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Episode 15
英語を公用語する某国の片田舎に位置する、夏と冬の二つの季節しかない湾港都市。創建の歴史は紀元前八世紀まで遡る。某国の植民地として貿易が盛んに行われていた当時、海賊の被害を防ぐために建設された運河により旧市街は新市街から隔てられる。のちに長く分断されていた両地区に交通の動脈となる一本の橋が架けられた。
海を臨める旧市街は古風な石やレンガで造られた建築物、中世の歴史的建造物も数多く現存し魅力ある景色を誇ることから、穴場の観光スポットになっている。一見すると観光業で栄えている街にも見えるが、一歩路地へ入れば犯罪に巻き込まれる。
治安が悪いエリアに立つ、一階に中華飯店が入るレンガ造りの五階建てアパートメント。歴史を感じさせる外観とは違い、建物内は近代的なリフォームが施されている。
朝の七時。各自の個室以外の共用部であるワンフロアにぶち抜かれた二階。キッチンや室内遊戯ゲーム用品を完備した広々としたリビング。六人掛けのダイニングテーブルでは、三人が朝食を摂っていた。
あの日以降、目新しい情報を得ることもなく、依然として消息不明のアッシュの居場所を突き止められずにいた。また公的に捜索することもできず、裏で動かざるおえない状況は変わっていなかった。
「――・…が行った軍事作戦により、本名不明・無国籍の自称アウル容疑者が殺害されました」
予想外のニュースに衝撃を受けた三人の目が、大型テレビの画面に釘付けになる。詳細を伝える女性キャスターが、原稿を読み終えた次の瞬間、リビングのドアが大きな音を立てて内側に開いた。三人同時に肩を跳ね上げてドアの方に振り返る。
「なに驚いてんだよ?」
戸口に立っていたレネが怪訝そうな顔で首を傾げてから、三人が座るダイニングテーブルに歩み寄ってきた。
「まだアッシュは帰ってきてねぇぞ」とエディは自分の正面に座ったレネに言った。
「知ってる。今日は別件だ」
「お前、ホントあいつ以外の人間には冷たいな」
「パーティに身元不明の奴が紛れ込んでた」
そう言いながらレネは、携帯電話をダイニングテーブルに置いた。
レネの隣に座るリックはレネに気づかれないよう、自分の正面に座るリウその隣いるエディに目配せを送る。二人が視線で頷いたのを見てから、レネの携帯電話に目を向けた。
携帯電話の液晶画面には、先日開かれたスペイン系犯罪組織「ラガルティハ」主催のパーティの様子が映し出されていた。監視カメラの映像だとわかるそれには、音楽に合わせて踊っている招待客が映っている。その群れの中でショールカラーのタキシードを着た男が、明らかに監視カメラに気づいてる様子で口端を引き上げた姿がほんの一瞬映っていた。目を凝らし注視していなければ、見逃すほどの一瞬だった。三人は何回か映像を繰り返し見てから、レネが言うその男に気づいた。
「こいつに見覚えあるか?」
「レネ、お前寝ぼけてんのか?ポリージャのボスだろそいつ」
「違う。こいつは着ぐるみだ」
「どういうことか話してくれ」
「当日本人は身内のゴタゴタで参加できなかった、と昨日レノ兄さんが会合で会ったときに詫びてきたそうだ。で、監視カメラの録画を見返したら、やっぱり参加してるんだよ。本人の当日の行動を調べたらレノ兄さんに言ったとおりで。じゃあ、こいつは誰だってことになって調べても何も出てこないんだ」
「彼のドッペルゲンガーに会ったんじゃないの?」
「レノ兄さんはアウルじゃないかって。でもさっきニュースで死んだって」
「アウルって誰だい?」
「知るか。おれも名前しかわからない」
「レネ、店はいいのか?」
「店?」とレネは腕時計を一瞥して溜息を零す。
忙しい時間に店を抜け出してきたことに気づいたレネは続けて言う。
「アッシュが帰ってきたら電話くれ」
そう言いながらレネは、ダイニングテーブルに置いたままだった携帯電話を引き寄せる。それをシャツの胸ポケットに差し入れながら椅子から立ち上がった。そのまま自分が開け放ったままにしていたリビングのドアへと向かいながら、「アッシュが帰って来たら電話持たせよ」と誰に言うでもなく零した。
「アイツが持つと思うか?」
「持つように仕向けるさ」
足を止めて振り返ったレネは自信たっぷりに言うと、「じゃあな」とドアを閉めずに出て行った。
数秒後、外階段に出るドアが閉まる音が聞こえた。その瞬間、三人は揃って溜息を零す。レネの口からアウルの名前が出たときは驚いたが、彼とアッシュが繋がっていることまでは知らなことに安堵する。
「ポリージャのボスに変装してたのはアウルだね」
「どうして用心深い彼が監視カメラに映るようなことをしたのかな?」
「さぁな。これでアウルがアッシュを連れて行ったことが証明されたな」
「だな。もうあいつ帰ってこねぇんじゃ……」
