Episode 16

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Episode 16

「何で、急に死んだんだよ?」 「安楽死のクスリを飲んだんだ」 穏やかな笑みを浮かべて柩の中で眠るケインの側に立っているガラとアウルの台詞だ。 ケインが自ら人生の終焉を迎えた数時間後。彼が所有する広大な本宅の敷地に立つ、ゴシック様式のプライベート教会。そこにガラとアウルはブラックスーツに身を包んで立っていた。ここにはケインを陰から支えていた執事の案内で、フェイヴァー家が所有するヘリコプターとプライベートジェットを乗り継いできた。 この礼拝堂の周囲を取り囲む木々は枝を震わせ、まるでケインに祈りを捧げているようだ。大きなステンドグラスから差し込む月の光線、各所に点々と置かれている火が灯された大小の蝋燭が幻想的な空間を演出している。参列者は二人だけだ。屋敷の使用人には箝口令が敷かれ、公表はあるタイミングを以て行うことが決まっている。 「そんなに忘れちまうのが嫌だったのかよ?」 「俺たちの名前も誰かさえも忘れるのが怖かったんだろ」 そう言いながらアウルは、エバーミングが施されているケインに手帳を返してやる。 半年前に物忘れが多くなり病院で検査を受け診断されてから、何度も話し合いを重ねた。服用する度に病人だと自覚させられる、と言って進行を抑えるクスリを飲まなくなり、代わりに安楽死のクスリを取り寄せた。それを知り言い合いになった際、「人生の終焉は自分で決めさせてくれ」と言われて以降アウルは何も言えなくなった。 「昔、オレに生き抜けって言ったのは誰だよ?」 「言った本人の行動が伴ってないな」 「そうだよ。偉そうに言っ……」 続く言葉は涙に代わった。釣られて泣きそうになったものの、弱さを曝け出すことは出来ず拳を握り締める。気持ちを強引に切り替えて冷静さを取り戻したアウルは、流れる涙に戸惑っているガラの頬に手を添える。 「初めて見るな。お前の泣き顔」 何も言わずに見上げてくるガラを包み込むように笑ったアウルは、頬に添えている手で涙を拭ってやる。 柩が置かれた祭壇に立っていた二人は、身廊に移動して横一列に並ぶアンティークのチャーチチェアに腰を下ろす。 「なぁ、ケインは何者なんだよ。ただの元教授じゃねぇんだろ?」 「お前宛に……」 そう言いながらアウルは、スーツのジャケットに手を差し入れる。左内ポケットからケインから託かっていた手紙を取り出出す。小型猛禽類のシーリングスタンプで封印されている手紙を、隣に座るガラに差し出す。 次の瞬間、礼拝堂の木製両開きドアが開いた。ガラよりも先に気配を感じていたアウルが後ろに振り返る。燕尾服を着た男が入ってきた。閉じたドアの前で一礼した男は、旧知であるケインの執事だ。 「ちょっと席を外す」 ひとり静かにガラが手紙を読めるよう、時間を与えるためにアウルはチェアから立ち上がる。そのまま、背を向けて通路に出る。 礼拝堂の重厚なドアの前に立っている男に歩み寄りながら目配せを送れば、察したように目礼して後ろに振り向いてドアを開けた。アウルは立ち止まることなく、礼拝堂の外へと出る。 「タバコあるか?」 「こちらの銘柄で宜しいでしょうか?」 燕尾服のどこに隠していたのか男は、封が切られていないタバコを手の平に乗せて、もう片方の手で指し示した。 視線で頷けば、男は素早く優雅な手つきで開封したタバコを差し出してきた。アウルは礼を言いながら受け取ったタバコのソフトパックの底を指で弾く。開け口から飛び出したタバコのフィルターを咥えて引き抜けば、男が手を添えて火の点いたマッチを差し出してきた。少し背を屈めてタバコの先を焼き付ける。 「ケインから聞いたのか?」 「えぇ、本当にメンタルが参られているときは、煙草をお吸いになられると」 「アイツ、案外おしゃべりだったんだな」 アウルはタバコを咥えながら、夜空を振り仰ぐ。六年ぶりにニコチンを深く吸い込んで、ゆっくりと煙を吐く。ゆらゆらと昇っていく白い煙を目で追い掛ける。闇の密度が高い夜空を撫ぜることもなく、闇に融けて消えていった。 「ケイン様が望まれていた角膜移植の件、本当に宜しかったのですか?」 「別に、今の状態でも不自由はないからな」 「ですが、この先お仕事に支障が出るのでは……」 「そのためのトレーニングはしてる」 夜空を仰いだままのアウルは、それ以上何も言わずにタバコを燻らせる。 