Episode 07

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Episode 07

「おれの勝ち」 「またオレが最下位かよ。サムライに負けてからついてねぇ」 「俺のせいにすんじゃねぇよ」 「アッシュのニーケーは、レネに浮気中かな?」 「リック、また先生が博識こと言ってるぜ」 「ギリシャ神話に登場する勝利の女神のことだ」 リビングの六人掛けのダイニングテーブルで、国籍、肌や瞳の色が違う五人の男が酒を呑みながらトランプゲームをしている。窓辺のソファで眠る漆葉を気遣うでもなく声を抑えずに盛り上がっていたそのとき、呟くような声が聞こえた。それにいち早く気づいたアッシュがソファの方に視線を投げれば、ソファに横になったままの漆葉が天井を仰いでいた。 「やっとお目覚めかよ」 アッシュの言葉に四人がソファの方へと振り返る。 目覚めてすぐに英語で声を賭けられた漆葉は、肩を跳ね上げて上体を起こす。しかし、まだ覚醒仕切っていないのだろう、ゆっくりとした所作でソファから足を降ろしダイニングテーブルにいる五人の方に向かって座位の姿勢を取った。 「ここは…?」 漆葉は、透明感のある色白で目が大きく中性的な顔立ちだ。儚げな見た目とは違い、その声はハスキーだった。 「俺たちの家だ」 エディは日本語で問いかけてきた漆葉に同じ言語で返してやった。 漆葉はすぐに応じず、頭をフル回転して記憶を呼び戻したのだろう数秒の間を置いてから日本語ではなく英語で言った。 「あの、助けてくださってありがとうございます」 そう言って漆葉は、両手を膝に乗せて頭を下げた。 「どう致しまして」 言葉と同時、アッシュはゲームをする気を失いトランプをテーブルに投げる。 他の四人もゲームを放棄して手札をテーブルに置いた。トランプを片付け始めたエディを横目にリウが、聞き取りやすい英語で漆葉に声を掛ける。 「漆葉光くん、見たところケガはなかったけど、痛むところとはない?」 「大丈夫です。あの、どうしてボクの名前を?」 リウはリックに目配せを送ってテーブルから立ち上がると、キッチンの方へと向かった。 「お前が寝ている間に荷物を調べさせてもらった」 そう言いながらリックは、人差し指で漆葉が座るソファの前にあるローテーブルを指す。 漆葉に関する情報を得た後リックは、バックパックに入っていた荷物を元通りに詰めてローテーブルに置いておいたのだ。教えられるまでバックパックが視界に入ってなかったのだろう漆葉は驚いた顔で、リックに視線をやる。「何も盗ってないから安心しろ」とリックは警戒心を与えないよう微笑む。 キッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルとグラスを持って戻ってきたリウは、漆葉の座る窓辺のソファへと向かう。 ローテーブルに腰を下ろして、ミネラルウォーターを注いだグラスを漆葉に手渡す。軽く頭を下げて礼を言った彼に、リウは何も言わずえくぼが出る笑顔を向ける。喉が渇いていたのだろう喉を鳴らしながら一気に飲み干した漆葉に、「おかわりはいる?」と聞けば、「大丈夫です」とグラスを差し出してきた。空のグラスを受け取ってからリウは口を開く。 「どうして君はヤクザに追われていたの?」 「僕たちに話したくなければ、追求はしない。どちらか教えて欲しいな」 穏やかな口調で言ったリウは考える時間を与えるために視線を逸らす。手元のグラスに付着している水滴を眺めているフリをしながら、長袖のシャツを着ている漆葉が右手で左手首を掴んでいるのを視界の端で捉える。 五人は何も言わずに、ヤクザに追われていた理由を話すべきか話さないべきか、迷っている漆葉を気長に待つ。どちらを選ぶべきなのか迷いの中にいる漆葉は、俯き加減で仕切りに左手首を気にしている。彼に悟らせないようにリウは視線を向ける。シャツ越しに手首を握っているにしては握り方が不自然だ。何かアクセサリーをしている? と推察したところで、やっと漆葉が話し始めた。 「この街にある「Dado(ダド)」ってお店を教えていただけませんか?」 「用件を聞かないと店を教えてやれないな」 アッシュを見つめていたレネは椅子に腰掛けたまま、漆葉の方へと身体の向きを変える。 ローテーブルに腰を下ろしたままのリウは、レネに漆葉から聞き出す役を譲り立ち上がる。そのまま彼の視界を邪魔しないように四人が座る六人掛けのダイニングテーブルへと戻る。 