「ソルを置いて行ったから帰ってくるだろ」
この街に帰ってくるかどうかよりもリックは、アッシュの安否が気になり眠れない夜を過ごしている。
********
美しい自然に囲まれたケインの邸宅。ここは秋が長く昼間は夏のように気温が上がる日もあるが、多くは二十度前後で過ごしやすい。しかし、雲ひとつない青空に恵まれた日の朝晩は冷え込む。
今夜は昨晩までざわめいていた木々は沈黙し肌寒い。広々としたリビングでは、壁に埋め込まれているバイオエタノール暖炉の炎が揺らめいている。本を読む明るさに設定されているそこで、アウルはソファに腰掛けて本を読んでいた。
夕食を終えた後、三人はそれぞれの場所で過ごしていた。
ふと集中力が切れたアウルは、分厚い本のページを捲る手を止めて顔を上げる。
壁に設置されている大型テレビの画面には、家の周囲や私有地の各ポイントに設置された監視カメラの映像が表示されていた。自動で暗視に切り替わるカメラ映像をチェックすると、夜行性の鳥類や動物の姿が捉えられているだけだった。安堵の息をついて、目頭を揉む。
(……見え難くなってきてるな)
左目のピントが合わなくなってきていた。あの事件でガラと別れる半年前に負傷した左目。そのときは失明を免れたが、緩やかに確実に視力が低下していっている。いつかは完全に見えなくなるだろう。その日に向けてトレーニングを積んでいるが、もう主だって仕事をするつもりはない。
次の瞬間、リビングに向かってくる足音に気づいた。この家にいる人間で足音を立てるのはケインだけだ。アウルは膝で開いたままだった本を閉じる。それをソファの肘置きに置いて後ろに振り返れば、リビングのドアが内側に開いた。
「まだ起きてたのか?」
シルクのパジャマにナイトガウンを羽織っているケインが入ってきた。
ソファに腰掛けたままのアウルは、鳥の形を模した壁時計に視線を向ける。
いまが夜の二時であるから、リビングから書斎兼寝室にケインが行ってから数時間が経っていた。
「眠れないのか?」
「いや、目が覚めたんだ。もう一度寝ようとしたらなかなか寝つけなくてな」
少し飲まないか?とケインはリビングをサンダルで歩きながら、直結しているキッチンの方へと向かう。
誘われたアウルは何も言わずにソファから立ち上がる。
先にキッチンに入ったケインが、周りを見回している。自分で目当ての酒が置いてある場所を貼り紙から見つけるだろう、とアウルは声を掛けずにガラスのキャビネットの方へと向かった。
繊細なカットが施されたグラスを二つ取り出して持ち、バーボンのボトルを手にしているケインとリビングへと戻る。
さっきまで座っていたソファに腰掛ければ、反対側のそこにケインが座った。アウルはセンターテーブルにグラスを並べて置くと、ケインに向かって手を差し出した。察して渡してきたバーボンのボトルを受け取り、封印されているキャップを開ける。グラスに2オンスほど注ぎ入れて、ボトルをテーブルに置いた。軽くグラスを掲げ、同じタイミングで口に運ぶ。
「ガラは?」
「二階で、お前から貰った本を読んでるんじゃないか」
実は、いまから二時間までガラはここにいた。しかし、左目のことで言い合いになり、ニ階にあるゲストルームに行ってしまったのである。どんな状況でも冷静でいろと教えたガラが、たかが目のことで感情的になるとは思わなかった。
「まだ読み終えてなかったのか?」
「いや、お前が渡した日に読み終えてる」
「相変わらず読むのが早いな。ガラは」
「もう何度も寝る前に読み返してる」
「気に入ってくれたんだな」
「自分とソルが主役だからな」
ケインの五冊目の本は学術的な本ではなく、幅広い年齢層が楽しめる本だった。ガラとソルをモデルに事実と嘘を巧みに織り込んで、ある少年の成長物語として綴ったファンタジー小説だ。これまで出版した本よりも発行部数を誇り、有料動画配信サービス会社から独占ドラマ化のオファーが舞い込むほど売れた。勿論、映像化の話は断った。
「何か言ってたか?」
「何も。知ってるだろ?アイツはお前の本に限らず感想を言わないって」
「そうだったな」
「その代わり気に入った本はボロボロになるまで読み込む」
「逆に気に入らなければ一度しか読まない、そうだったな」
「あぁ、素直なガキだろ?」
「お前と違って、な」
「言ってろよ」
「今朝、俺たちがトレッキングに出掛けている時間に……」
一呼吸置いてからケインは続ける。
「例のニュースが流れたそうだ」
「そうみたいだな。さっき俺もスマホで確認した」
「テレビ、監視カメラの映像だけ映るように設定を変えておいて正解だったな」
「あぁ、四六時中質問責めにされているところだ」
「先に死んだ気分はどうだ?」
「お前らだけが素顔を知ってるとはいえ、別人過ぎるだろ?」
俺はあんなゴリラ男じゃない、とアウルは笑ってからグラスの酒を煽った。
