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危険のニオイの、中心で
「イタタタタ……」
男に覆いかぶさっていたのは女性だった。
歳は男より少し下だろうか、大きな瞳が印象的な女性だった。
「ご、ごめんなさい! おケガはありませんか?」
慌てて起き上がり、謝りながらペコペコと髪を振るたび、甘いニオイがした。
「だ、大丈夫です。こちらこそ、不注意で……。」
彼女にフられて以来、女性とあまり関わってこなかった男は緊張してしまい、すぐに立ち去ろうとした。
しかし男がヒジを擦りむいていることに、女性が気付き、お詫びをさせてほしいといってきた。
内心はやはり緊張していたが、厚意を無碍にするのも悪いので、連絡先を好感し、その晩ディナーに行くことになった。
結局、社長である男がご馳走することになり逆に女性を恐縮させてしまったが、話してみると気が合って、男もだんだん心を開いていった。
その後もことあるごとに食事やデートをした。
気付けば、男はその女性を好きになっていた。
それから半年後、夜の海辺のレストランで、男はあの日行くかも知れなかったラーメン屋のことを思い出していた。
あの日、何があったのかというと、具材の調理ミスで食中毒が発生していたのだ。
何人もの方が病院に運ばれ、中には亡くなった方もいたようだ。
間もなく、そのラーメン屋は店をたたんだ。
「もしかしたら……彼女はボクを救ってくれた、運命の女神なのかもなあ。」
運命の女神と言うか、幸運の女神と言うか。
男はそんなことを思いながら、ポケットの中の四角い小箱を触っていた。
男は今日プロポーズをすると決めていた。
この結果が上手くいくかどうかは男にもわからない。
杖はプロポーズが上手くいくかどうかまでは答えてくれない。それは当然なのかもしれない。
だが気になるのは……杖は彼女とのことは、何も答えて繰らないのだ。
デートや旅行、食事の行き先なんかを杖に聞こうとしても、何も答えてくれない。
手を離してもユラユラしたまま……ずっと、倒れないのだ。
彼女はそれをみると笑ってくれた。
だから男はいつも、それでよしとした。
ラーメン屋とオムライスの日以来、こんな状態だ。
あの激しい倒れた方のせいで、壊れたのかもと思ったが、他のことならこれまで通り教えてくれる。
「人生の大切なことは自分で決めろって事なのかな……」
そんな風に思っていると後ろから、甘いニオイがしてきた。
すぐにわかった――彼女だ。
あの日あの時と同じ、甘いニオイ。
潮風にも負けることなく、彼女の存在を気づかせる。
「ごめん、待った? 大切な用事って何?」
彼女が声をかける。
男は振り返りながら小箱を取り出し、両手に持って背中へ回した。
「うん……ちょっとね。とりあえず何か頼む? 飲物とか」
「うん! 今日はワインの気分」
杖からはとっくに手が離れていた。
それでも杖はユラユラ、倒れない。
甘い甘い危険なニオイの中心で、揺れていた。
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