束の間の沈黙のあと、男が両手で持ったままの携帯灰皿にタバコを入れた。 タバコ一本分の時間をガラに与えたアウルは、男に外で待っているように告げて礼拝堂へと戻る。 鳥の姿が透かしで入っている便箋三枚に渡って筆記体で書かれた手紙。それを両手で持ったままのガラは、書かれていただろうケインの本名や家族のこと、アウル死亡のフェイクニュース等々衝撃的な内容を頭の中で整理しているようだった。 「アンタは知ってたのか?」 そう言いながらガラは、隣に腰掛けたアウルに手紙を渡した。 「あぁ、全てが終わったら話そうと思ってた」 ガラから渡された手紙に目を通すこともなく、折り目に沿って便箋を折り畳む。 「利用価値があったから、一緒にいたのか?」 ナイフをフラップに差し入れて開封したことがわかる封筒を渡してきた。折り畳んだ便箋を封筒に入れると、ガラに差し出した。軽く首を横に振ったガラに何も言わず、ジャケットの左内ポケットに手紙を差し入れながら言う。 「俺たちを傍で見ていたお前の中に答えはあるはずだ」 答えるよりもガラに考えさせることにした。 アウルが知ったのは、ガラをケインの家に初めて連れて行った日だった。ガラと名付けた少年を育てると言ったアウルにケインはフェイヴァー家の一員だと打ち明け、養子に迎えても構わないと言ってきたのである。学校に通わせ普通の生活を送らせてやるべきだと。すでに人を殺している子供を導く覚悟があるのかと聞けば、ケインは無責任な自己満足を振り翳していることに気づいたのか口を噤んだ。利用価値があるケインを易々と祖国に帰国させる訳に行かない、という魂胆がなかったとは言えない。しかし、一羽のフクロウを通して付き合っていくうちに友情を築いていた。 スーツの袖を少し引き上げて、本名を捨てアウルと名乗った頃から身に付けているバングルに触れた。アウルはケインから友人以上の恋愛感情にも似た感情を向けられていたことを知っていた。しかし、友人でいたかったために気づいていないフリを貫いた。答えてやれなくてすまなかった、とアウルが胸中で詫びたそのとき、しばらく考え込んでいたガラが口を開いた。 「ごめん」 「それだけか?」 「友達には見返りを求めねぇってわかった」 「ひとつ賢くなったな」 軽い口調で笑ったアウルの唇から、ふと笑みが消える。 「これからお前はどうするんだ?」 「あの街に帰る」 「もうお前は監視対象じゃない。俺も死んだしな」 「わかってる。でもソルを待たせちまってるし。それと知りてぇこともあるしな」 アウルは、ガラが知りたいことは「愛」という言葉の意味だと知っていた。唯一の弱点になるぞ、と喉元まで出掛かったのも一瞬、痛くもない左目が疼いてその言葉を嚥下する。ガラを手放した真意に気づいたアウルは、別の言葉を声に乗せた。 「ビエントを連れて行け」 「いいのかよ」 「構わない。可愛がってやってくれ」 「なぁ、アンタは?」 「今までと変わらず鳥たちの専属だ」 長い髪をひとつに纏めて左肩に乗せていたアウルは、ヘアゴムを解きながらチェアから立ち上がった。そのまま背を向けて、両側にチャーチチェアが並んでいる中央通路に出る。 「引退すんのかよ?」とガラもチェアから立ち上がる。 「ケインの執事に送ってもらえ」 元気でな、とアウルは自分の正面に回り込んできたガラに右手を差し出す。 次の瞬間、ガラは握手を交わす寸前でアウルのネクタイを掴む。動きを読んでいたにも関わらず、簡単に掴ませてくれたネクタイを引っ張り屈めさせる。そして髪を掛けている耳元で本当の名前を呼んで、伝えたいと思っていた言葉を告げたガラはアウルのネクタイから手を離す。 「ほら、もう行け」 「アンタも元気で」 ******** 二日後。朝の十時。 新市街の緑が多いエリアにある高級住宅地。大通りに面した居住区から距離を置いた森の中の家から海が望める、白と黒を基調としたスタイリッシュな外観の地下一階・地上二階建て住宅。地下射撃場と武器庫が完備されたリックの別宅。その森に面した広大な庭にガラことアッシュはいた。 ここまでケインの執事と部下らしい男の二人で送ってくれた。彼らが用意してくれたメッセンジャーバッグを背中に背負っているアッシュは、三週間前に旧市街を出たときのTシャツにダメージジーンズという服装だ。 連れて帰ってきたビエントを折り畳み式のソフトケージから出す前に、親であるソルをネックレスになっているバードホイッスルで呼び出す。