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Episode 06
―――5年後、夏。
英語を公用語する某国の片田舎に位置する、夏と冬の二つの季節しかない湾港都市。創建の歴史は紀元前八世紀まで遡る。某国の植民地として貿易が盛んに行われていた当時、海賊の被害を防ぐために建設された運河により旧市街は新市街から隔てられる。のちに長く分断されていた両地区に交通の動脈となる一本の橋が架けられた。
海を臨める旧市街は古風な石やレンガで造られた建築物、中世の歴史的建造物も数多く現存し魅力ある景色を誇ることから、穴場の観光スポットになっている。一見すると観光業で栄えている街にも見えるが、一歩路地へ入れば犯罪に巻き込まれる。
治安が悪いエリアに立つ、一階に中華飯店が入るレンガ造りの五階建てアパートメント。歴史を感じさせる外観とは違い、建物内は近代的なリフォームが施されている。
昼の二時。各自の個室以外の共用部であるワンフロアにぶち抜かれた二階。キッチンや室内遊戯ゲーム用品を完備した広々としたリビング。六人掛けのダイニングテーブルでは、四人が飲みながらトランプをしていた。
彼らが行っているゲームはジンラミー。ジョーカーを除いた五十二枚のトランプで行うゲームだ。カードを一枚ずつ引いては捨てを繰り返し、特定の組み合わせを作っていく。そして残ったカードの合計点数が低い者が勝ちとなる。
「サムライ。アンタ、何回やりゃ気が済むんだよ」
正面に座るエディに言ってアッシュは、チューインガムを口腔に放り込む。
あの日から五年経ち二十代前半になったアッシュは、この街から逃げずにリックと暗殺の仕事をしている。
「もう三回目だぞ」
アッシュの隣に座るリックは、いい加減飽きたとでも言うように溜息を零す。
「三度目の正直になるといいね。エディ」
リックの正面に座るリウは、意志の強そうな眉に右目尻にあるホクロが印象的な端正な顔立ちをしている。
「何だよ、お前ら。冷てぇな」
リウの隣に座るエディは手元のカードを見る。山札から一枚取り手札に加えると、不要なカードを一枚表向きにして場札に重ねて捨てた。
「そういや、レネから伝言預かってた」
チューインガムを噛んでいるアッシュは、隣に座るリックに振り返る。
「何だ」
「今日アンタが注文してた品物が入荷するから届いたら持って行くってよ」
「レネの店、僕がいない間に配達もするようになったの」
中央情報局のエージェントのリウは、ある作戦に派遣されて二年間不在だった。先日任務が完了して帰ってきたばかりだ。そして明日からは、新市街の病院に心理カウンセラーとして潜入することになっている。
「いや、アイツの目的は配達じゃなくアッシュだ」
「あのレネに気に入られるなんて、仕事でも請け負ったのかい?」
「アイツの店にリックとメシ食いに行っただけだぜ」
「それから時々デザート持参で遊びに来るようになったんだ」
「今日のケーキはタルタ・デ・サン……」
「ジン!」
三人の会話を邪魔するように声を張ったエディが満面の笑みで、トランプをテーブルに置いた。アッシュとリック、リウがエディの手札を覗き込めば、十枚すべてが組み合わせになっていた。自動的に勝者となったエディが高笑いしている横で、三人は顔を見合わせると自分の手札を表向きにテーブルに置いた。ざっとそれぞれの手札の合計点数を計算したリウが最下位の者の名前を口にする。
「社会奉仕はアッシュだね」
このアパートメントの決まり「カードゲームの敗者は社会奉仕」。勝者は三つのルールを踏まえて奉仕内容を決められる。敗者に拒否権はあるが従わない場合は、強制的に一階のライの店で三ヶ月間皿洗いを行わなければならない。
「さぁ、社会奉仕の時間だぜ!ベイビー」
エディは素早くトランプを片付けながら弾ける笑顔でアッシュに言った。
「さっさと決めな。遅漏は嫌われるぜ」
「破廉恥なベイビーには、ご加護がありそうなヤツを考えてやるよ」
「神の加護で腹はふくれねぇ」
そう言ってアッシュは、舌先で薄く伸ばしたチューインガムに息を吹き込んで球体を作る。
次の瞬間、開け放たれている路地に面した窓から「誰か助けて!」という日本語が飛び込む。この街に日本人観光客が訪れることは滅多ない。珍しさも手伝って親日家のエディはダイニングテーブルから立ち上がり、窓の方へと駆け寄る。窓から顔を出さずに下に視線をやれば、アジア系の若いバックパッカーらしい若い男を三人の男が追いかけていた。