空になったグラスに酒を満たせば、「俺にも」とケインがグラスを差し出してきた。アウルは自分と同じ量を注いでやり、バーボンのボトルをセンターテーブルに置いた。
しばらくの間、互いに何も言わず心地の良い沈黙の中で酒を楽しむ。
足を組んで背凭れにゆったりと背中を預けているケインが、羽織っているナイトガウンのポケットに手を入れた。そこに何を入れているのか知っているアウルは、ケインが取り出す前に席を立つ。そして、そのままキッチンの方へと向かう。
アウルは手帳の存在に気づいていたが、知らないフリをしている。ケインが手帳に目を通す時間を作るために、酒のつまみを作ることにした。大型冷蔵庫を開けて食材を取り出すと、簡単なつまみを作り皿に盛った。それを持ってリビングに戻ると、ケインが手帳をポケットに仕舞い入れたところだった。
「美味しそうだな」
素手で皿からつまみを摘んだケインに皿ごと渡してアウルは、さっきと同じ場所に腰掛ける。
センターテーブルに載っている自分のグラスを取って足を組めば、ケインが話しかけてきた。
「ひとつ聞いてもいいか?」
ケインは神妙な顔で、つまみが載る皿をテーブルに置きながら言った。
何を聞いてくるか察したアウルは、話し易いように昔の口調で言ってやる。
「いいぜ。ひとつじゃ終わらねぇだろ」
「その話し方久しぶりだな。ガラの話し方とそっくりだ」
「さっさと質問しろよ」
「どうして六年前迎えに行ってやらなかったんだ?」
「巣立ちさせるチャンスだと思ったんだ」
いまの口調でアウルは答えた。その言葉に嘘はない。いつまでも師弟関係を続けるつもりがなかったアウルは、きっかけを探していた。そのとき、あの事件でガラが拘束されたことをチャンスだと思ったのも事実だ。
「アウル、お前はガラのことを愛してな……」
そこまで言いかけたケインに口を噤むよう、ガラの気配を感じたアウルは自分の唇に人差し指を立てる。
察したケインは言い直すことはせず、リビングのドアの方へと振り返る。アウルはソファから立ち上がり、ここに来るだろうガラのグラスを取りにキッチンの方へと向かう。冷蔵庫を開けて、ストレートよりロックを好むガラ用にアイスペールに氷を入れる。それとグラスを持ってリビングに戻る。
アイスペールとグラスをセンターテーブルに置いてソファに腰掛けたそのとき、背後でリビングのドアが開く音が聞こえた。気配を察知していたアウルは後ろに振り向かず、正面に座るケインに視線を向ける。ガラが入ってきた方に目を向けたままのケインが嬉しそうに微笑むのを一瞥して、笑みを含んだアウルはガラの酒を作った。
「ケイン、何でオレがソルに助けられたことになってんだよ」
そう言いながらガラは、アウルが腰掛けているソファの背凭れを飛び越える。
「ケイン、感想を貰えてよかったな」
アウルは口端を引き上げて笑うと、隣に座ったガラに作ってやった酒のグラスを渡した。
礼を言ってグラスを受け取ったガラに、「二杯目は自分で作れ」と告げてケインの方に振り返る。ケインは胸の前で腕を組んで、ガラが納得する言葉を探しているようだった。クソ真面目だな、とアウルは思った。
「なぁ、何でなんだよ?」
「それは大人の事情だ!」
急かされて焦ったケインは、便利な言葉を使った。
アウルは思わず顔を横に背けて、湧き上がる笑いを我慢する。
「オレが優秀な学生ってのも大人の事情なのかよ?」
「アウル、助けてくれ」
「読者の疑問に答えるのは……」そこまで言ってアウルは、ガラに振り返る。
「作者の義務じゃねぇのかよ」とガラはアウルの代わりに言葉の先を続けた。
「もしかして俺を揶揄ってるのか?」
「っははは。相変わらず疎いな、アンタ」
「俺は、お前がいままで詐欺に遭わなかったことが不思議でならない」
「お前たち……幻の野鳥に会った話をしてやろと思っていたがしてやらん」
「揶揄って悪かった。だから話してくれ」
「オレも聞きてぇから謝る。ごめん」
「反省したなら話してやろう」
機嫌を直したケインは、昔出会った幻の野鳥ことを話し始めた。
それからは、酒を呑みながらS国で過ごした日々や大型猛禽類の話、話題が尽きることはなかった。
三人は、時間を忘れて丸一日話をしていた。
翌日アウルは悪い予感を感じながら、昼過ぎまで起きてこないケインの様子を書斎兼寝室まで見に行った。すると、正装したケインが、生涯に悔いなしという顔で口元に笑みを浮かべベッドで眠ていた。首筋に手を当てがえば、微かに体温を感じられたものの、鼓動は消えていた。胸の前で両手を組み合わせて握っている手帳を、そっと引き抜いて開く。パラパラとページを捲っていたアウルの手が止まる。そこには、安楽死のクスリを服用するまでに自分とガラそれぞれと話したいこと、やりたいことが綴られていた。そして最後の項目には、こう記されていた。
「三人で時間を忘れて酒を飲む」
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