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◇◇◇
翌朝、大学を休もうとした俺に、隈を作った凜が行って下さい、と笑う。もう変なことしませんから、と窶れた表情で。
よっぽど俺が変な顔をしていたのだろう、両親に会えなくなるのは嫌なのでもう変なことは考えません、と続ける。
別にまだ数日休んだって大丈夫なのに、と思ったけれど、いやまあ、俺が居ない方が安心して寝れるかもと思って、大学に行くことにした。
「今日は何もしなくていいから」
「……仕事、今日からクビ、ですか?」
「違うよ馬鹿、隈がすげえから寝てて、その顔で親父に会わせらんない」
「あ……はい」
心配だから寝てて、なんて言えなかった。
そう言ったところできっと凜は無理をするし、それなら俺が迷惑だから寝てろと言った方がこの子はその通りにするだろう。
家を出る前にもう一度、この後部屋で寝るよう念を押して家を出た。
◇◇◇
「ちょっとツラ貸しな」
「……」
「ずっと連絡シカトしやがって」
ひとりで昼食を取っていると、迫力のない顔で咲人が絡んできた。
何度か取ったけど、と返すと、琉ご自慢のかわいらしい顔を歪めて、いいから来い、と促される。
丁度食べ終わった食器を返却口に返し、こっち、と腕を引かれるまま裏庭に連れていかれた。
早朝降った雨でベンチは濡れて使えない。
だからこそ誰も居ない。いや、琉が自販機で買った飲み物を持って待っていたけど。
「中でこういう話されるの、玲司はいやでしょ」
コーヒーを手渡しながら琉が言う。
「ねえ、ちゃんと様子見に行ってあげた?」
「……凜に訊けばいいじゃん」
「……気まずいじゃん」
咲人が急かすように訊いてくる。ヒート中のことを言ってるんだとわかるけれど素直に伝えるのは癪で、誤魔化すように投げやりにいう俺に、唇を尖らせ、眉を下げて呟く。
「おれ、琉に愛されてる自信あるし。そんなおれに言われても……凜ちゃんからしたらいい気しないでしょ」
「……そう」
「だって琉はおれのことほっとかないもん、おれが苦しい間、ずっと一緒に居てくれるし」
「番だからだろ?俺と凜はそんなんじゃないし」
「……番になる前から琉は俺にずっと優しかったよ」
「それは番になるのは高校卒業時って決めてたからだろ、俺と凜はそんな予定はないの」
むっとした顔をした咲人にも琉がお茶を渡す。それを両手で弄りながら、凜ちゃんがかわいそうだ、と零した。
聞き飽きたし、俺だって何回もそう思った、だから親父のところに戻すよ、と返すと、咲人と琉の動きが止まる。
「……凜ちゃんは知ってるの?」
「伝えてるし」
「何て?」
「出ていくって」
視線を少し下げて、ぎょっとした。悪態を吐くと思っていた咲人がぼろぼろと泣き出したから。
反応に困って琉を見ると、泣いた咲人に驚くことはなく、俺に呆れたような視線を向けていた。
「……なんだよ」
「いや、……そんなにお前、鈍感だったっけって思って」
「は?」
あんなに凜ちゃん頑張ってたのに、と琉の後を追うように咲人が言う。つっかえながら。
玲司のこと、あんなに気にしてたのに、と。
「凜ちゃんが言わないでって……自分で言うからって、だからおれ、なんも言わないって思ってたけど……っ」
言ってるじゃん、という言葉は呑み込んだ。
泣いてる相手にやる突っ込みではない。
「でも、おれが言わなきゃ、玲司も凜ちゃんもだいじな話、しないと思う、だからっ……」
「いいよ、そんな言い訳しないでも」
「言い訳じゃないっ」
その言葉の勢いなのか、咲人は潤んだままの瞳で俺を睨み、凜ちゃんの王子様は玲司だよ、と吐き捨てるように言う。
……意味がわからなくて、暫く口を開くことが出来なかった。しん、とした空気に先に痺れを切らしたのは咲人だった。
「何か言えよ!」
「いや、だって、は、……王子様って、俺が?」
王子様?王子様って何が?何の話だ?
そう考えて、凜が来た初日のことを思い出した。
高校を卒業した年のオメガが誰とも経験がないのに驚いて思わず言ってしまった嫌味だ。
それに対して凜は、約束したから、そのひとがいい、と言った。
そのひとがいい?
王子様が俺?
……俺がいい?
どういう意味か本当にわからなくなってきた。
だってどう考えたって、俺が王子様な訳がない、こんなに酷いのに。追い詰めたのに。
「もう今は知らないけど!あの日は!おれに!そう言った!もう今は知んないけど!」
あの日。うちに泊まった日のことだ。何か余計なことを話してるのではないかと疑ってはいた。
でも何も変わらないから俺の気にしすぎかと思い直してたんだけど。そんな話をしていただなんて。
「小さな頃からずっと、両親が亡くなってからもずっと、玲司が、……れいじだけが心の拠り所だったのに、番になんて無理でも、守られなくても、それでも、れいじにだけはやさしくされたくて、近くにいれるだけでもうれしいって、がんばるって、きらわれたくないって、が、がんばるって、言って……」
「咲人」
「わかんないよ、おれ、ずっと琉、優しかったし、親だって元気だし、琉が守ってくれてたから、だからずっと、そんなこと、悩んだことなかった、オメガなのにしあわせだねって、良かったねって、なんで?オメガってそんなにだめなの?しあわせになれないのが普通なの?あんなに頑張ってる良い子が報われないの?ずっとずっと不幸でいなきゃいけないの?ねえ!」
最後の方はもうただの叫びになっていて、琉が肩を抱くまで、咲人は俺の腕を力無く叩いていた。
俺は……
俺は、今まで元気に見せていた咲人の本音を浴びたようで、凜の爆弾を落とされたようで……整理が出来ず、ぐるぐるしている。
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