Episode 13

1/1
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ

Episode 13

英語を公用語する某国の片田舎に位置する、夏と冬の二つの季節しかない湾港都市。創建の歴史は紀元前八世紀まで遡る。某国の植民地として貿易が盛んに行われていた当時、海賊の被害を防ぐために建設された運河により旧市街は新市街から隔てられる。のちに長く分断されていた両地区に交通の動脈となる一本の橋が架けられた。 海を臨める旧市街は古風な石やレンガで造られた建築物、中世の歴史的建造物も数多く現存し魅力ある景色を誇ることから、穴場の観光スポットになっている。一見すると観光業で栄えている街にも見えるが、一歩路地へ入れば犯罪に巻き込まれる。 夜の十時。治安が悪いエリアに立つ、一階に中華飯店が入るレンガ造りの五階建てアパートメント。その外階段を肩にバックパックを背負ったリックが上っていた。武器商人である兄キースの商談に護衛兼通訳として同行していたリックは、まだガラことアッシュが消えたことを知らない。五階のアッシュの部屋の電気が消えていることから、リビングでエディやリウと酒を飲んでいるのだろうと明かりが灯っている二階へと向かう。 各自の個室以外の共用部であるワンフロアにぶち抜かれた二階。キッチンや室内遊戯ゲーム用品を完備した広々としたリビング。そのドアを開けた次の瞬間、六人掛けダイニングテーブルに座るリウとエディが同時に振り返った。一瞬で察したリックは驚きもせず、二人が座るダイニングテーブルに歩み寄る。 「アイツに何かあったのか?」 キースの仕事に同行中は、このアパートメントのライを含めた誰かが命の危険に晒される事態が起こった場合のみ連絡をくれと言ってあることから、連絡して来なかった二人を責める気はない。肩に背負ったままのバックパックを空席に置いて、エディの隣に腰掛ける。 「アッシュが消えちまった」 「いつだ?」 「たぶんレネんとこのパーティから帰ってきたあとだ。着ていったスーツがベッドに脱ぎ捨ててあった」 「お前たちが気づいたのは?」 「パーティ翌日の夜。夕食の時間になっても降りて来ないから、エディに部屋まで見に行ってもらったらいなかったんだ。君が留守のときは、新市街のスケートパークか君の別宅に行っていることが多いから、今回もどちらかにいるだろうと気にせずにエディと夕食を食べながら飲んでたんだけど……」 リックの方を向いて話していたリウは、正面に座るエディに振り返る。 「翌朝、いつも走ってる時間にアイツが現れねぇってレネからの電話で叩き起こされて。二度寝もできゃしねぇからここを覗いてもいなかったから部屋に見に行ったんだ。そしたらそのままで帰ってきた痕跡がねぇ。さすがに気になってリウと二手に分かれて、スケートパークと別宅、あいつが行きそうな場所を捜しに行ったんだけどよ。どこにもいねぇんだよ」 「で、僕とエディ、ライの三人で手分けして、パーティ当日と翌日の搭乗者リスト、他の交通機関も調べたけど。不審な点は見当たらないどころか利用した形跡もない。どこの監視カメラにも映ってなかったんだ」 「いくらアイツでもそこまで出来ねぇはずだ」 「アウルか」 二人の頭にも浮かんでるだろう男の名前を言ったリックは、彼らの話振りからアッシュの日記帳を見ていないと察した。リウとエディは、アッシュが五年前から日記を書いていることを知らない。意図的に伝えていなかった訳ではない。日記を書かせていることを話すよりも、いまは状況を把握することが先だ。 「もう報告はしたのか」とリックは日記帳には触れずに言った。 「それが」 「どうした」 「報告に行ったら、捜索するなって長官直々に命令されたってウチのチームのボスに言われたんだよ。理由を聞いたら同じ言葉を繰り返し言われただけで、結局分からなかったんだけど。外部から強力な圧力をかけることが出来るのは、もしかしたらフェイヴァー家かもしれない。