数秒で棲み家にしている森から飛来してくると、左腕に装着しているアウルから譲り受けた猛禽用グローブに舞い降りてきた。右手をジーンズのポケットに突っ込んで、執事が持たせてくれた鷲用の肉が入った食品用保存袋から肉を取り出す。 「ソル、留守番させちまってごめんな」 鷲に話し掛けながら、与えやすいようにカットされている肉を食べさせてやる。 「コレ、リックに届けてくれ」 そう言いながらアッシュは、あらかじめ紙に書いていたリックへのメッセージを足に括り付けた。左腕から飛び立ち旧市街の方角に羽ばたいて行ったソルを見送ると、足元に視線を落とした。ソフトケージの横にしゃがんで、黒いネットをぐるりと囲んでいるファスナーを開ける。それをケージの上に捲り上げると、中にいるビエントに声をかけた。 「ほら、出てこいよ」 次の瞬間、ケージから出てきたビエントが勢いよく羽を広げて大空へと飛び立つ。頭上を二周ほど旋回してから、森に消えたビエントを仰ぎ見ていたアッシュは口端を引き上げて立ち上がる。左腕に装着したままのグローブを取り、旧市街を出るときに穿いていたジーンズの尻ポケットに突っ込む。そしてケージを折り畳むと、それを手に家の方へと向かう。 玄関ドアの前に立ち、いつものようにドア横に設置されているパネルを覗き込んで暗証番号を打ち込む。登録が抹消されていると思ったが、難なくドアは開いた。思わず「ヒュー」と口笛を吹いて家の中に入った。 広々としたリビングルームはモノトーンで統一されており、海が望める広大な庭に面した天井まである窓辺には高級家具メーカーのシックなL字カウチソファ。そこに手にしているケージを立て掛けてから、背負っていたメッセンジャーバッグを投げ置いた。ジーンズの尻ポケットに突っ込んでいた猛禽用グローブもカウチソファに向かって投げる。 アッシュは不揃いな襟足の髪をひとつに束ねながら、続いているキッチンの方へと向かう。 食品用保存袋に入っている鷲用の肉を冷蔵庫に入れて、ミネラルウォーターのボトルを取り出した。キャップをその場で開けると、飲みながらキッチンを出る。そのまま続いているリビングを横切り廊下に出た。 地下射撃場に向かって、両サイドにドアが並ぶ長い廊下を広い歩幅で進む。 しばらく歩を進めたところで、一階奥にある部屋の前に立ち止まる。指紋認証でドアを開いて中に入る。ゲストルームに偽装している部屋のゴミ箱にミネラルウォーターのボトルを投げ入れ、何の変哲もないドアを開けると人感センターが働き照明が点った。無機質なコンクリートの壁に両サイドを挟まれた人ひとりが通れる階段を下りる。そして左右に別れている廊下を左に曲がり、しばらく歩を進めて重圧なドアの前で立ち止まった。ドア横に設置されているパネルを覗き込んで暗証番号を打ち込む。重厚なドアを開けて射撃場に入った。 ライフル対応のレーンには、ディバイダーで区切られたブースが三つ。その背後には壁一面のガンロッカー。もう一面の壁には長物の銃器が、種類別にガンラックに並んでいる。 アッシュが旧市街のアパートメントに帰らずに、ここに来たのは鈍っているだろう勘を取り戻すためだ。向こうで毎日トレイルランニングやアウルと近接格闘術のトレーニングは行っていたが、一度も射撃訓練はしていなかった。と言うよりも、場所的にできなかったと言う方が適切だ。 ガンロッカーから適当に選んだ銃にマガジンを挿し込んで、ディバイダーで区切られた三つあるブースの真ん中に立つ。接近戦を想定した腕を伸ばさないフォームで、ハンガーに取り付けてあるターゲットに向かって撃つ。一時間ほど休憩を挟まずに銃のメーカーと種類を変え、様々な構え方で射撃を行う。勘を取り戻したところで、ブースのトレイに銃を置いた。 「…暑ッ」 重厚なドア横の壁に設置されているバネルの前に立つ。空調を強風に切り替えて踵を返そうとしたそのとき、監視カメラのモニターが視界の端に入り振り返る。こちらに向かってくるリックを画面越しに確認したアッシュは口端を引き上げる。 次の瞬間、重厚なドアが内側に開いた。その瞬間、リックが投げ寄越した何かを反射的に掴む。その手を広げれば、軍の施設にいた頃にリックから貰った新旧市街の店では販売されていないチューインガムだった。 「無断で街を出たから施設送りってか?」 「上で話を聞かせてくれ」 広々としたリビングルームはモノトーンで統一されており、海が望める広大な庭に面した天井まである窓辺には高級家具メーカーのシックなL字カウチソファ。