む」
ケインが安楽死のクスリを自ら服用するまでとは言えなかった。
アウルは「誓約」の権限を使って、ケインの最期の願い「ガラに会いたい」を叶えるためにガラを迎えに行ったのだ。
「わかった」
「成立だな」
「誓約完了のタトゥーは誰が入れてくれんだよ?」
「俺が入れてやる」
「髪伸ばさねぇとな」
そう言って笑ったガラは、前方車がいない前に向き直った。
徐々に点在していた周辺の住宅や飲食店等の建物が消え、道も舗装されていないそれに変わる。緑のトンネルを抜けたところで、アウルはカーナビを切った。警備員が立っているゲートで一旦停止することもなく通過した車のフロントガラス一面に、なだらかな稜線に縁取られた大小の湖が幾つもある広大な自然が広がった。
「ケインは自然公園の管理人に転職したのか?」
「この辺一帯はケインが買った土地だ」
5,300エーカーを超える広大な土地はケインの死後、鳥類保護区に指定されることが決まっている。「そんなカネ持ちだったのかよ?」と聞いてきたガラにひとつ応じれば、質問攻めにあうと思ったアウルは話題を変える。
「俺とケインは、お前をどちらの名前で呼べばいいんだ?」
「アンタらにはガラって呼ばれてぇ」
「アッシュと呼ばれると、リック・コールを思い出すからか?」
「何だよそれ」
「寝言で呼んでたぞ。寝てるんだろ?」
その言葉に嫉妬は含まれていない。ただ安易に想像できる事実を言ったまでだ。
「まぁな、対価は払わねぇと」
「元使用人も使って監視してる男に律儀だな」
「ウィルのことか?」
「何だ、気がついてたのか」
「オレはバカじゃねぇ」
「俺の変装にスグに気付けなかったバカはどこだ?」
「クソ、言ってろよ」
しばらくして、車は木々に囲まれた湖畔のほとりに建つ家の前で止まった。S国のジャングルの中にあった所々に修繕跡が見られる木造二階建ての家とは、正反対のモダンな二階建ての邸宅だ。
「変装を解いてから車から降りろ」
そう言いながらアウルは、サングラスを外す。続けて実年齢より二回り老けて見える骨格に合わせたマスクを剥ぎ取る。派手な初老の男に扮していたアウルは、耳や首、両手首に身に着けていたシルバーアクセサリーを次々と外していく。
ガラも親子に見えるよう装着していた白人のマスクを取り、サイドミラーを見ながらカラーコンタントを外す。派手な父親に合わせ、褐色肌が露出しないよう着ていた個性的なデザインの服を脱いでTシャツになった。
二人の格好は逆に目立ちそうだが、人は他人を顔で特定するのではなく外見の特徴で見分けていることから、その点をついた変装なのだ。素早く変装を解いた彼らは車から降りる。
「ケインは桟橋だ」
そう言ってアウルは視線でケインがいる方角を指す。
邸宅から少し距離を置いた場所に広がる大きな湖。その湖に突き出した桟橋の先で、こちら側に背を向けて一人掛けのアウトドアソファに座っている男がいた。
二人は目配せを送り合い、ケインを驚かそうと無言で足を進める。
周囲の景色が水面に反射している湖を眺めているケインに後ろから歩み寄る。足音を立てずに歩くアウルとガラに気付いていないケインに、「Hola!」とスペイン語でガラが声を掛けた。次の瞬間、肩を跳ね上げると同時にケインが振り返った。
「ガラ!」
弾んだ声で名を呼んだケインは、アウトドアソファから立ち上がる。満面の笑みを浮かべて、大きく両手を開きながらガラに歩み寄る。
ガラは目線を合わせるように背を屈めてケインのハグに応じる。互いにチークキスを交わして離れる。六年ぶりに再会したケインは、無精ヒゲは綺麗に剃っていたものの神経質そうな眼鏡を掛けていた。そして年齢を重ねてシルバーグレーになった髪を後ろに撫ぜつけていた。
「ソルはどうしてる?」
「元気にしてるぜ。連れて来れなかったけど」
「ガラに会わせたい奴がいる」
高音で指笛を吹いてみろ、とケインはガラに笑いかける。
次の瞬間、ガラが指笛を吹けば、邸宅の裏側にある森から一羽の鷲が飛来してきた。三人は頭上を旋回するように飛んでいる鷲を仰ぎ見る。しばらく眺めていたそのとき、ガラの隣に立っているアウルが低音で指笛を吹く。すると、鷲はアウルが右腕に巻いているシャツの上に舞い降りてきた。
「ソルの子供だ」
そうガラに言いながらケインは、アウルに視線を送る。
「お前が捕まる前、ソルは番になってたんだ」
アウルはケインの目配せを受けて、ソルの片割れであるメスが育児放棄した雛を保護して育てていたことを話してやった。
「名前は?」
「ビエントだ」
言葉と同時、アウルは右腕に止まっている鷲を空へと放った。
スペイン語で風。ビエント viento.
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