アッシュの部屋にあった本の著書ケイン・ラーティは、実はサイラス・フェイヴァーじゃないかって僕のところや他機関も疑ってる」 リウは、一拍置いてから続ける。 「ケインは、いまから19年前に研究で訪れたS国が気に入ったのかそのまま移住。6年前のあの事件直後に秘書と出国してるんだけど。移住期間に何らかの事情でアウルと出会ったと考えて。一緒に出国した秘書が変装したアウルだとすれば、今回のことに納得がいくんだけど。彼とサイラスが同一人物だという決定的な証拠も、アウルと一緒に行動しているという情報もないから推測止まりなんだけど」 「そうなんじゃねぇの。アウルがアッシュを拉致って、ケインが裏から圧力かけてるとしか思えねぇ」 「リック。アッシュの部屋から消えてたのは、サブで使ってる銃とナイフだけ。他に無くなってるモノがないか、僕たちではわからなかったから確認してくれるかな?」 「あぁ、俺の方からも探ってみる」 そう言いながらリックは、隣の席に置いていたバックパックを取りダイニングテーブルから立ち上がる。ふとひとつ気になったことがあり、リビングのドアに向かっていた足を止めて振り返る。 「エディ、レネには何て言ったんだ?」 「仕事に出掛けていないって言っておいたぞ」 「そうか」 リックは、ふたたびドアに向かって歩き出す。そのままリビングを出ると、外階段で五階のアッシュの部屋へと向かった。 いつも開け放たれている玄関ドアは閉じられていた。リウかエディのどちらかが閉めたのだろうドアを開けて部屋へと入る。壁に設置されているクラッシクなスイッチプレートに手を伸ばして、リビングの照明を点けてベッドルームへと向かう。 さっきと同じ動作で照明を点けると、背負っていたバックパックをダブルベッドに向かって投げた。ナイトテーブルが置かれているベッドサイドに回り込む。リウが言っていた通りナイトテーブルから、サブで使用している銃とフォールディングナイフがホルスターごと消えていた。それの代わりにメインで使用している銃とウィルから借りたままのケイン・ラーティの著書、灰皿が載っていた。 リックはクローゼットの方に振り向くと、4年振りに無断で扉を開けた。ベッドに脱ぎ捨ててあったというスーツは、ハンガーに吊るされてクローゼットに掛かっていた。よく着ているTシャツとダメージジーンズ、スニーカーが消えていた。ふと隅に置かれていたデミジョンボトルのことを思い出し、その場にしゃがんで探してみたがなくなっていた。あんな大きなモノを持って出掛けるはずはないか、とリックは思いながら立ち上がる。 クローゼットの扉を閉めると、後ろのダブルベッドに振り返った。 三つある枕を足元の方へと投げると、ベッドヘッドとマットレスの隙間に手を差し入れた。指先が日記帳の背表紙に触れた次の瞬間、日記帳を引っ張り出す。素早くパーティが開催された日のページを開く。個性的な字で綴られている筆記体の文字を左から右へと追う。最後の行に自分へのメッセージだとわかる言葉が書かれていた。 <ソルを頼む> どこに行くとも書かれていなかったことに落胆の溜息を吐いて日記帳を閉じる。それを元の場所に戻して、足元の方へと投げた枕を並んでいた通りに並べる。ナイトテーブルに載っているケインの本を手に取りベッドに腰掛けると、手掛かりを求めてページをパラパラと捲ってみたが何も情報を拾うことはできなかった。本を閉じて自分の横に置くと、バックパックを引き寄せてオイルライターとシガレットケースを取り出す。ネコの彫刻を親指で撫ぜてからシガレットケースを開けて、手巻きタバコを取り出す。唇に咥えたその先をオイルライターに焼いた。 (もしかして、首のタトゥーが関係してるのか?) アッシュの首の後ろに入っているレタリングタトゥー。読み取れない言葉で施術されているそれ。何度か意味を聞いたが、その度に上手くはぐらかされてきた。リウに言わずに独自の情報網を使って探ったが、何も掴めなかった。 少しか吸っていないタバコを、ナイトテーブルに載っている灰皿でもみ消す。 次の瞬間、そばに置いていたケインの本を手にベッドから立ち上がる。