そして一人掛けの三脚のソファチェアが並んでいる。必要な家具以外置いていない殺風景なリビングだ。 アッシュがカウチソファに腰掛けると、リックは正面にある一人掛けのソファチェアに座った。二人の前にあるセンターテーブルにリックが、動画も撮れるボイスレコーダーを置いた。 「リウに頼まれたんだ。尋問形式で話を訊いてもいいか?」 「いいぜ」 「それじゃ、始めるぞ」 リックはボイスレコーダーの録画ボタンを押すと、改まった声で続けて言う。 「これからお前が話すことは録音させてもらう」 そう前置きしてから、リウに言われたのだろうお決まりのミランダ警告を事務的に続けた。それを黙って聞きながらアッシュは、さっきリックから貰ったチューインガムの封を切る。包装紙を解いてガムを口腔に放り込むと、包装紙をジーンズのポケットに突っ込んだ。 「弁護士を頼む気も黙秘もしねぇから、さっさと始めろよ」 そう言いながらガムを噛めば、少しクセのあるフレイバーが口腔に広がった。 「この三週間どこで何をしていたんだ?」 「ケイン教授に会いに行ってた」 アッシュは言葉に感情を乗せず、ケインの手紙に書かれていた通りに答えることにした。 「今朝、訃報が報じられた猛禽類研究の第一人者ケイン・ラーティ教授か?」 「ウィルに借りた本が面白かったから、作者プロフィールに載ってた大学に行ったんだ。そしたら入院してるって。で、病院を教えてくれたから見舞いに行ったらソルの話で盛り上がって、昨日まで一緒にいた」 先日死んだケインの訃報は、この街に帰るタイミングで公表された。全て完璧に用意して逝ったケインに感心しながら、手紙に書かれていたアリバイに少し脚色を加えて話した。 「本当か?」 「いいこと教えてやるよ。ケイン・ラーティはペンネームだ。本名はサイラス・フェイヴァー。あのフェイヴァー家の一員だ。俺が知ってることは話したぜ」 「アウルも一緒にいたんじゃないのか?」 「なワケねぇだろ?つか、アンタの元仲間が殺ったんじゃねぇのかよ」 そう言ってアッシュは、チューインガムを膨らませる。 ケインが裏から公的に捜索しないよう圧力をかけてくれたようだが、自分を監視する役回りを与えられた三人、それとライとウィルの五人いれば、真実に辿り着けなくても、アウルとケイン二人といたことは調べ上げているだろう。リックが正面の席に座ったときからアッシュは、リックの目と声からかなり深く知っていると読み取っていた。不毛な尋問に応じているのは、リウに頼まれたというリックの顔を立ててやるためだ。 「そんな作戦は実行されていない」 「フェイクニュースだったのかよ?何のために」 「俺たちの監視下から、お前を解放するためじゃないのか」 「アンタ、アイツがどんな男か知ってんだろ?」 鼻先で笑ってから言ったアッシュは、口端を引き上げて笑う。 「教え子を平気で見捨てる冷酷な男だ」 「わかってんなら聞くなよ」 もう話すことはねぇ、とアッシュはカウチソファから立ち上がる。リックが溜息を零しながらボイスレコーダーを止めたのを横目にキッチンに向かおうとすれば、「本当は何があった?」と声を掛けられた。アッシュはカウチソファに載っているメッセンジャーバッグのショルダーストラップを掴んで引っ張り上げると、フラップを開けてケインから貰った最後の著書を取り出した。それをソファチェアに腰掛けたままのリックに手渡す。 「貸してやる。サイン入りだぜ」 「首のタトゥーが増えたな」 「だったら?」 「いや、ただ思ったことを言っただけだ」 「へぇ、それにしちゃ言葉に含みがあったぜ」 そう言いながら、なかなか鋭いな、とアッシュは思った。しかし、アウルと交わしていた「誓約」のことを話すつもりはない。それ以上何も言わずに、再びキッチンの方へと歩き出す。しかし次の瞬間、ソファチェアからリックが立ち上がる気配を感じ、足を止めて振り返る。 「アッシュ」 「なに?」 「無事で良かった」 言葉と同時、リックに抱きしめられる。背中に手を回して抱き返せば、三週間前より痩せている気がした。まだ理解できない、「心配」という気持ちにさせてしまったのか?とアッシュは思った。 「ごめん。それとガムありがとな」 03、Life is what you make it./FIN 2023/08/30
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