Episode 04

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Episode 04

「よく毎朝続くよな。あのイケメン」 二十代の賴胡蝶(ライ・フーティエ)(通称ライ)が、リックにカウンター越しに言った台詞だ。 旧市街の路地に立つ、レンガ造りの五階建てアパートメント。その一階でライが営む中華飯店「好吃(ハオツー)」。良心的な値段で美味い中華が食べられる店として知る人ぞ知る店だ。外から内部が見えるように正面の出入口はガラスの自動ドア、左右両側窓も透明なガラスになっている。その店内は両サイドの壁面に沿って四人掛けのテーブル席が五席ずつ、十席あるL字型ローカウンターは、厨房と高低差があり客席の方が低くなっている。朝の五時を少し過ぎた店内では、八時の開店時間に合わせてライがカウンター奥にある厨房で料理の仕込みをしていた。 「イケメン?誰のことだ」 カウンターに座るリックは、シガレットケースから手巻きタバコを取り出す。 この店は新市街とは違い、どこの飲食店でも喫煙できる。否、治安の悪い街ということもあって客層も品行方正な市民でないことから、トラブルを避けるため禁煙に出来ないのだ。 「あいつだよ。ツラがいいからイケてるメンズでイケメン。日本じゃそういうらしいぜ」 「エディと話したのか?」 そう手巻きタバコを口に咥えたまま言ったリックは、オイルライターで先端を焼いた。 「三階通ったとき、気づかなかったのかよ」 厨房に立っているライは、酸辣湯(サンラータン)を作りながら続ける。 「あぁ、そうか、昨日の夜中に向こうから戻ってきたばっかりで知らねぇか。お前らが留守にしてる間に、エディの荷物が届いたから部屋の前に積んどいてやったぜ」 「で、本人は?」 「もうすぐ来るんじゃ…ほら来たぜ」 次の瞬間、店の出入口自動ドアが開き、190センチ近い男が入ってきた。 「クルマ、大通りに止めちまったけどパクられたりしねぇよな?」 そう店に入ってくるなり言った三十代のエディは、ワイルド系の顔立ちをしている。ツーブロックの髪を後ろでひとつに束ねる、ヘアスタイルの名称マンバンにしている。 「そんないい車に乗って来たのかよ」 ライがカウンタートップに身を乗り出して、戸口に立っているエディに言った。 カウンターに腰掛けたままのリックは、エディが車種を言うよりも先に口を開く。 「あの車なら盗まれる心配はない」 後ろからライにどんな車かと聞かれて振り返る。レトロなアメ車の名前を教えてやれば、納得したように「燃費がクソな車なんて誰もパクらねぇよ」と笑った。 「予定より早く着ちまったけど、いいか?」 「別に構わない。助かる」 リックは手巻きタバコを灰皿でもみ消しながら、隣の席に腰掛けたエディに続ける。 「会わないうちに随分洒落たヘアスタイルになったな」 「もう軍人じゃねぇからな。これからは髪型を楽しむことにしたんだ」 「もう新しい職場には行ったのか」 「明日からだ。こっちに来るまで、ちょっとバタバタでな」 エディの新しい職場は、新市街にある空港だ。彼はリウのプライベートの人脈の伝で、空港会社に再就職していた。 カウンタートップに身を乗り出して肘を付いているライが、エディに振り返る。 「ハッキリ、元嫁のママに連れ回されたって言えよ」 「元じゃねぇ。いまもアイツは俺の妻だ」 「もう何年だよ。そろそろ新しい女見つけろよ」 「うるせぇ。もう俺は結婚するつもりはねぇ」 リックはカウンター越しに言い合っているライとエディを眺めながら、昨日アッシュに聞かれた「なぁ、愛ってなに?」という言葉を思い出していた。これまで数人の女と付き合ってきたが、結婚するまでには至らなかった。そもそも自分は誰か一人を真剣に愛したことがあるのか、と疑問を持ったそのとき、エディの呼ぶ声で我に返る。 「リック、お前大丈夫か?」 どうやらエディに何度も名前を呼ばれていたらしい。「疲れてんだろ」と気遣うエディに、「平気だ」と返して、水が入ったコップを差し出すライからそれを受け取る。よく冷えた水を半分ほど飲んでコップをカウンターに置けば、隣に座るエディが何かを思い出したかのように手を打った。 