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◇◇◇
早くヒートが来ないかな、なんて思ったのは多分この時が初めてだったと思う。
存在するのが不思議なくらいだったのに。なくなればいいと思っていたのに。
早くヒートがくれば、上手いこと服を汚してくれれば、凜がいなくなれば、俺はいつもの、前の生活に戻ることが出来るんだ。
穏やかな、自分の安心するひとだけしか招かない家での生活に。
今はただ、毎日毎日凜のことだけを考えてるのが嫌だった。もうこれ以上、嫌なやつになりたくなかった。
だから、凜の、もうそろそろヒートが来そうです、という申告に、笑顔でじゃあ外に泊まるわ、と返せた。
だってそうだろう、番でも家族でもなんでもないオメガが同じ家でヒートになるなんて、どちらかが家を離れでもしないと事故がおきてしまうかもしれないじゃないか。
望んでない行為なのだから、防衛策を取るのは何も不思議ではない。
「だから暫く泊めて」
「事前に連絡しなさいよ」
最初はホテルにでも行こうと思っていた。一週間から十日程。
バレた時に親父が煩そうだな、と思い直して、琉のところに、とも思ったけど、咲人もいるし、長期間はやはり気が引けた。
そうなった時に思い浮かぶのは家族だ。
兄にはもう家庭がある、琉と同じく長期間はだめだ、なら姉のところしかない。
突然現れた弟に、姉は呆れた顔をしたけれど、元々姉は俺に甘い。取り敢えずは家に上げてくれた。
玄関に入り、あれ、と思った。
あまりごちゃごちゃとしたものを好まない姉なのに、靴棚にガラスの置物や、似合わないぬいぐるみが置いてある。
悪いと思いながら靴棚を開けると、姉の趣味ではなさそうな靴が幾つか並んでいた。
「……誰かいる?」
「いるよ」
「あー……じゃあ出直した方がいっか」
「いいよ、その内あんたにも話さないとなって思ってたの、挨拶しなきゃね」
琉の、お姉さん既に番いたりして、という言葉を思い出した。
……挨拶なんかしなくても、置かれた小物や靴で、大体の人物は想像出来る。したくなくても。
「結芽、おいで」
姉が呼ぶと、黒い髪をふたつに結った、華奢な女がふらっとリビングに入ってきた。
友人といった雰囲気ではない彼女を見て思わず、姉ちゃんロリコンだったっけ、と呟いてしまった。
「ロリコンじゃないわよ失礼ね、結芽はあんたと同い歳」
「え」
「同い歳、ハタチ、誕生日来たらにじゅういち」
「……あの髪型で?」
「これは仁奈さんの趣味!」
「似合っててかわいいでしょ、結芽はこれがいちばん似合うの」
本人も少し抵抗があるのか、即座に俺の言葉に反論してくる。姉の趣味……姉にロリコンの気があるなんて弟としては知りたくなかった。
にこにことしながら彼女に並んで腰を抱いた姉は、私の番の結芽よ、と俺に向かう。
頬を紅くした結芽も、宜しくお願いします、と頭を下げる。
お話は仁奈さんからよく聞いてます、と話す彼女の言葉も頭に入らない。
「……玲司?」
「あ」
「ごめんね、内緒にしてた訳じゃないの、でもあんた……ほら、嫌がるでしょ、だから落ち着いてから、と思ってて」
「……親父たちは」
「そりゃあ話してるわよ」
座って、とソファに促して、察した結芽が動いた。お茶でも用意しに行ったんだろう。
ぼおっとしたままソファに沈んだ俺に、家政婦みたいって思ったでしょ、と姉が笑う。
「別に結芽を使ってる訳じゃないわよ、あんたが私の客ってだけ。結芽の客なら私がお茶の用意くらいするわよ」
「……あっそう」
「あんたはそうやって考えること放棄しちゃうから……まだ考えが古いのよね」
「は?」
「その歳になれば周りにもう番いる子くらいいるでしょう?」
「……いるけど」
その子はオメガを家政婦にしてる?と問われて、咲人を思い浮かべる。そんなタマじゃない。なんなら家事は琉の方が上手いと聞く。
たまに下手くそな弁当を作ってたりして……それを琉が自慢するものだから、対抗するように琉の上手く出来た弁当を何故か自慢されたこともある。
でもオメガなんて、要領が悪くて、出来ないことが多くて当たり前で、
「私ね、あんたのこと甘やかし過ぎたかなって思うの」
「はあ?」
「昔からあんまりひとの話、ちゃんと聞かないのよね」
「聞いてるじゃん」
「聞いてないわよ」
「聞いてるって」
「聞いてたらいつまでもそんな考え方しないわよ」
トレイを持ったままおろおろする結芽の姿が視界の端に映る。
来て早々姉弟喧嘩が始まったのだ、そんな反応にもなるだろう。
「考え方がジジィなのよ、若いんだからアップデートしなさいよね」
立ち上がって、結芽の手からトレイを取ると俺の前にそのまま置いた。
そのまま結芽も隣に座らせる。
「私はオメガだから結芽を選んだんじゃない、結芽だから番になったの、あんたが考えた番のいる子だってそうでしょ」
「……」
「確かに私達、アルファだのオメガだの厄介なものを抱えてるわよ、でも、だから悪いって訳じゃない、アルファだからあんたはそんなに偉いの?オメガだからその子が悪いの?そんな訳じゃないでしょう?その子があんたに何をしたの?」
「……姉貴は凜に会ったの」
少し間を開けて、会ったわよ、と返される。
つまりわかってて言ってるのだ。
あの子に悪いことがないことを。俺だけがこんな考えをしているのを。
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