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◇◇◇
買い物に行く、と言っていた。
だから、夕飯の買い出しだと、そう思っていた。
なのに凜は夜の九時を過ぎても帰ってこない。
遊んでる?多分そんな子じゃない。
何かトラブルにあった?その可能性はなくはない。
ヒートが終わったばかりとはいえ、あんなにわかりやすいオメガの子だ、襲われててもおかしくない。
電話をしても、電源は入っていなかった。
咲人や家族からの連絡はない。俺から訊いたら藪蛇になりそうで……でもそわそわしてしまう。
酷いことを言った、している自覚はある、だってそういうつもりだったし。だからこそ、もしかして、と変なことを考えてしまう。
まさかもう戻ってきてて寝てる……訳はないよな、と思いながらも凜の寝室を覗いてみた。
何もない部屋だ。洒落っ気も過ごしやすさもなにもない。
運ばれたベッドと机、元々置いていた箪笥。それには確かに少し……擦ったような傷がついている。
別に値が張るものでも、思い入れがあるものでもない。これくらいの傷どころか、多少壊されてもこどもがシールをべたべたと貼っても構わないようなもの。弁償なんてする価値もない。ただ凜を追い詰める為の適当な嘘だ。
周りを見渡してみても、観葉植物もぬいぐるみも写真立ても何もない色気のない部屋。
クローゼットを開くと、数着の服が掛けてあるだけ。
そういえば、いつも同じような服を着ていた、あまり新しい服を買わないのだろう。
ぱたんとクローゼットを閉じて、はたと思い出す。
……この机の上には何か置いてあった筈。なにかが、あった記憶がある。
あ、位牌だ、と思い出す。多分、凜の両親の。
それがない。
ない、
どこにも、ない。
「……!」
嫌な予感がした。
慌てて車の鍵を掴んで、外に飛び出す。
車のエンジンをかけて、どこに行けばいいんだ、と自分に問う。
近くのスーパー?
本当にそんなところに行ってるなら今頃戻ってきて食事も済んでしまってる時間だ。
親戚の家?
行く筈ないだろう、だからうちに連れてこられたんだし。
あとは?
あとはどこだ?
琉の、咲人のところ?姉のところ?親父のところ?
そこら辺しか思いつかない。
でも何も連絡はない、そこに行ったなら誰かしら連絡が入る筈だ、多分。
当てもなく走り続けて、二時間くらい経っただろうか。
コンビニの駐車場に車を止めて、頭を抱える。
未だ連絡は何もない。
……出て行って欲しいと思ってたんじゃないか。
望み通り出て行っただけなのに、何で探すんだ?
……だって事故や事件かもしれないじゃないか。
連絡が来ないのがただ出て行った証拠じゃないか、位牌といっただいじなものも持って出て行ってるようだし。
……でも俺に何も言わず?
俺が嫌になったから出て行ったんだから言う訳ないに決まってるじゃないか。
「……くそ」
わかってる、俺が全部悪い、俺がおかしい。
あのかわいそうな子に優しく出来ないことも、酷いことしか言えないことも、出て行けと願うことも、オメガだからと冷たくしか出来ないことも。
だから出て行ったことも。
でも心配なのも事実で、違う、それはひととして年上として預かっている立場として心配しているだけで、凜だからではなくて、そう、
……凜だから、あの子だから心配なんだ。
か弱い守ってあげなきゃいけないオメガ。だいきらいだ、そんなもの。
それなのに、気にしてしまう。
姉の言う通りだ、あの子が俺に何をした?
俺のすきなものを聞いて、習って、食事を作って、掃除も洗濯も、俺が詳しく教えた訳ではないのに置いてある洗剤類や癖を見て好みを覚え、不快感を与えないように気を遣っていたし、無駄に話し掛けてきたりもしなかった。言った通りに俺の寝室に入ったこともない、真面目な子だ。
最初こそ手慣れない様子だったけど、自分の力で、俺の反応を見ながら、少しずつ上達していった。それを褒めたこともない。
買い物以外に遊びにも出ないあの子が話せる相手は俺だけで、それなのに静かに静かに過ごしていた。
俺は家族も友人もいて、文句を言いながらもそれなりに楽しく過ごしてきたのに。
一線を引くように、でもその線の向こうから、俺のことを気にしながら。
あの子が俺に欲しがったのは汚れたシャツ一枚だけ。
他に何が欲しい、どうして欲しいとか、そういうことは何も言わなかった。
ヒート中に訪れた俺の言うことを聞いて、鍵を閉めた。
フェロモンに当てられた俺に乗っかるとも出来ただろうに。
ひとりで、我慢した。
俺の狡い罠のような、箪笥に鍵までして。自分で鍵をした癖に、泣きながら縋るようにして。
俺はオメガなんてわからないけど、あの様子を見て辛くないだろう演技だろうと思う程鈍くはない。
きっとあの子は頑張って耐えたんだ。
耐えて耐えて耐えた先が俺で、あの子には絶望しかなかったのかもしれない。
たった二ヶ月、ただのその二ヶ月で、凜が折れてしまったのかもしれない。
だから、俺はあの子を解放してあげようとしてるじゃないか。
なのに凜が逃げたんじゃないか。
俺は、俺はどうしたらよかったのか。
「!」
着信音が鳴り、慌ててスマホを掴む。
画面には知らない番号。なんでこんな時に、とそのまま放置しようかと思ったが、そういえばこの番号、と気付いて画面をタップする。
やはり警察からだった。
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