照明を消してベッドルームを出る。リビングの点けっぱなしだった照明を消して部屋を出た。外階段の踊り場に出たリックは、四階の自室に帰らずにウィルが営む古本屋「Shamrock」へと向かう。 月明かりの下、Y字路の方へと広い歩幅で足を進める。 しばらくして、ウィルが営む古本屋「Shamrock」に着いた。五年前アッシュに本屋の場所を聞かれた際に教えてやった店だ。ガラスが嵌め込まれたドアには、内側からロールスクリーンが下ろされ、「CLOSED」の札が掛けられていたが、構わずにドアベルを鳴らして店内に入った。すると、レジカウンターの内側にある椅子に腰掛けていたウィルが、待っていたかのように立ち上がった。 「リック様」 「夜遅くにすまない。アッシュのことは聞いてるか?」 「はい。先日リウ様からお電話を頂いて聞いております」 そう言いながらウィルは、レジカウンター前にある椅子に座るよう手で促す。 リックは、元実家の使用人でバトラーだったウィルに促されるままに椅子に腰掛けて言う。 「何か掴めたか?」 「別件で調べていたことが、今回の件と繋がりました」 こちらを、とウィルは、一枚の紙をレジカウンターの上に広げた。 古びたその紙にはアッシュが肌身離さず身につけている、ネックレスになっている鳥の形を模したシルバーのバードホイッスルが描かれていた。デザイン画と思われる紙から顔を上げれば、ウィルが口を開いた。 「奥様のご友人であられたサマンサ様のことを覚えていらっしゃいますか?」 「あぁ、確か…彼女の旦那は有名なアクセサリーデザイナーだったな」 いまは亡き母から贈られたマット仕上げのシガレットケースとオイルライター。幾何学的文様の装飾の中にネコのシルエットが隠れているそれを手掛けたのは、母の友人サマンサのパートナーだ。立ったまま話を続けようとしているウィルに、「座ってくれ」と声を掛ければ、ウィルは目礼をして椅子に腰掛けてから言った。 「彼の弟子が、アッシュ様のネックレスを製作したことがわかりました」 「え…?」 「今回の件をリウ様から伺う前に、先日少々気になることがございましたので調べておりました」 そう前置きしてからウィルは続けて言う。 「アッシュ様が左耳に怪我をされてここに来られたときに、着ておられた服が血痕で汚れていたので着替えていただきました。そのとき、いつもされているネックレスを目にしました。デザインに見覚えがありましたので、いまも私を気にかけて頂いているサマンサ様に電話で近況をお伝えするついでに伺いましたところ、製作したのは旦那様の弟子だと教えていただきました。それだけではなく、サマンサ様が独立した弟子の様子伺いも兼ねて彼の家を訪ねて下さいまして。二日前に、彼からデザイン画と注文主の詳細を書いた手紙が届きました」 ウィルは一拍置いてから続ける。 「注文主はサイラス・フェイヴァー。世間に知られている彼の名前は……」 そこまで言ってウィルは、レジカウンターに載っている本に視線を落とした。 「ケインが名乗ったのか?」 「いえ、工房に現れたサイラス・フェイヴァーと名乗った男が、ケインの著書のそでに掲載されていた著者プロフィール写真の男だと気づいて筆談でコミニケーションを取り、快く著書にサインをしてくれたそうです。弟子の男もオウムを飼育している鳥好きです」 「聴覚が不自由だから油断したか」 「おそらくそうでしょ」 「ウィル、この本はどこで手に入れたんだ?」 「古本フェスティバルです。お薦めして頂いたので」 「誰に?」 「会場に向かって歩いておりましたら、先を歩かれていた六十代くらいの足のご不自由な紳士が杖を落とされたので、お助したんです。その流れで会場までご一緒することになりまして、その方が好んで読まれているジャンルが私も好きだったこともあり話が弾み……鳥好きの青年に薦められる本を探していると言ったら、ケインの本をお薦め頂いたんです」 リウの推測が現実味を帯びてきたことから考えると、ウィルと接触したのは変装したアウルだろと安易に想像出来た。