「リウから伝言預かってたのを忘れるところだったぜ」 「さっきまで完全に忘れてやがったのによく言うぜ」 カウンタートップに身を乗り出して肘を付いているライは、エディに悪態をついて嘲笑う。 「ライ。お前さっきから俺に突っ掛かってばっかりだな。まだリウが……」 「さっさと話さねぇなら、オレの方から話すぜ」 「どっちでもいいから早く話してくれ」 また言い合いを始めそうな二人に溜息を吐いてから言えば、カウンター越しにライから書類の束を受け取ったエディが自分の方に振り返った。 「そろそろ仕事をさせてあげる頃合かなってリウが」 穏やかなリウの口調を真似て言ったエディは、手にしている資料をリックに手渡す。 「表と裏で顔が利く奴らだな」とリックは資料に目を通しながら言った。 「こいつらを始末すれば、アウルにも情報が届くだろってさ」 「そうだな」 「今日から二週間後なら三人揃う。アッシュひとりで行かせるのはどうだ、とリウが言っていた。場所は新市街だ。あいつが単独で動ける範囲内だろ?」 「行かせてもいいが、戻ってくる保障はないぞ」 「なら賭けようぜ!」 「エディ、お前は相変わらず楽天家だな」 「オレも賭けさせてくれよ」 「おう、皆で賭けようぜ」 逃げる、戻る、の二択選択で盛り上がっているエディとライを横目にリックは、シガレットケースから手巻きタバコを取り出す。その先端をオイルライターで焼きながら吸い付ける。人差し指と中指でフィルターを挟んで唇から離すと同時に煙を吐く。まだどちらに賭けるか迷っている二人を余所にリックは手元の資料に再度目を通す。 タバコ一本分の時間で読んだ資料を閉じた次の瞬間、店の出入口自動ドアが開いた。その瞬間後ろに振り返れば、スポーツブランドのコンプレッションウェアにランニングシューズを穿いたアッシュが戸口に立っていた。 「へぇ、二人のうちの一人はアンタだったのか」 「おう、久しぶりだな」 エディは、一年前にS国で拘束したアッシュを自分たちの本国に護送する際に使われた、軍用ヘリコプターのパイロットを務めていた。その後も二度ほどアッシュが収監されている施設で顔を会わせている。 「何だ、そのサムライヘア」 「お前センスいいな。今日から俺のことはサムライと呼んでくれ」 カウンター席に座ったままのエディは、上機嫌で日本の時代劇音楽を歌い出す。 エディの亡くなった妻は日系人だったことから、流暢に日本語が話せる。そして趣味は有料動画配信サービスチャンネルで、日本映画やドラマを鑑賞することだ。 「エディ、相変わらずクッソ音痴だな」 「ライ、お前にだきゃ言われたくねぇ」 また始まったエディとライの言い合いを止めることなく、リックはカウンターから立ち上がる。そのまま店を出ると、シェアアパートメンの外階段を駆け上がるアッシュの背に声を掛けた。 「シャワーを浴びてリビングに降りて来い」 各自の個室以外の共用部であるワンフロアにぶち抜かれた二階。キッチンや室内遊戯ゲーム用品を完備した広々としたリビング。リックは六人掛けのダイニングテーブルで、昨日の約束どおりアッシュにフレンチトーストを食べさせていた。 「アッシュ、日記を書いてみないか」 リックはエスプレッソを飲み干してから言った。 「日記?」 「一日どうお前が過ごしたのかを…」 これに書くんだ、とリックは自分の部屋から持ってきていた真新しい日記帳を差し出す。ペンが収納できる革カバーが掛かった分厚い日記帳は、リックが自分で使うために買っていた日記帳だった。それを人として感情が欠落しているアッシュを知るために使うことを考えたのである。 「タダじゃ書かねぇぜ」 アッシュは、たっぷりメープルシロップをかけたフレンチトーストをナイフで切り分ける。 リックはアッシュに銃の所持を許した日から、食事の際にナイフを使わせるようになった。武器ではなく本来の目的で使えるのだろうかと思っていたが、取り越し苦労だった。 「一冊書き上げたら旅行に連れて行ってやる」 見返りがなければ承知しないだろうと思っていたリックは、何通りか用意していた交換条件の中で食いつくだろうと自信がある条件を最初に提示した。 