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◇◇◇
「すみませんね、成人してると本人は言うけど、身分が証明出来るものをなにも持ってなくて」
「はあ……いえ、すみません」
「……でも財布も空だし、その、本人もあの様子でしょう、保護者を呼ぶと言ってもいないと首を振るばかりで……貴方からの着信があったので連絡を」
「助かりました、今あの子はうちで預かっているので……」
年配の警察官と軽くやり取りをして、引き取って帰ろうとしたところ、凜に付き添っていた婦警がこちらにやって来た。
躊躇いがちに、あの子、海に行こうとしてたんです、と言いづらそうに話すものだから、年配の警察官も俺もその言葉に言いたいことを察して口を噤む。
「あの……気をつけてあげて下さいね」
「はい……」
色んなひとにそう言われるな、と苦笑いすら出来なくなってきた。それだけ俺がそう言われることをしているということ。
俺も学生の身ということで、父親の名前も出しておく、それだけですぐに佐伯さんのとこの息子さんかあ、とわかって貰えるほど、俺達は恵まれている。嫌っている筈の性に、助けられることが多いのがアルファなんだなと、隣で小さくなっている凜を見て思った。
「……助手席乗って」
「え……や、あの、」
「早く」
「……はい」
車まで連れていくと、当然のように後部座席に乗り込もうとする凜に、助手席のドアを開けて座らせる。
自分も運転席に乗り込んで、小さな鞄をぎゅうと抱えるように座る凜を見て、罪悪感が湧く。
それがとても嫌だ。
こんな思いをしたくないのに。
シートベルトして、と言うと、はっと頷きつつも、暫くきょろきょろしてから、どうやって……と訊いてくる。
……シートベルトのやり方もわからないのか?と思っていると、後ろにしか座ったことなくて、と言い訳のように謝る凜。
溜息を吐きそうになって、慌てて飲み込んだ。
「……俺がやる」
「っ」
凜の向こうにあるシートベルトを手にして、鞄の上から掛けてやる。
小さく震えた躰に、俺が殴ったことがあるみたいじゃん、と少しだけむっとしてしまった。
……手を上げたことはない、凜には。
数分だけ、無言で車を走らせた。
凜はぴくりとも動かず、鞄を抱えて俯くだけ。
警察に呼ばれたことをすぐに謝ってくるかと思ったけど、自分から口にするのもこわいのかもしれない。
わからない、話したことがないから。
勝手に凜のイメージを、オメガのイメージを与えているだけだ。
当たっていることも、間違っていることだってあるのも、知っているのに。
「……海に行こうとしたんだって?」
声を荒げないように、出来るだけ優しく聞こえるように、ひとつ息を吸って、それから問う。
今度は震えることはなかったけれど、……動くこともなかった。
訊かれることはわかっていたのだろう。
暫く無言が続いて、違うことを訊いた方がいいか、とまた口を開きかけたところで、会いたかった、とぽつりと凜。
「会いたかった?」
「……おかあさんとおとうさん、に、会いたかった……」
両親は事故で亡くなったと、本人が言っていた。自分の躰のことも。
位牌だってあった。
こどものような口調に、例えば親戚を親と言ってる訳ではなく、本物の親のことを言ってるのだろうと思う。
「……それは死ぬ気だったってこと?」
動揺を見せたくなかった、でも声は少し震えてたかもしれない。
死にたいと口にするひとは、凜でふたりめだった。
「ぼくがいても……迷惑しか、かけない、し……なにしてもだめだし……考えてたら、海が、いちばん、迷惑、かけないかなって……思って」
「なんでそんなこと」
「……部屋のベランダからは……地面、汚れちゃうし、玲司さんに迷惑かける、し、……山も、死体、見つかっちゃうし、見たひとも、びっくりするし、海なら……沈んでしまったら、誰にも見つからないかな、って」
とんでもないことを話す凜に、何と声を掛けていいかわからずに、海だって見つかるだろ、と言ってしまった。話も飛んでいるし、相当キてるのはわかる。
「だから、重りをつけたら……いいかなって」
「……お前……えげつないこと考えるなあ……」
「我慢するの、得意なんです」
褒めてない、全く褒めてない、寧ろその考えに引いたし、そこまで追い詰めていた自分に引く。
なのにふふ、と笑った凜に、壊してしまったのかな、とハンドルを握る手が少し震えた。
「ちょっと、苦しいの、我慢したら……会えるんだなって」
「会えないよ、馬鹿」
「え……」
「……自殺したら地獄に行くっていうだろ、お前の両親は地獄に行くようなひと達だったの」
「……ちがう……」
ちがう、ともう一度呟いて、じゃあどうしたら会えるんだろう、と迷子になったようにか細く言う凜に、頭の中が混乱する。
どうしようどうしようどうしよう、そんな、こんな、ここまで追い詰める気はなかった、ただ出ていってくれたらいいなって、そっちの方が凜もしあわせになれるだろうって、
「……我慢して死ぬくらいなら、我慢して生きろよ」
ちがう、そうだけど、そんな冷たいことが言いたいんじゃない。
もっと優しくて、生きる気力になるような、そんな言葉をあげたいのに、俺じゃああげられない。
「……がんばって我慢したら、迎えにきてくれますか……」
「少なくとも、自殺するよりは」
「じゃあ、がんばります……」
違うよって、頑張らなくてもいいよって、きっと他の奴等なら言えたんだろう。
でも俺は言えなくて、上っ面の優しい言葉すら掛けてあげられない。
だってこうなったのは、……俺だけじゃない、凜の関わった多くのひともそうなんだろうけど、でもトドメを刺したのは間違いなく俺だ。
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