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「……それ、」  背後から声を掛けられてどきっとした。振り返ると、肘をついて躰を起き上がらせた凜がこっちを見ている。  しまった、長居しすぎた、すぐ部屋を出ていくつもりだったのに、アルバムが予想外で。 「もう、それしかないんです……」 「は」 「……すてないでください」  怯えたように、懇願する震える声。  こんな時なのに、涙を見たのはこれで二回目、とカウントをしてしまった。  メンタルが弱っているからか、寝起きでまだ頭がぼおっとしているからか。こんなに簡単に泣くのか、と思った。 「……捨てないよ」 「かえしてください……」 「あっ」  ずり、と肘だけでベッドを這う凜はそのままベッドから落ちそうになる。  思わず腕を伸ばしたけれど、当然間に合う訳もなく、凜は頭から落ちた。  そのままぐずぐず鼻を鳴らしながら、返して、とごめんなさい、を繰り返す凜の元に寄り、アルバムを握らせる。まるきりこどものようで、対応に困ってしまうじゃないか。  取り上げるつもりも捨てるつもりもない。  ただ気になって捲ってしまっただけ。  そんな言葉は今の凜には伝わらなさそうで、余計なことは言わずに、まだ床に突っ伏してる凜を起こした。  ぎゅう、と、でも潰さないよう、ぐしゃぐしゃにしないよう、胸元にそれを抱く凜に、もう一度、取らないよ、とだけ伝える。  もうそれしかないんです、というのは写真がということか、それとも形見のようなものが、ということか。  どちらでもあるのかもしれない。  あの小さな鞄に入っていたもの、少しの着替え、それだけが凜の荷物だ、写真以外の何かがあるようには思えない。  それに、あの写真を見てしまえば、愛された証拠を見てしまえば、それが大切な物だというのは誰だってわかる。  凜は何も知らない子じゃない、両親が事故で亡くなるまで、だいじに大切に愛されて育った子だ。  知ってしまってるからこそ、失ってからがつらいのだ。  俺だって、状況は違えどわかっている筈なのに。  ……凜の為でもあると自分に言い訳をしながら、自分のことばかり。 「ほら、取らないから。もう寝な」 「……っ」 「大丈夫、寝たからって捨てたりしねーから」  泣いたのがまだ二回目なら、凜が自分から何かをしてほしいと言うのも二回目だ。  それがだいじな写真を捨てないでほしい、返してほしい、そんな当たり前のことに使わないといけない程、それ程俺がしていたことは酷くて、信用出来ない男なんだと思う。  寝ろと言っても凜は動かない。俺が部屋を出ていった方が安心するんだろうけれど。  ……頭から落ちたばかりだし、ずっと泣いているし、ここまで弱っているのがわかるのに置いていっていいものか悩む。 「なあ凜、このままじゃ寝れなさそうだしもう話しておくけど」  肩に手を置くと、びく、とまた躰を震わせて、俺を見上げる。  その顔は涙でもうぐちゃぐちゃで、違うとわかるのに、ヒート中の凜を思い出してしまった。 「……親父のとこに行く?」  取り敢えず、という意味だった。親父が直接面倒は見なくても、またどこかに預けられても、少なくとも、俺といるより、こんな思いはしなくてすむんじゃないか。  これは本当に、言い訳なんかじゃなくて、……同情、罪悪感、そして最後くらい良いひとでありたいというだけ。  俺の酷い言葉は消せないけど、あの弟のようにかわいかった子に、酷いひとだったと最後に思われたくないだけ。  やっぱりどれもこれも、自分のことばかりだ。  一瞬、時が止まったように凜は動かなくなって、それから、指先に力が込められたのがわかった。細い指先が白くなる。  ぐちゃぐちゃの顔をぐしゃっとさせて、口をぱく、とひとつ動かして、それから、頑張るって言った、と呟いた。  お前の頑張る方向は間違ってるよ、こんなこと頑張ることじゃないんだよ。  もっと気楽に楽しく生きた方がいいだろう、そういうところを探した方がいいだろう。  こんなに小さく震えて、死を選びたくなるのような俺の元にいるより。  運が悪かっただけだ、事故も、親戚も、俺のところに来たのも、オメガに生まれてしまったのも。  だからほら、今頷くチャンスだ、親父のところに行くと言え。 「い、いない方が……」 「……」 「……っ、で、出て、いきます……」  何かを呑み込んで俯いた凜はもういつもの凜のようだった。  どうしようかまた悩んでしまうけど、頭を上げないのは拒絶だと受け取り、じゃあまた明日にでも話をしよう、今日はもう寝て、と声を掛けて部屋を出る。  暫く凜の部屋の前から離れられなかった。  今度こそ飛び降りたりしないか、とか、そんな心配じゃなくて。  この扉を閉めた瞬間に、泣いたりしないかなって思ったんだ。  本音が出ないかなって。  嬉しいとかいやだとか、俺のことをクソ野郎とでも罵ってくれたらいいのに、  そう考えるのと同時に、あの時みたいに、おにいちゃん、と甘える凜が見たいとも思った。  この状況で、空気で、そうなる訳なんかないのに。  あの時とは状況もお互いの現状も、性格だって、何もかも変わってしまったというのに。
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