「どこでもいいのかよ」 アッシュは、切り分けたフレンチトーストをフォークで刺して口に運ぶ。 「あぁ、お前が好きな…お前が行きたいところでいい」 言葉途中でlikeとloveの感情がわからないことを思い出したリックは、アッシュが理解できる言葉を選んで言い直した。思っていたとおり食いついてきたが、まだ書くという言葉を引き出せていない。次の交換条件を出すか、とリックが思った。そのとき、「わかった」とアッシュが二人の間にあった日記帳を自分の方へと引き寄せた。 リックはエスプレッソのカップを持って、テーブルから立ち上がる。そのまま二杯目を淹れにキッチンへと向かう。 レトロなマシンでエスプレッソを淹れると、カップをカウンターに置いてキャビネットに振り返る。シュガーポットを取り出すと、本場の飲み方に習って砂糖を入れた。クレマを壊さないようにスプーンで混ぜながらリビングへと戻る。 さっき座っていた席に腰を下ろして、エスプレッソを飲み干す。カップをテーブルに置くと、待っていたかのようにアッシュが話し掛けてきた。 「なぁ、まだある?」 「あぁ」 リックはフレンチトーストにした厚切り食パン一枚だけでは、また満足しないだろうと初めて食べさせた日よりも余分に作っていた。教えた言葉を言う前に皿を寄越せというかのように手を差し出せば、アッシュが口端を引き上げて「おかわりお願いします」と皿を渡してきた。人にモノを頼むときの態度を軟化させてきたアッシュに穏やかに笑い返したリックは、ダイニングテーブルから立ち上がる。 皿を片手にリックは、リビングと続いているキッチンへと向かう。 カウンターに皿を置いて冷蔵庫から、牛乳と生クリームを半量ずつ加えて、卵液に浸しておいた厚切り食パンが入る保存容器を取り出す。それをキッチンカウンターに置き、続けてバターを取り出して冷蔵庫のドアを閉めた。 ガスコンロの前に立ち頭上の換気扇を回すと、熱したフライパンにバターを落とし入れて中火で溶かす。そして半分に切ってある食パンを火加減に注意しながらじっくりと焼いていく。 数十分後、二枚重ねのフレンチトーストが載った皿を持ってリビングへと戻る。 スラングで礼を言ったアッシュは、フレンチトーストの上からメープルシロップを並々とかける。さっきの一枚目で半分ほど使ったそれを使い切る勢いでかけるアッシュを止めたかったものの、初めて食べさせてやったときの顔が忘れられず好きにさせてやることにした。リックはテーブルに肘を付いて、目の前で美味しそうにフレンチトーストを食べるアッシュを眺める。さっきの一枚と合わせて三枚目を半分食べ終えたところで、夢中で食べていたアッシュが話し掛けてきた。 「あのガム、もうねぇの?」 「ない、五日前にやったのが最後だ。あとでカネをやるから買ってこい」 テーブルに肘を付いたままのリックは、初日にチューインガムが食べられなくなるから殺さないと言われたことを思い出す。俺を殺すか?と問いかける前にアッシュが口を開いた。 「小遣いはいらねぇ。オレはガキじゃねぇからな」 「それなら仕事をするか」 話の流れに乗って切り出せば、アッシュはナイフとファークを皿に置いた。 「いいぜ。いつだよ」 「二週間後だ」 「そんな先かよ」 「その頃にはリウも来るからな」 「三人揃ってからってことは、オレを試す気だろ?」 「勘が鋭くて助かる。あぁ、そうだ」 「だから、さっきアイツらが盛り上がってたのか」 「あとで資料を渡すから読んでおけ」 「なぁ、アンタは賭けたのか?」 「いや」 「アンタも賭けろよ。儲けさせてやるぜ」 アッシュは口端を引き上げると、ふたたびナイフとフォークを握った。 テーブルに肘を付いているリックは、フレンチトーストを食べやすいサイズに切り分けていくアッシュの手元を眺めながら思う。 (……何を企んでる?) 常に冷静で落ち着いているアッシュは淡々と話すことから、感情の起伏を読むのは難しい。それでも当初よりも読めるようになったとはいえ、まだ言動から推し量れないでいる。
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