「日本人を助けてやってくれ」
「どっちに行った」
「Y字路の片方、ウィルの店の方に走っていたぞ」
このシェアアパートメントの先は、Y字路になっている。
アッシュはエディが言い終わる前にダイニングテーブルから立ち上がり、リビングを出て行った。その数分後、屋上から三発の銃声が連続して響き、バックパッカーの男を追い掛けていた三人の男が順に地面へと倒れた。
「アッシュの野郎、殺っちまったんじゃねぇだろな」
そう言いながらエディは、リビングの出入口ドアへと走る。
平然とダイニングテーブルに座ったまま、瓶ビールを飲んでいたリックとリウも席から立ち上がりリビングを出て行ったエディの後を追う。
四人が走って行った場所に駆けつければ、若い男だけで三人の男の姿はなかった。道に点々と落ちている血痕の量から、追跡者は深手を負いながらも走って逃げたことが推察できた。
追っ手といえども、目の前で人が狙撃された衝撃とショックで放心状態の男にエディは歩み寄り、「もう大丈夫だ」と日本語で声を掛けて手を差し伸べる。
「あ、あの、あ…あり……」
動揺していて上手く話せないのだろう男は、エディが差し伸べている手を取る。
「おい、どうした」
弱々しい手で握った男を引っ張り立たせようとすれば、へなへなと座り込んでしまった。
「このまま放っておけないし、うちで休ませてあげたら」
周囲に視線を配っていたリウは、財布を見つけ背を屈めて拾い上げる。革製の縦型二つ折り財布を開けば、両サイドにあるスリットに日本語表記の身分証明書が入っていた。それをスリットから引き抜かずに財布ごと持ち帰ることにしたリウは、開いた財布を閉じる。
「そうだな」
リウ同様に周囲に視線を配っていたリックは、男のバックパックを拾い上げて肩に背負う。
「安心しろ。俺たちはお前に危害を与えるつもりはない」
二人と英語で話していたエディは日本語で言うと、その場に座り込んでいる男の前にしゃがんだ。「歩けそうもねぇな。担いで行ってやるよ」と笑いかけたのも一瞬、男の脇腹を掴んで軽がると抱き上げて肩に担ぎ上げた。次の瞬間、男はエディの背中で気を失う。
「エディ、彼は荷物じゃないよ」
「何だよ」
「横抱きにしてあげたら」
「別に横抱きしてやる必要はないだろ」
帰るぞ、とリックは二人に背を向ける。窓から様子を伺っている住人に騒ぎは収まったと合図するかのように軽く片手を挙げると、アパートメントの方へと歩き出した。
気を失った男を肩に担いでいるエディ、その後ろにリウが続き、三人でアパートメントの方へと向かう。
「勝手にお邪魔してるぞ」
リビングの六人掛けのダイニングテーブルに座るレネ・ヴィダルが、戻ってきた三人に振り向きもせずに言った台詞である。
先程、アッシュとリック、リウの三人が名前を挙げて話していた男だ。ここから車で三十分程走った場所にある比較的治安が落ち着いているエリアで、カジュアルにスペイン料理を楽しめる「BAR Dado」と、その二階で食料品店を営んでいる。
「またアッシュを餌付けしてやがる」
軽い口調で笑ってエディは、肩に担いだままの気を失っている男を寝かせに窓辺のソファへと向かう。
男のバックパックを肩に背負ったままのリックは、ケーキを食べているアッシュの正面に座るレネの方へと振り返る。
「あんまり見てやるな」
「君に言われる筋合いはない。エスプレッソマシンはキッチンに置いておいた」
テーブルに肘を付いている三十代のレネは、垂れ目と無造作に伸びたヒゲが印象的な甘さとワイルドさを兼ね備えた男だ。レネは自分の作ったケーキを美味そうに食べているアッシュから片時も目を離さない。そして彼以外の者と話すときも声に温度差がある。
「Gracias、あとでカネを払うから金額を教えてくれ」
スペイン語で礼を言ったリックがレネに注文していたのは、スペイン製のレトロなエスプレッソマシンとコーヒー豆だった。彼から金額を聞いたリックはキッチンに振り返ってから、六人掛けのダイニングテーブルの方へと向かう。
「リウ、久しぶり」
「その様子からして、随分アッシュを気に入っているようだね」
穏やかな口調で笑ってからリウは、レネの隣に座ったリックの正面に腰を下ろす。
「今日はタルタ・デ・サンティアゴか」
「食う?アンタでも食えそうな甘さだぜ」
「いや、いい」
「リック、アッシュが社会奉仕で助けてやった男は誰だ?」
テーブルに肘を付いたままのレネは、リックとアッシュの会話を邪魔するように言った。