「ボクの用件はレネさんに会ったときにお話しするので…アナタには言えません」 「すぐに口を割らないなんて案外利口だな。さすが名門大学に通う秀才だ」 テーブルに肘を付いているレネは、口端に嘲笑を浮かべる。 次の瞬間、アッシュの腹の虫が鳴き、緊迫した空気が一気に緩む。 ダイニングテーブルに肘を付いているリックは、思わず笑い声を上げる。 「っははは」 「おい、アッシュ。お前の腹は空気を読めねぇのかよ」 「腹減っちまったんだからしょーがねぇだろ?」 「アッシュの腹の虫はチャーミングに鳴くね」 ちょっと待ってて、とレネはアッシュに振り返ってウィンクを送ると、漆葉に振り返った。 「そのレネがおれだったら?」 そう言いながらレネは、黒い長袖シャツのボタンに手を掛ける。上二つのボタンを外して着ているレネは、四つ目のボタンまで開けたのも一瞬、シャツを横に引っ張った。露出した分厚い胸筋には、トカゲのタトゥーがブラック&グレーのインクで入っていた。 「おれの傍に来て用件を簡潔に話せ」 漆葉は促されるままにソファから立ち上がると、レネの方へと歩き出した。ダイニングテーブルに座ったままの五人の視線を受けながら、漆葉は緊張した面持ちでレネの前で足を止める。 「リカルドさんに警察を頼れないトラブルに巻き込まれたら、この街にある「Dado」って店のレネって男を訪ねろ、と言われたんです」 漆葉は目の前のレネを一瞥してから、ずっと利き手で掴んでいた左手首から手を離す。シャツの袖を捲り上げ、左手首に装着している純プラチナ製の幅広ブレスレットを見せる。それにはレネの左胸に刻まれたタトゥーと、同じ図柄だが微妙にデザインが異なるトカゲの姿が繊細な彫刻で施されていた。 「漆葉でウルか……」 レネは片手で目を覆って深い溜息を零す。「兄さん、おれを窓口にするのはやめてくれ」とスペイン語で呟いてから目を覆っていた手を離した。 「リカルドさんに会わせてください!お願いします」 「知り合いだったのかよ?」 「まぁね、ウルを店に連れて帰るよ」 「なら、さっさと帰れ」 リック、腹減った、とアッシュはリックの方へと振り返る。 「アッシュもおいでよ。パエリア食べさせてあげる」 アッシュに微笑みかけたレネは、シャツのボタンを留めて椅子から立ち上がる。そして目の前に突っ立っている漆葉に荷物を持ってくるように声を掛けた。その隙を突いてリックとリウは、それぞれアッシュとエディに目配せを送る。 「俺も食わせてくれ」 「今回は特別に招待してやるよ」 「勿論おごりだろうな」 「さっさと行こうぜ」 アッシュはチューインガムを口腔に放り込んで、ダイニングテーブルから立ち上がる。 「アッシュ、食後のデザートは何が食べたい?」 レネは、エディは勿論のこと兄の知人らしい漆葉も眼中にない様子で、アッシュをエスコートしながらリビングの出入口ドアの方へと向かう。その後ろにエディとバックパックを背負った漆葉が続く。リビングを出て行く彼らを、リックとリウはダイニングテーブルに座ったまま視線だけで見送る。その十分後、リウが窓から一階のライが営む中華飯店「好吃」の前を四人が通り過ぎたのを確認して、リビングを出て行った。 「ライに頼んできたよ」 数分後、リウは一階から上階に上がる階段が設置されていないことから、外階段を使ってライの店からリビングに戻ってきた。 「呑むだろ?」 リウはテーブルにテキーラのボトルを置くと、キッチンの方へと向かった。 キャビネットから二人分のグラスを取り出し、冷凍庫から取り出した氷を入れる。それを片手にリウはリビングへと戻る。 リックは手渡された氷入りのグラスをテーブルに置いて、リウがキッチンで用意している隙に開けておいたテキーラのボトルを取る。先にリウのグラスを琥珀色に満たす、続けて自分のグラスに適量注ぎいれる。そして同時にグラスを軽く持ち上げて、口元へと運んだ。鼻先でほのかに甘い樽香を楽しんでから、二口ほど飲んでグラスを置いた。 「旨いな」 「気に入ったなら部屋に持って帰る?」 「ライのボトルだろ」 「違うよ。僕の部屋から持ってきたんだ」 「スコッチ派じゃなかったのか」 「向こうでテキーラにハマッたんだ」 「飲まず嫌いは良くなっただろう?」 リックは口端を引き上げて笑うと、傍に置いているマット仕上げのシガレットケースを取る。幾何学的文様の装飾の中にネコのシルエットが隠れているそれを開ける。