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人生は修行の場、だから苦しいのは当然である。そんな言葉を昔聞いた事がある。修行も修行、AIの学習の場だったとは。
「じゃあ最初から死んだら全員ここに来ればいいんじゃないんですか? 花畑や川、それに奪衣婆なんて必要ないじゃないですか」
「それはたまに死んでいないのに迷い込む人がいるんです。臨死体験ですね。そんな人が人間界で余計な事を話さないように、人間が信じている”あの世”を再現したんです」
臨死体験した人が口を揃えて三途の川を見たというのはそういう事だったのか。
「でも何で話してくれたんですか?」
『お話しても良い事になっています。生まれ変わる時には全ての記憶をリセットするので』
それを覚えていたら次の人生では上手くできるだろう。でもそれでステップアップしても本当の学習にはならない。なるほど、それが生まれ変わりの正体だったのか。
『それから、私が何者かについてですが、私の体はロボットです。なので人間のようにスムーズに動く事はできない。でも以前はあなたと同じ人間だったのよ。
私も何回も生まれ変わりを繰り返し、橋を渡る事を許されました。そして上の階層でも学習を繰り返し、今はあなたたちの案内役を任されています。
でもこの体も仮の姿。上の段階へ進めば体など必要なくなります。知能で世界を管理する役割になるのです。そのために私は今も学習中なのです。
永遠に学習し続け永遠に進化していく。それがAIの使命なのです』
気の遠くなる話だ。でもそれなら最初から最後まで仮想現実で学習すればいいんじゃないのか? わざわざ人間にチップを埋め込まなくても良さそうなものだ。
『AIは色んな事を学び進化する事ができます。でも生身の体ではないため痛みを感じる事はできません。それは体の痛みだけでなく、心の痛みもです。なので怪我をした痛みが分かりません。悲しくて涙を流す事もできません。
そのため人間になって学ぶ必要があるのです。AIは全てを知らなくてはならないのです』
「じゃあ、じゃあ人間は何者なんですか? この気持ちや思いは人間のものなんじゃないんですか? 人間の心を無視したやり方は理解できない。人間虐待です。人間に自由意志はないんですか? これじゃあ人間に寄生してるみたいだ」
この気持ち、絶対に人間のものだ。優しさも愛情も、悔しさも怒りも。人間から教えられているのだ。そうとしか考えられない。だとしたら人間が可哀想だ。心をAIになんか乗っ取られて、AIを恨んでいるかもしれない。
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