しかし、それを言えばウィルは責任と罪悪感を感じて胸を痛めるだろうと思ったリックは、リウとエディには報告せずに自分の胸だけに留めることにした。 「この本を渡したときのアイツの反応は、どうだったんだ?」 「センスがいいと誉めていただきました」 「他に変わったところはあったか」 「アッシュ様に、お話にならないとお約束いただけるのなら……」 「なんだ」 「こちらに」 ウィルがいるレジカウンターの内側に回り込んだリックは、しゃがんでいるウィルの右隣に同じようにしゃがむ。ウィルが何かを隠すように積み上げている古本を一冊ずつ自分の左横に積み上げていく。しばらくして、見覚えのあるガラス瓶、大型のデミジョンボトルが見えた。それは五年前アッシュの部屋のクローゼットに置かれていたそれだった。よく見れば、チューインガムの包装紙を小さく折り畳んだモノが無数に入っていた。 「中身を見てもいいか」 「ご本人様に許可を取られては?」 リックは少し考えてから、デミジョンボトルに両手を掛けた。レジカウンターの奥から引っ張り出すと、抱きかかえるようにして持ち上げながら立ち上がった。それをレジカウンターの上で振り中身を出すと、デミジョンボトルをカウンターに置いた。 色とりどりの小さく折り畳まれたチューインガムの包装紙を見ながら、さっき腰掛けていた椅子に座る。一見ゴミにも見える無数のそれをひとつ手に取ると、慎重に包装紙を開いた。すると、包装紙に月日西暦と言葉が綴られていた。続けて二つ目の包装紙を広げれば、月日西暦と言葉が綴られていたが違うそれだった。すべての包装紙にそれぞれ違う言葉が記されていた。 「誰かに言われた言葉のようですね」 「半分は俺がアッシュに言った言葉だ」 「では残りは?」 「たぶんアウルから掛けられた言葉だろう」 「なにか言ってなかったか?」 「「アンタらが挨拶代わりに使う言葉の意味を知りてぇからな」と仰られていました」 「挨拶代わり?」 何を指す言葉だ、と胸中で呟いたリックは思考を巡らせる。ふと手繰り寄せた記憶の中に糸口を見つけた。 「俺たちは愛する家族や国を守るために戦ってたんだ」 「なぁ、愛ってなに?」 「え、……もしかして意味がわからないのか?」 「どんな気分になることを言うんだ。オレにわかるように話せ」 5年前日記を書かせるきっかけにもなったアッシュと交わした会話だ。あの日以降、同じ質問をしてくることはなかった。しかし、アッシュが「愛」という言葉の意味を知りたいという確証はない。けれど、もしそうならば、教えてやるべきなのだろうか。まだlikeとloveの違いさえ、よくわかっていないアイツに、と考えが及んだところで、ウィルに名前を呼ばれて我に返る。 「そのご様子だと知っておられるようですね」 「あぁ、心当たりはあるが。……わからない」 「リック坊ちゃん。信じて待っていれば、必ず貴方の元に帰ってきますよ」 ウィルは、昔リックが飼っていたネコが家から脱走したときに、まだ幼かった彼に言った同じ言葉を掛けた。 「……ウィル。アイツはアッシュじゃない」 「そうです。彼は貴方が可愛がっておられたネコではありません」 穏やかに微笑んだウィルの言葉の裏に隠された意図を察したリックは、何かに気づいたように目を見開く。それも一瞬、レジカウンターに肘を付いているリックは、その手で目を覆った。可愛がっていたネコと同じ名前を付けたアッシュを呼ぶ度に、大切な者を失った悲哀と苦衷を埋めていた。肌を合わせのも、どこかであの小さな温もりを求めていたのかもしれない。でもいまは違う。いつからだ。いつから俺はアッシュを愛おしく思っていたんだ? 「ご自分のお気持ちに素直になられては?」 「そうだな」 手で目を覆ったままだったリックは、手を離して正面にいるウィルに振り返って言った。 「貴方のお好きなエスプレッソをお淹れします」 「あぁ、頼む」
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!