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全ては杖の仰せのままに
ワラにもすがる思いだった男は、その杖の効能を疑おうとする気持ちは湧いてこなかった。
あの老人が誰でも、どうでも良った。
その日からというもの、あらゆる道をその杖に聞いた。
家を出て、まず杖を倒し、どっちに進めば安全か確かめる。
道が二手にわかれていたり、交差点に差し掛かった時にも同じように杖を倒した。
初めは人目が気になったが、杖に従って歩くと自然と安心できたので、そのうち気にならなくなった。
そして犬に噛まれることも、サイフを落とすことも、ケータイの画面を割ることもなくなった。
勿論、クルマに跳ねられていない。
ある日。
男がいつものように杖を倒すと、これまでにないくらいの勢いでパチンと音を立てて倒れた。
これまでも、ユラユラしてから倒れたり、パタンとすぐに倒れたりする時があって、どういう違いなのだろうと思ってはいた。
だがその日は、特に勢いよく倒れた。
そして杖は、男が行きたい方向と逆にしか倒れてくれないのだ。
何度やっても、杖がそこへ向かわせてくれない。
何度も何度も、男の目的地とは逆へ向かって勢いよく倒れる杖。
「これは……なにかあるんだな」
男は杖に従って、そこへ行くのは諦めて家に戻った。
それにしてもヒマだったのでテレビを見ることにした。
とりとめもなくニュースを見ていた男はギョッとする。
「ここは……」
男が行きたかった場所で、ひどい火事があったと速報が出たのだ。
死傷者が大勢出ていると。
男はホッとしたが、それ以上に怖かった。
「そういえば、キケンのニオイが強い方へは倒れたがらないと言っていたな……。倒れ方は、逆の方向にあるニオイの強さ、危険の大きさで変わるのかも知れないな」
その後も、たまに杖が勢いよく倒れる時があったが、そのたび何らかのニュースになった。
それから何年かして、男は社長になっていた。
前の会社辞め、起業した。
株価も業績も右肩上がり、方方から評判の良い会社だ。
男が腰をかける大きなイスの横には、あの杖。
色も渋く変わり、キズも増えたが未だに大切に使っている。
「この杖のおかげでボクはここまでこれた」
男の口グセだ。
会社の方針なんかも、それも進むべき『道』だから、杖はちゃんと教えてくれる。
まわりは、男のスピード出世や成功に目を丸くしたが、どうせ誰も信じないだろうと、杖の話はしていない。
ランチへ向かう時でさえも杖は活躍する。
細い路地裏を抜け、T字路に差し掛かった。
まだその先は見えない位置に立って、杖を出す。
選択肢は右か左。
「右ならオムライス、左ならラーメンか」
こういった選択肢の場合、杖が倒れた方が混んでいないので、スムーズに店に入れる。
男は、いつもと同じように手を離したが、しかし……杖はこれまで見たことない激しさで倒れた。
バチン! と一瞬、身がすくむほどの音を立てて。
倒れた後も何度か弾んで、指したのはオムライス。
男はア然とした。
「ラーメン屋の方に、一体何が……」
逆に気になってしまった。
とんでもない行列でもあるのではないかと思ってしまった。
よく知ったラーメン屋だが、もしかしたら何か斬新な戦略を打ったのかも知れない。
経営者として、それは確認したかった。
男は初めて、杖と逆に進むことにした。
意を決して左へ折れると、いきなり左半身に大きな衝撃を受けた。
なす術なく尻もちをついた男の上に、何かが覆いかぶさってきた。
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