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4.好きになってしまって
あの後からだ。津田の態度が少し違って見えるようになったのは。
特別なことを言った覚えなどない。けれどあの後から津田は表情を浮かべるようになったのだ。
接客も格段に良くなっていて、七生のサポートもいらなくなってきている。良い傾向なのだ。だが。
「七生主任」
「うお!」
休憩室でブラックコーヒー入りの紙コップを片手につらつらと考えていた七生は唐突に声をかけられ、椅子から転がり落ちそうになった。危ういところを横合いから伸びた手によって支えられる。
「大丈夫ですか?」
覗き込んでくるのは七生の頭を悩ませている張本人、津田だ。慌てて体勢を立て直した七生は彼の手から体を引きつつ笑った。
「ごめん。ありがとう」
不自然ではない態度だったはずだ。だが、七生と目が合ったとたん、津田は視線が合うのを避けるかのように目を伏せた。そのまま逡巡すること数秒。ふいに閉じていた一重瞼が持ち上げられ、まっすぐな目が七生を映した。
「今日、主任も早番ですよね。一緒に帰りませんか」
「……ええと、なんで」
津田は再び黙り込む。旧型のパソコンの処理時間並みに黙った後、彼は静かに口を開いた。
「お付き合い、の話をしたくて」
そう言われて、ああ、やっぱり、と七生は頭を抱えたくなった。「付き合ってください」と言われたあのとき、他の社員から名前を呼ばれてとっさに返事をしてしまった。その「はい」を彼は勘違いして受け止めていたのだ。
「ごめん、あれは付き合っていいよ、という意味の『はい』ではなかったんだ。すぐ訂正できなくてごめん。でも、その」
「主任にはお付き合いされている方が他にいらっしゃるのですか」
「いや、いないけど」
そう言うと津田はあからさまにほっとした顔をした。
「でしたら問題はないですね」
問題大ありだろう! どういう思考回路をしているんだ、だからAIなんて言われるんだよ、と突っ込もうとして七生はやめた。
そもそもだが、彼は自分がAIくんと呼ばれていることを知っているのだろうか。もしも知らなかった場合、そのあだ名で呼ばれたらどんな気持ちになるのだろう。
AIの進化は目覚ましい。しかし現在のところAIは人のためにその力を尽くすものとして認知され、利用されている。どちらが上とか下とかあえて論じるものでもないと思うが、それでも彼につけられたAIくんというあだ名には蔑みが込められていると感じる。
嘲りを声に乗せてその名を口にする社員たちを見、苦々しい思いを感じていた自分までがそういう意味で彼をAIくんと呼ぶなんて最低だ。
ごめん、と心の内で謝ったとき、津田がふうっと小さく息を吐いた。
「問題ないと申し上げたのは僕の気持ちのことです。主任にお付き合いされている方がいらっしゃったらさすがに泣いてしまいそうな気がしましたもので」
泣く?!
まさかそんなにか……と七生は唖然とした。だが追い打ちをかけるように頭を下げられ、七生は仰天した。
「え、あの、津田くん?」
「申し訳ありません。七生主任」
「なに、が?」
突飛すぎる行動の連続でこちらとしてはキャパオーバーだ。戦きつつ彼の顔をそっと覗き込むと、彼は顔を伏せたまま言った。
「好きになってしまって、申し訳ありません」
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