取り出した手巻きタバコを唇に咥え、ケースと同じデザインのオイルライターで先端を焼いた。正面に座るリウに煙が掛からないよう吐けば、「一本くれる?」と言われてケースを差し出す。 「禁煙はやめたのか」 リックは手巻きタバコを口端に咥えたまま、火を点けたオイルライターを差し出す。リウが唇に咥えているタバコの先を焼き付けたのを確認して、上蓋を親指で弾き閉めると同時に手を引いた。 「そのジッポまだ使ってるんだね」 「あぁ、お袋の形見だからな」 「君のネコ好きは彼女の影響?」 「そんなことより、あの日本人……」とリックはタバコの煙を吐いてから続ける。 「ただの留学生かと思ったら、スペインマフィアのボスと知り合いだったとはな」 レネの一番目の兄リカルドは、スペイン系犯罪組織「ラガルティハ(lagartija)」のボスだ。三人兄弟は組織のエンブレムであるトカゲのタトゥーを左胸に入れ、幹部は忠誠の証として胸以外に入れている。漆葉が左手首に装着していたブレスレットに描かれていたのは、ボスだけが左胸に施術することを許されるそれだったのである。 「人は見かけによらないってホントだね」 「そうだな」 「ねぇ、リック」 「何だ」 「一時期社会問題にもなった「Wurfel(ヴュルフェル)」ってドラッグのこと知ってる」 「何だ、突然?」そう言いながらもリックは、タバコを燻らせながら続ける。 「あぁ、確か一年前か。アッパーかダウナーどちらかにキマるか判らないクスリだろ」 「そう。「Wurfel」は試してみないとどっちにトリップするかわからない。出血多量で死ぬ場合も有る。ドイツ語でサイコロって意味の名前のとおり、どの目が出るかわからないドラッグ」 「コックは、どこかの麻薬カルテルに飼われている外国人だと思うでしょ」 「まさか、あの日本人なのか」 「漆葉くんを追い掛けていたのは、「Wurfel」を捌いていた組織のヤクザだよ。彼か、または交友関係にコックがいるって考えると、さっきまでの一連の出来事も頷けるかな?でも何の裏付けもないから、ライの報告を待つしかないね」 そう言って微笑んだリウは、短くなったタバコを灰皿でもみ消す。 リックもグラスのテキーラを舐めてから、タバコを灰皿で消した。 二人の間に沈黙が落ちる寸前、リビングの出入口ドアが派手な音を立てて内側に開いた。 「ライ、もう少しお行儀良く入っておいで」 「知り合いのヤクザのオッサンに聞いたらすぐだったぜ」 ライは、リウがアジア周辺の諜報活動をしていた頃に専属で雇っていた元情報提供者だ。引退したいまでも強い人脈を持っており情報収集力に長け、日本の華僑や裏社会にも顔が利くことから情報を得ることは容易い。 ダイニングテーブルに座る二人の元にやってきたライは、リウの隣に座り彼の飲みかけのテキーラを煽ってから口を開いた。 「コックは、医薬品開発企業の研究員で漆葉の兄貴だった。一年前にパッタリ出回らなったのは、そいつが死んじまったから。向こうの警察じゃ事故死って処理されちまってるけど他殺だ。殺ったのは漆葉を追いかけてた連中の組織で、実行犯も別の奴に始末されてる。永久口止めってヤツだな。で、身の危険を感じてたヤツは殺される前に「Wurfel」のレシピを……」 ライは最後まで言わずともわかるだろという顔で、隣に座るリウに振り返る。 「それでリカルドに匿ってもらおうと思って…なるほどね」 「守ってもらえる訳ねぇのにバッカじゃねぇ。レシピぶん盗られて殺されるのがオチだぜ」 「彼は手厚く保護されると思うよ。代々ボスのパーナーに受け継がれてきたブレスレットを左手首にしていたからね」 実は、リウは漆葉がレネに左手首のブレスレットを見せた際、何を意味するものなのか察していた。しかし、レネにフリーランスの医者と偽っていることもあり黙っていたのだ。 「ふぅん、リカルドもゲイだったのか」 「確か前任の父親も。あの三兄弟は外注か?」 「うん、三人とも体外受精で同じ代理母から生まれてる」 「それよりも、アッシュが心配だね」 「そうだな。レネが社会奉仕のルールを逆手に取らなければいいが…」 リックは二本目の手巻きタバコを咥えると、その先をオイルライターで焼き付けた。 漆葉が目覚める寸前まで行っていたカードゲームで勝利したレネは、まだ最下位だったアッシュに社会奉仕の内容を告げていない。
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