リックは、自分たちが戻ってくるまでにアッシュから話を聞いたのだろうと悟る。レネは「カードゲームの敗者は社会奉仕」のルールを知っていることもあり、聞かれたことだけに応じる。
「それをいまから調べるところだ」
そう言いながらリックは、テーブルの上に置いている男のバックパックのファスナーを開ける。彼の身分証明書を探しながら、几帳面に詰められている荷物を取り出していく。
「なぁ、掠める程度にしといてやったから生きてただろう?」
「にしても深手を負わせすぎだ。次からは警告に留めろ」
リックは自分の口端を人差し指で軽く叩きながら、アッシュに口角にケーキの欠片が付いていることを教える。すると、レネが察したようにテーブルに身を乗り出して、アッシュの口元に向かって片手を伸ばす。しかし次の瞬間、その手をアッシュに強い力で叩き落される。リックは思わず口端を引き上げる。
「でもルールは守ったぜ」
「アッシュは、お利口さんだね」
「レネ、アンタに言われたくねぇ」
「あの三人もハッキリ顔を見たワケじゃねぇけど、日本人だろ?」
窓辺のソファに日本人の男を寝かせてやったエディが、リウの隣に座りながら言った。
「追っ手はヤクザ…日本のマフィアだね」
日本人の男を追い掛けていた三人のうちのひとりが落としていった革製の縦型二つ折り財布。その中身をトランプのように並べ置いていたリウは、一枚の名刺を取り四人が見える位置に置いた。白生地に代紋が金箔押しされ、肩書きと名前が筆致で印刷されていた。
「読めねぇ字の名刺を見せられてもな」
「だよねぇ。君らのようにおれとアッシュは日本語が堪能じゃないからわからない」
レネはアッシュに同調するように言った。
二人を除いた三人は、ネイティブに日本語を話せる上に読み書きも出来る。
「追い掛けられていた日本人は漆葉光。年齢は……」
漆葉が背負っていたバックパックの中身をテーブルに並べていたリックは、フロントポケットから見つけたパスポートに記載されている項目を読み上げる。続けて二つ折りの財布に入っていた欧米の名門大学の学生証も読み上げた。
二十代の漆葉は、名門大学に在籍している日本人留学生だった。
「どうして、そんなお坊ちゃまがヤクザに追われてたんだ」
追い掛けられていた理由を探るようにエディは天井を仰ぎながら、胸の前で腕を組む。
「日本のマフィアに追い掛けられるような男なら全部偽造かもしれないぞ」
ダイニングテーブルに肘を付いたままのレネは、アッシュから目線を外さずに言った。
「そうなら油性ペンで名前を書かないだろう」
リックはバックパックを裏返し、漢字で名前が書かれている場所を見せる。それにアッシュとリウ、エディは目を向けたものの、レネは情熱的な眼差しでアッシュを見つめたまま振り向くどころか一瞥もしない。
「ここにいるって分かったら、あいつら連れ戻しに来るんじゃねぇのか」
「サムライ、ここからアイツらを撃った場所まで何ヤードあるって思ってんだよ」
タルタ・デ・サンティアゴの最後の一切れを食べ終えたアッシュは、フォークを皿に置きながら続けて言う。
「まぁ、アイツらがソル並みの視力なら話は別だけどな」
「街の奴らに聞いて回ったら…」
「エディ、この街に何年住んでるんだ?」
テーブルに肘を付いたままのレネは、エディに振り向きもせずアッシュに目を向けたまま続ける。
「連中が嗅ぎまわっても、この街の連中は口を割らないさ」
「そりゃアンタに関してだけだろ」
「そんなことないよ、アッシュ。この街でお喋りさんは短命だ」
「だからタコス屋のマダムは死んだのか」
「そんなことより、どうするんだ?」
リックはテーブルに肘を付いて、窓辺のソファで眠ったままの漆葉に視線をやる。
「目が覚めたら追い出せばいいんじゃねぇ」
「それまでポーカーでもやらないか?」
ずっとアッシュを見つめたままだったレネが、隣に座るリックに振り返る。
「うちのルールが言えたらな」
「金を要求しないこと。性的行為を要求しないこと。一般人の殺しを要求しないこと。だろ?」
レネは指を折りながら淀みなく言って、目元に笑いジワが出る笑顔をアッシュに向ける。
五年前このアパートメントに四人が揃った日にトランプを行ない、アッシュが連勝を重ねた。その際、多額の賭け金を払うことになり、ここの決まりとして「カードゲームの敗者は社会奉仕」と「三つのルール」をリックが定めたのだ。また、この条件は参加する外部者にも適応される。
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